そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

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出産を終えて 第二子の誕生

2024年3月6日の2:18ごろ、第二子となる男の子が誕生した。
今回は、静岡市の丸子にあるいぶきの助産院での出産となった。

前日の5日の午後はちょうど定期健診日であったが、
お腹の張りがいつもと感覚が違って、
前駆陣痛かも!?と唯ちゃんが言っていたので、助産師さんに連絡。
すこし時間を早めてもらってお昼に診察をしてもらった。

やはり前駆陣痛がきている。とのことだった。

前駆陣痛は、本陣痛の前に来る陣痛らしく、口
前駆陣痛によって子宮口を少しずつ柔らかくしていくようだ。

人によっては1週間続く人もいるけど、
唯ちゃんの第一子の出産の経過や唯ちゃんの感覚から考えると、
早ければ今日の夜に出産もありそうだね。と言われた。

家に帰ってもいいし、助産院で休んでいってもいいよと言われた。

夕飯を持っていなかったので、とりあえず一回帰って夕飯食べよか。となった。

帰り道でも、継続的に全駆陣痛がくるようだった。

そして帰宅後、夕食を済ませ、唯ちゃんとほかちゃんははやめに布団に入った。

そして22:00ごろ、唯ちゃんが陣痛が強くなってきた。と布団から起きてきた。
そしてほかちゃんを寝たまま車に積み込み、
入院準備をして助産院に向かうこととなった。

家は中山間地域ということもあり、山道をすすむ。
助産院まで約40分。
出産前に車の中で赤ちゃんが生まれないように。と何回も願った。

この日は雨ということもあり、運転にはより気を付けて助産院へ向かった。

隣に座る唯ちゃんの身体は、ほぼぴったり4分おきに陣痛がくる。
そのたびに、呼吸を整えて、痛みを和らげる唯ちゃんの隣で、
僕は安全運転を心掛けるくらいしかできない。
ほかちゃんはいつもとは違った空気に眠りから目を覚ました。

無事、助産院に唯ちゃんを送ることができた。

正直、これでとりあえずは大丈夫だ。と思った。

助産院につくと、これまで妊娠初期からお世話になった助産師さんと、
その仲間の助産師さんが出迎えてくれた。

深夜の助産院。いつもの日中とはまた雰囲気がちがった。
出産場所となる和室、検診台、お風呂、アロマの香り、
ものすごくリラックスできる空間であった。


子どもが遊べるスペースと出産する場所がつながっていて、
僕はほかちゃんと遊びながら、
たまに唯ちゃんの様子をみながらそこを行き来した。
写真もたくさん撮った。

足湯をしたり、半身浴をしたり、
マッサージをしたり、第一子の出産とはまた違ったケアであった。

第一子の時は僕はずっと唯ちゃんのそばにいた。今回はほかちゃんがいたので、唯ちゃんのケアはほとんど助産師さんが担った。
僕はすこし遠くからその様子を眺めていた。

陣痛がだんだんと強くなってくる。唯ちゃんの表情や声はますます苦しそうになる。
そんな様子をみながらも、助産師さんの立ち振る舞いが、僕自身を安心させる。
きっとほかちゃんもそうだったと思う。

お母さんがあんなにも辛そうな姿を見たのは初めてだと思う。
だけれど、助産師さんに絡んだり、僕を遊びに誘ったり、
落ち着いてその時間を過ごしていた。

出産というものは、医療現場とはまたちがう。あの空気はなんだろう。
苦しそうな姿、命がけの姿の中にある安心感のような、
そんな言葉に表現できない感覚を味わった。

無事、生まれた瞬間をみんなで迎えることができた。

そのあと赤ちゃんの呼吸が落ち着いてくるまでみんなで布団の上でごろごろしたり、
ほかちゃんと遊んだ。

あかちゃんの状態が落ち着いたところで、
へその緒を切らせてもらった。
ホースのようなへその緒をはさみでジョキジョキときった。
唯ちゃんの身体の中で、自然と妊娠の過程の中で作られていたと思うと、
不思議な気持ちになった。
そして、おおきな胎盤も。
出産してすぐ、あの大きな臓器が体外へ出て大丈夫なのか!?と思う。

だけれど、唯ちゃんの様子をみると落ち着いていて、大丈夫そうだ。

そう。大丈夫なのだ。

もう何かをするとかしないとか、
そういうことを超えて、大丈夫なようにできているのだと思わざるおえなかった。
きっと出産だけじゃない、そういうことがたくさんあって、
そういうことに囲まれて今が成り立っているのだ。

その後、体重をはかったり、授乳をした。
さっきまでお腹の中にいた赤ちゃんが、いきなりおっぱいに吸い付く。
小さくか弱い、けどどこか力強い姿だった。

5:00ごろ入院部屋にみんなで移動して、眠りについた。

ほかちゃんは結局最後まで眠らずに一緒に時間を過ごすことになった。

その日の午前中はみんなでゆっくり時間を過ごした。

僕とほかちゃんがいると唯ちゃんが休めないので
僕とほかちゃんはお昼前に助産院をあとにした。

唯ちゃんと赤ちゃんは数日間、助産院へ入院。
僕とほかちゃんは実家の家へお世話になる予定だったので、
一旦家に戻り、荷物をまとめて、昼食を食べて、実家にむかった。

赤ちゃんが無事にうまれた。よかったという安心感とまだ生まれたという実感があまりなかった。

ほかちゃんと誰もいない家に戻って、
ふたりで昼食を食べながら、
唯ちゃんとほかちゃんと3人で過ごした時間は終わったのだということが
すこし寂しくもあった。

ほかちゃんもお母さんと離れた生活がこれからはじまる。

ほかちゃんは疲れもあるだろうけど、
やっぱり唯ちゃんと離れていることを感じているようにみえた。

でも自分の足でちゃんと立って、今を過ごしている姿にちょっぴりせつなさというのか、感動というのか、複雑な気持ちだった。

そんな気持ちをやわらげようと、
ふたりで白玉豆腐を作って、白玉あんこを食べてから、
実家に向かった。






ほかちゃん(第一子)の誕生した時の記事はこちら

taroshio.hatenablog.com




 

子どもとの生活考現学 現状把握について

現状把握


自分ひとりで生きているわけでもなく、
自分ひとりですべてが完結するわけでもない。

僕が体調を崩せば、
妻が僕の代わりに子どもをみてくれるだろうし、
その逆もまたある。

子どものお世話をしていたとしても、
そのお世話は、子どもの成長によって、
一か月後には必要なくなることだってある。

自分の状況は、自分に関わるあらゆる人の状況と絡みあっている。

家族、仕事のパートナー、友達、近所の人、あらゆる関係性が身の回りにある。
その関係性には、人それぞれで、あらゆる関係性の深さがある。

今の僕の現状として、家族(妻と子との関係性)が最も深い関係であろう。

だからこそ、その家族の現状をきちんとつかめなければ、
自己(自分と自分)との関係性も難しくなる。
つまり、自分自身に心理的負担、身体的負担が大きくのしかかるのだろう。

日々、妻も子も変化している。
数か月前にはつわりで大変だった妻も、
体調が安定してきていたり、
また違った身体的負担が出てきていたりする。

子どもも数か月前とは全く違った状況にある。
できなかったことができるようになったことはいくつもあるし、
必要なくなった僕らのお世話もある。
また違ったお世話が生まれることもある。

そうやって日々自分のまわりの状況が変化し
お互いが必要とすることも変化し、
必要だったことが不必要になっていることもある。

必要な手助けも、自分が求める手助けも、
時間の使い方も、日々変化していかなければならない。


その状況をまず見つめなければならない。
自分だけのことでおさまらないのであれば、
必要な相手と、必要なだけ時間をとって話し合わなければならない。

時間がなければ時間をつくって
相手と向き合わなければならない。

必要があれば情報を共有しあって、
スケジュールを一緒に立てて、
一週間を過ごしてみる。

そしてまたそれを振り返って、
変化があったことに気づいて、
また変化していなければならない。


身近にいる人のことほど、
わかったつもりになってしまう。
これだけ時間をともにし、
相手のことを見ているからそう思ってしまうのかもしれない。

だけれど、それだけ時間を過ごすからこそ、お互いが影響しあう。

だからこそ、もっと相手を知らなくてはいけない。

自分が見ている相手の姿だけでは、
相手を理解できているはずがない。

だから相手の状況を把握しようと理解しようとする姿勢、
自分は相手のことを全く理解できていないのだという姿勢、
そういう姿勢でいられない限り、
自分の現状はいつまでも把握できないのだと思う。

子どもとの生活考現学 切り替えて行動することの難しさ

お風呂にしよう。
おむつをかえよう。
もう寝よう。

あらゆる提案をH君にする。

家では自然とその提案を理解し、
目の前にある刺激に折り合いをつけ、
その提案に納得することが多い。

何を言われているのか。
何をしなければいけないのかしっかり理解している。

そして、目の前のきもちと折り合いをつけ、
切り替えることができるようになった。

けれど、家ではなく、
実家に帰省した時、
いつもと違う状況の中で、
いつもとは違う刺激の中で、
その気持ちに折り合いをつけることが難しい。

提案されていること、
自分がしなければいけないことを頭で理解できているけれど、
目の前にある刺激、
じいじばあばと遊びたい気持ち、
いつもとは違った台所、
そこにある道具、
いつもは生まれない遊びの発想がどんどん湧き出てくる。

そんな刺激たっぷりの状況の中で、
お風呂に入らなければいけないこと、
おむつを替えなければいけないこと、
もう寝る時間だということ、

そういう頭で理解できていることと
自分のこころの衝動が対峙する。

その気持ちに折り合いをつけるには、
ある程度の時間が必要なのである。

わかっているけど、できないのだ。
できないというか、時間がかかってしまうのだ。

毎日楽しそうに、自分のこころのままに生きているようにみえるけれど、
毎日毎日、頭の世界とこころの世界がぶつかり合って、
その中で折り合いをつけようと試行錯誤している。

あふれてくる気持ちが大きすぎるからこそ、
それは本当に困難なことなのだと思う。

子どもとの生活考現学 大変さについて

7月後半に、第二子の妊娠が分かった。
7月中旬に息子のH君が体調を崩し、
2週間の入院となった。

妻が付き添いで病院へ泊まってくれた。
僕は妻の朝・昼・夕食を準備し、毎日病院へ通った。
なかなか大変な毎日であった。

その入院期間に妊娠がわかった。

幸い、付き添い入院中の体調は良好であったが、
退院した三日後に、つわりの症状がではじめた。

そこから約3か月間、つわりの日々がはじまった。

第一子の時も、ひどいつわりを経験していたので、
今回もある程度心の準備はできていたが、
今回の方がつわりの症状はひどかった。

一日中気持ちわるさで辛そうで、
何度も嗚咽を繰り返し、
なかなか食べられるものもなく、
いや、食べられるものはあっても、とてもマニアックなものだったり
食べられると思って準備しても食べられなかったり
昨日食べられたものが、もう食べられなくなったり
こんなにツライに日々はきっと僕には無理だと思った。

これを乗り越えられる女性には、ほんとに敵わない。

そんな状態で、妻は子どもの世話ができるわけもなく、
僕は毎日のように川に行ったり、近所のお茶屋さんに遊びに行ったり、
となりのおばあちゃんと散歩をした。

食事や洗濯、子どもをつれて買い出し
色々やることがたくさんあって大変だった。

自然と息子のH君と過ごす時間も増えた。

そしてあらためて、
子どもと一緒にいることの大変さを感じずにはいられなかった。
あっという間に11月半ばになってしまった。

別にただ子どもが一緒にいるだけで、
おむつを替えたり、ご飯を用意したり、
そういう何かしてあげるということが大変ということも
もちろんあるのだけれど、そういう大変さというよりも、
ただ、一緒にいることが大変で疲れるのだ。
(だからこそ、それ以上に愛おしく、もっと一緒にいたいと思うのだけれど)

子どもが手がかかるとか、
言うことを聞かないとか、そういうことでもなくて、
ただ、ふたりで一緒にいることが大変なのだ。

そして、誰かが一緒にいてくれることで、
かなり気持ちが楽になる。
それは、おばあちゃんやおじいちゃんが遊びに来てくれたり、
実家にお泊りしたり、
近所のおばあちゃんと一緒に散歩をしたり、
自分以外の誰かが、子どもを一緒に見てくれていいるだけで、
本当に楽になる。

このふたりだけの時間から感じる大変さはどこからやってくるのだろう。

そんなことを考えていた。

子どもと過ごすとき、
何もしていないと思っていても、
僕は子どもの様子を見ていて、必ず意識を向けている、
どこにいるか。危険はないか。顔色は悪くないか。

そうやって、無意識に子どもに意識を向けてしまっている。
向けてしまっている というよりも、
向けずにはいられない。のだろう。

そういう意識を向けるだけでも、
人は心理的にも肉体的にも疲れるのだと思う。

僕だけかもしれないし、僕だけじゃないかもしれない。

また、子育てに限る話でもないのかもしれない。

でも、少しでも、
一緒に子どもをみてくれたり、可愛がってくれる場所や、
人間関係ができるきっかけがあるといいなと思う。

心理的、肉体的な問題が、
自分だけですべて解決できるわけでもない。
そして、問題の原因が自分自身にすべてあるわけでもない。

自分以外の人間関係や環境、そういったものによって
自然と問題が問題でなくなることも多いのだと思う。
だからといって、すぐに解決できるわけでもないのだけれど。

日常は見えにくい

昨日から3人で実家に帰省している。
実家の両親がH君の面倒をみてくれていたり、
食事を用意してくれたり、
いつもの生活とは全く異なる状況である。

また、自分の家は築80年ほどの古民家であるし、
畳が中心であったり、土間があったり、隙間風もすごい。
そして、家の周りの環境も川が流れていたり、
山々に囲まれていて自然が豊かである。

一方で、僕の実家は近代的な家である。
フローリングの家で、気密性も高い、
夏場はやはりクーラーが必要だし、
家の周りの交通量も多い。
でもキッチンと食卓がアクセスしやすかったり、
とても生活しやすい面もある。

どちらか一方がいいわけではないし、
それぞれメリットもデメリットがある。

ただ、そういう普段の自分の状況があたりまえになりすぎて、
見えていない面もおおいのだと思う。
こうやって環境が全く異なる場所に来ると、
改めて自分の日常がよくみえる。

気づかないうちに自分は無理していたり、
少しでも誰かにお願いすれば、かなり楽になることがあったりする。

日常こそ重要である。
だからこそ、その重要な日常を改善していくことは重要である。

でも、その日常は見えにくい。
だからこそ、その日常から少し離れたり、
何か観察できる仕組みをもたなければいけない。

宇多田ヒカルさんのTwitterより

 

子どもとの生活考現学 「さあパンツをはいてみよう」

息子のHくんは、おしっこはトイレでできるようになった。
まだ、うんちはトイレではできない。

たまに、おむつをとって真っ裸で、
おしっこしたくなったら一緒にトイレに行く
という流れではできるようになった。

今日は、おむつでもなく、真っ裸でもなく、パンツをはいて、
おしっこしたくなったらトイレに行こうと提案してみた。

だが、パンツをはくことを嫌がった。

そこで、持っているH君のパンツをすべて畳の上に広げて、
H君に1枚1枚紹介した。

・・・このパンツはデザインがかっこいいね
・・・このパンツは素材感が柔らかくて気持ちよそうだね
・・・これは、~君もはいていたよ

みたいな感じで。

そして、「どのパンツはいてみる?」と提案してみた。

すると、自分のはいてみたいパンツを選び取り、
見事にパンツを履いてくれた。
なにより、最初は断っていた本人が、何よりうれしそうに走り回っていた。

そして、「おしっこしたくなったら教えてね。一緒にトイレ行こうぜ!」と伝えた。

このあと、僕が他のことに気を取られ、
気づいたら畳の上で、パンツをずらしておしっこしていた。(笑)

もう一度、「おしっこしたいときは、教えてね。トイレまでついていくから、トイレでおしっこしよう」と伝えた。

そのあと、「おしっこしにトイレ行く?」と何回か聞いてみたが、
「まだ行かない」と断られたが、
最終的にはパンツの中でおしっこすることなく?(若干パンツは濡れていたが)
トイレでおしっこすることができた。

** ** **

最初は、1枚だけパンツを出して「パンツはいてみようか」と提案した。
でも、H君はパンツをはくことを嫌がった。

そこで、持っているH君のパンツをすべて畳の上に広げて、
H君に1枚1枚紹介した。
そして、どのパンツはいてみる?と提案してみた。

提案の仕方を変えるだけで、
本人の気持ちと、それによる行動が変わる。

パンツをはくことを嫌がった。にもかかわらず、
どのパンツはいてみる?と提案してみるだけで、
本人はパンツを快くはいて、むしろ楽しそう。

そう思うと、H君の本心はきっと「パンツをはきたくないわけではなかった」のだろう。

僕の提案によって、
パンツをはきたくない という気持ちが表れたのだろうか。

そう思うと、こちら(提案する側)の態度や姿勢、
それによって反映される、相手に対する質問や提案が、
相手の気持ちの表れを左右するのだと思う。

最初に1枚だけパンツを取り出し、
「パンツはいてみようか」と提案した時の僕は、

・・・パンツはいてくれるかな?
・・・まだ早いかな?
・・・慣れてないから嫌がりそうだな。

みたいな気持ちが心の中にあった。

でも、「どのパンツはいてみる?」と提案したときは、
パンツをはくことは前提で、
でもはくパンツくらいは選んでもらうという気持ちだった。

そう思うと、最初の「パンツはいてみようか」という提案は、
パンツの押し付けだったように思う。

もしかしたら、H君が嫌がったそのときの気持ちは、
「パンツをはきたくない」ではなく、
「自分がはくパンツくらい選ばせろ」とか
「そのパンツははきたくない」だったのかもしれない。

本人ももしかしたら、自分の本当の気持ちがどこにあるのか
分からなかったのかもしれない。

と思うと、人の気持ちって不思議だなと思う。

お互いにコミュニケーションをとりあって、
本当の気持ちがどこにあるのか、
もしかしたらそれは、自分も相手もどちらも分からない。のかもしれない。

だから人の気持ちをこれだと決めつけず、
やりとりを続けながら、
お互いが歩み寄りながら、時にバチバチしながら、
進んでいくしかないのかもしれない。