お風呂にしよう。
おむつをかえよう。
もう寝よう。
あらゆる提案をH君にする。
家では自然とその提案を理解し、
目の前にある刺激に折り合いをつけ、
その提案に納得することが多い。
何を言われているのか。
何をしなければいけないのかしっかり理解している。
そして、目の前のきもちと折り合いをつけ、
切り替えることができるようになった。
けれど、家ではなく、
実家に帰省した時、
いつもと違う状況の中で、
いつもとは違う刺激の中で、
その気持ちに折り合いをつけることが難しい。
提案されていること、
自分がしなければいけないことを頭で理解できているけれど、
目の前にある刺激、
じいじばあばと遊びたい気持ち、
いつもとは違った台所、
そこにある道具、
いつもは生まれない遊びの発想がどんどん湧き出てくる。
そんな刺激たっぷりの状況の中で、
お風呂に入らなければいけないこと、
おむつを替えなければいけないこと、
もう寝る時間だということ、
そういう頭で理解できていることと
自分のこころの衝動が対峙する。
その気持ちに折り合いをつけるには、
ある程度の時間が必要なのである。
わかっているけど、できないのだ。
できないというか、時間がかかってしまうのだ。
毎日楽しそうに、自分のこころのままに生きているようにみえるけれど、
毎日毎日、頭の世界とこころの世界がぶつかり合って、
その中で折り合いをつけようと試行錯誤している。
あふれてくる気持ちが大きすぎるからこそ、
それは本当に困難なことなのだと思う。