そのまんまたろうのブログ

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『「自己肯定感」の「自己」がどこにあるか』

 

らくだのプリントをやらなかった期間を振り返ってみると、

いつの間にか、自己認識が変わっていることに気づいた。

この学習を始める前に、
こうやって長く続けてきたことが、
できなくなったとき、
自分は自分とどう折り合いをつけ、
どういう選択をしていたのだろうか?という問いが浮かんだ。
きっと、僕は「できない」という毎日を過ごす中で、
プリントを続けても意味がないとか、
教材費を払っているのにやらないなら意味がないとか、
そうやって、適切そうな理由を添えて、学習をやめるという選択をしていたのではないか。と想像する。
なぜ、そういう選択になるのか?
それは、自分の認識の仕方(自己認識)によるものが大きいように思う。
できない現実を招く要因は、
自分に備わっている特性や自分の能力によって、
生まれていると思っていたし、
自分の能力を広げる(力をつけること)で、
できない現実が、できる現実に変わっていく。
だからこそ、「できない」を「できる」にするには上昇志向が必要不可欠で、
努力をすること”でしか”、できる現実を創ることができると思っていたように思う。

++ 

この数ヶ月間、僕は全くプリントには手をつけられなかった。
でも、そのできない期間の自己認識は以前とはずいぶん変わっていたように思う。
それは、今、プリントに手をつけられない自分であっても、
いつかできる自分が現れるだろう。と、自分自身が変わるその時までじっと待てるようになった。そんな感覚だ。
このプリント学習を通してできない日をたくさん体験してきた。
そのできない体験の中で、僕の目の前に現れる「できない体験」を招くその要因は、
自分が自分と思っているその枠の外にあり、
自分が自分と思っているその枠の外が変われば、
自然とできなかった体験が、できる体験へと変わる経験をたくさんしてきた。
だからこそ、僕は今の僕の能力や才能、
情熱や使命、そういう僕の内側にあるとされるものに
「できない要因」を紐づけることをしなくなった。
だからといって、できない体験を自分の外的要因のせいにするわけではない。
自分という存在を、自分が自分と思っているその自分の外側も含めて、自分という認識とする。
そういった外的要因まで主体的にアプローチできる存在であり、
そのことによって、自分はまた変容していくことができる。
そういう意味で、自己の捉え方が広がりつつあるように思う。
++
この変化は、自己肯定感が上がったということもできるだろう。
今の僕の能力や才能、
情熱や使命、そういう僕の内側にあるとされるものに
「できない要因」を紐づけることをしなくなった。と書いたように、
目の前に起こる受けいれがたい現実と向き合った時に、
その要因を自分の内に紐付けてしまうことで、
自分自身を否定する恐れもある。
でも自己認識が広がることで、
自分の内と現実に起こる事実との因果関係を断つことも可能だ。
自己肯定感という言葉を多く聞くけれど、
自己肯定感という言葉の“肯定”ばかりにとらわれてはいけない。
この自己肯定感の「自己」の認識範囲が変われば、
肯定しようと自分を褒めたり、
自分のいいところを探したりせずとも、
自然と肯定している自分が現れてくるのだ。

と書きながら、この記事のタイトルを、

『「自己肯定感」の「自己」がどこにあるか』としてみたいと思う。

*誕生~生後2週間*

*誕生~生後2週間*

 

3/29に赤ちゃんが誕生し、4/2の朝まで助産院で赤ちゃんと唯ちゃんと一緒に

一緒に入院生活を共にした。

 

赤ちゃんが3/29に15:10に誕生し、

誕生してすぐに、助産師さんが服を着せてくれて

唯ちゃんと一緒にごろごろしながら時間を過ごした。

 

僕は長いお産にくたびれ、

人目も気にせず、いつの間にか赤ちゃんの隣ですやすや眠ってしまっていた。

 

そのまま栄養士さんが作ってくれた晩御飯を唯ちゃんと食べ、

生まれた日から赤ちゃんと唯ちゃんと3人で夜を越した。

 

赤ちゃんはものすごく落ちついていて、

ほぼ目覚めることなく眠り続けていた。

 

この助産院での入院期間は、助産師さんが在中してくれていることもあり、

入院期間中に授乳の仕方や沐浴の方法、

そのほかわからないことをいつでも質問できる環境であり、

これから唯ちゃんと赤ちゃんと3人で生活していく

準備段階としてもの貴重な時間だったように思う。

 

生まれた時からすでに、

赤ちゃんとの生活はスタートした。

 

赤ちゃんのオムツを交換しなければいけないし、

授乳もしなくては、沐浴もしなくてはいけないし、

服も着替えさせなければいけない。

 

未体験のことが、待った無しで迫ってくる。

 

生まれたての赤ちゃんにこれまで触れたことすらあまりなかった自分が、

赤ちゃんが誕生したその日から、

ひとりの赤ちゃんのお世話をしてかなくてはならない。

 

そんな状態の中で、

助産師さんにいつでも質問できたり助けてもらえる入院生活で、

だんだんとおむつ替えや、着替え、

唯ちゃんは授乳の方法などにも慣れていったように思う。

 

いきなり3人で何もわかららず生活をはじめていたら、

僕と唯ちゃんの心理的、身体的負担はものすごく大きかったように思う。

だからこそ、この入院生活から一緒に生活を始めることができたことは

僕にとっても、ゆいちゃんにとっても、なにより赤ちゃんにとっても

とてもありがたいことだったように感じる。

 

** **

 

赤ちゃんが生まれてすぐ、赤ちゃんへの授乳の仕方を教えてもらった。

あかちゃんがおっぱいを吸う姿は見たことがあった。

だからあかちゃんが「おっぱいを吸う」ということは

あかちゃんと、お母さんのおっぱいがあれば、

普通に行われることだと思ったいた。

 

だけれど、あかちゃんへの授乳の指導をしてもらうと、

それはお母さんと、あかちゃんの絶妙な関係から成り立っていることなのだと知った。

 

お母さんのおっぱいから出る母乳は

あかちゃんに吸われることによって、

より作られていくらしい。

 

あかちゃんも吸い方がだんだんとうまくなっていくらしい。

 

あかちゃんがお母さんのおっぱいに「ぱくっ」と吸い付く。

そのタイミングや、お母さんのおっぱい、あかちゃんの口のポジション、

すべてが絶妙な関係性の中で成立する。

 

いままで普通に成り立っているとおもっていたことが、

ここまでお母さんと赤ちゃんが歩み寄り成立しているとは正直驚いた。

 

そして、その関係は、母乳が出るおっぱいや、

赤ちゃんに吸われても耐えうる乳首の状態、

赤ちゃんの吸う力、

二人の身体を土台に成り立っている。

それはものすごく貴重で尊いことなのだと感じた。

 

今まで普通に見えていた光景であったけれど、

そんな普通に見えていた光景の奥に

母さん、赤ちゃんの背景にはさまざまな苦労や葛藤がある。

そう知った時、自分の普通に見えていた光景は

とても貴重でかけがえなのない光景に変わる。

 

これは授乳に限った話でもないだろう。

今の自分には普通に見えていること光景も、

その奥にはさまざまな人の想いや苦労、喜び、たくさんのものが隠れている。

 

普通の光景というものはなく、

普通の光景と見ている自分だけがいる。

 

そんな普通の光景が、

かけがえない貴重な景色に変わっていくことは、

楽しさや喜び、嬉しさという言葉を超えて、

より自分の日常を豊かにしてくれるものなのだと感じた。

 

 

** **

 

試行錯誤の2週間 辛かった2週間

 

あかちゃんは泣きながらおっぱいを要求する。

口をぱくぱく、首をひねりながらおっぱいを探す。

唇に指を当てると、指をおっぱいだと思い、

ぱくっと吸い付いてくる。そして、舌をうまく使って指を吸う。

 

その吸う力はすごく力強い。

この力で乳首を吸われるお母さんは、本当に大変だろう。

 

あかちゃんにとって、おっぱいは自分の命綱のようなものだ。

だからこそ、おっぱいをあげる役割を担うお母さんは精神的にも

さまざまな苦労を抱えざるおえないように思う。

 

生まれてから母乳は比較的出るほうではあったので、

ミルクは使わずに、母乳のみをあかちゃんに与えていた。

 

だけれど、授乳時のおっぱいに痛みを感じたり、

あかちゃんがうまく吸ってくれず泣きわめいたり、

母乳による授乳はなかなかうまくいかなかった。

 

あかちゃんの身体に母乳は足りているのだろうか?

このまま母乳を続けていいのだろうか?

こんなに泣くのだったら、ミルクをあげたほうがあかちゃんにも

お母さんにとってもいいのではないだろうか?

 

でも、せっかく母乳が出るのであれば、母乳をあげたい。

でもこれって、自分のエゴなんじゃないだろうか?

 

ミルクに慣れてしまうと、母乳を飲んでくれなくならないだろうか?

あかちゃんが吸ってくれないと、母乳が出なくなっちゃわないだろうか?

乳頭混乱というあかちゃんがおっぱいを吸えなくなることもあるらしい、、、

 

でも、こうやって悩んでいるうちにおっぱいは張ってくる。

胸が痛くて苦しい。でも授乳時の激痛に耐えるのがつらい。

 

あかちゃんは泣いて、おっぱいを要求し続ける。

 

そんな生活が続き、お母さんもあかちゃんの授乳による苦労は続いた。

 

毎日ラインでも助産師さんが相談にのってくれたり、

助産師さんが家に来て様子を見に来てくれることもあった。

 

不思議なことに、助産師さんがくると、授乳はうまくいった。

あかちゃんもおとなしくおっぱいを吸うし、

授乳による痛みも和らいでいた。

 

助産師さんが与えてくれる安心感はすごい。安心感だけではなく、

授乳におけるサポートも絶妙だった。

 

そんな形で約2週間ほど、母乳メインの授乳生活を続けた。

 

2週間ほど過ぎた検診で、

授乳の状況と、あかちゃんの体重を助産師さんが見てくれて、

母乳だけではなく、ミルクを足して、

1日7回、1回に約60cc-90ccの授乳を行っていこうという話になった。

今の時期は、授乳の方法を重視するよりも、

あかちゃんの体重を増やすことも重視していくこと。

 

そして、あかちゃんの乳頭混乱や、母乳の出が落ちていかないように、

ミルクを与えるときは、ストロー方式で授乳していくことや、

母乳による授乳を行ってから、ミルクを与えることなど、

この時期における、授乳の方向性が見えてきたのであった。

 

この2週間は、母乳を中心に試行錯誤した期間であった。

お母さんも、母乳による痛みだけでなく、さまざまな葛藤を抱えた期間であった。

 

でも、こうして今の母体の状況、あかちゃんの状況を踏まえた上で、

今の僕たちにとって、適切な授乳の方向が見えてきたように思う。

 

最初から完全母乳と決めるわけでもなく、ミルクと決めるわけでもなく、

まずはできる形で2週間続けてみて、

さまざまな想いが湧いてきた。

その想いと向き合いながら、

あかちゃんの成長と、自分たちの想いに折り合いをつけていく。

 

自分たちの想いに折り合いをつけながら、

自分たちの今の状況に応じた形を見出していくことは、

授乳という初めての体験の中で、妻とあかちゃんと僕という3人でできることではない。

 

助産師さんという存在が間に入ってくれながら、

助産師さんが全てをきめるわけでもなく、

自分たちが体験し、試行錯誤しながら、

適切なタイミングで専門性を生かしてサポートしてくれる。

 

助産師さんという存在は、

お医者さんとか先生とか何かを教える存在ではなく、

その当事者(お母さん・あかちゃん・旦那さん)の今を受け入れながら、

その声を聞きながら、関係性を調整したり、

方向性を一緒に導いていく、そんなファシリテーターのような存在なのだと感じずにはいられない。

 

 

** ** **

 

あかちゃんは、よく泣く。

小さい体から発せられる鳴き声は、

とてもパワフルだ。

 

そんな泣き声が、可愛く感じる時もあれば、

うるさい!と感じる時もある。

 

それは、自分の状況によって変わる。

 

自分の状態が安定していれば、かわいいとさえ思えるし、

自分の状態が不安定であれば、うるさい。と思う。

 

とにかくあかちゃんはよく泣く存在だ。

 

そんなあかちゃんが泣いた時、

ミルクが足りてない。オムツ変えてあげなければ。と考えがちだ。

だけれど、泣くことの意味は、ミルクとおむつだけではない。

 

今晩、授乳を終え、うとうとしているあかちゃんを見て、

よし、今日の夕食をふたりでゆっくり食べられそうだ。と思った。

 

あかちゃんを、食卓からすこし隠れた所にある

布団に寝かして、夕食をとりはじめた。

 

すると、間も無くあかちゃんがぐずり始める。

 

あれ、さっきミルク飲んだじゃん。

おむつも替えたよな。

 

あぁ、なぜ泣くんだよ。と思う。

 

だけれど、もう、抱っこしながら夕食をとるのは嫌なので、

食卓の真横の床に、布団もひかずぽつんとただ寝転ばした。

すると、あかちゃんはすぐに泣きやんだ。

 

寝心地わるそうな床にポツンと置かれているのに、

あかちゃんの機嫌はすぐに回復。

僕と妻の顔やあたりを見回しながら

きょろきょろ一人で時間を潰してくれた。

 

きっと、ひとりでいるのがいやだったのだろう。

同じ空間にいたかったのだろう。とあかちゃんを見ながら思った。

 

そして、泣くことの意味を簡単に決めつけてはいけないとも思った。

 

泣くことは必ずしもミルクの要求でもなく、

おむつの不快感でもない。

 

その時、その時のあかちゃんの泣き声に耳をすまし、

泣き声の意味はわからなくとも、

泣き声の意味を決めつけない。そんな姿勢も大切だなと感じた一コマであった。

ここ数ヶ月間のらくだの状況より

ここ数ヶ月、らくだの学習はストップしたままでしたが、

2週間ほど前から、オンラインでの入室を再開させてもらった。

 

 

この数ヶ月間は、プリントにほぼ取り組まずに経過していった。

 

プリントができない日々が続くと、

「プリントをやらなくては」という気持ちや

「プリントにどうしたら取り組めるのだろうか?」という問いが生まれてくる。

 

この数ヶ月間もそういう状態であった。

(そんなことすら思わない日も多くあった)

 

でも、そうやって感じながらプリントに取り組むと、

なんだか心が乗らない自分がいることに気づいた。

 

結局、記録表が埋まるために、

合格できなくてもやれば、続けたことになる。

そんな思いでいつしかプリントに向き合っていた自分がいた。

今は、高校のプリントに取り組んでいることもあり、

1枚のプリントをクリアするのに時間がかかる。

 

だから、毎日クリアできた喜びがやってくるわけでもない。

 

さらに1枚取り組むには時間がかかりすぎるし、

小分けにプリントに取り組んだりすると、

自分の「変化(できるようになった実感)」が感じられなくなっていたように思う。

 

久しぶりにプリントに取り組んで感じたことは、

計算を解いていくことは楽しいことであるということ。

 

できなかった問題を、

回答を見ながら直してでも、

それが理解できたとき、それはやはり嬉しい。

 

僕は、プリントを続けることにこだわって、

プリントを「続ければいい」に置き換わり、

できないことができるようになる喜びや、

昨日の自分よりも、少し前に進んだ喜び、

今日は、昨日より調子が悪かったなという実感、

そういうプリントを取り組むことから生まれてくる何かを掴むことを忘れていたように思う。

 

 

せっかくここまでやらない期間が続いたのだから、

もう、続けることにこだわらず、

1枚のプリントを通して、

自分が充実感を感じられるような取り組み方ができればいいと思う。

 

それが結果的に続けられるということにつながるかもしれない。

 

今、この状況で続けることにこだわったところで、

もうすでにこんなにやれていないのだから、

これ以上こだわりすぎるのは、難しい。

 

それよりも、昨日できなかった問題が1問でもできるようになること。

昨日よりも少し早く解けるようになること。

そういうところをもっと大切にしていけたらいいと思った。

今までみていた授乳はなんだったのか *誕生~生後2週間*

赤ちゃんが生まれてすぐ、赤ちゃんへの授乳の仕方を教えてもらっていた。

あかちゃんがおっぱいを吸う姿は見たことがあった。

だからあかちゃんが「おっぱいを吸う」ということは

あかちゃんと、お母さんのおっぱいがあれば、

普通に行われることだと思ったいた。

 

だけれど、あかちゃんへの授乳の指導をしてもらうと、

それはお母さんと、あかちゃんの絶妙な関係から成り立っていることなのだと知った。

 

お母さんのおっぱいから出る母乳は

あかちゃんに吸われることによって、

より作られていくらしい。

 

あかちゃんも吸い方がだんだんとうまくなっていくらしい。

 

あかちゃんがお母さんのおっぱいに「ぱくっ」と吸い付く。

そのタイミングや、お母さんのおっぱい、あかちゃんの口のポジション、

すべてが絶妙な関係性の中で成立する。

 

いままで普通に成り立っているとおもっていたことが、

ここまでお母さんと赤ちゃんが歩み寄り成立しているとは正直驚いた。

 

そして、その関係は、母乳が出るおっぱいや、

赤ちゃんに吸われても耐えうる乳首の状態、

赤ちゃんの吸う力、

二人の身体を土台に成り立っている。

それはものすごく貴重で尊いことなのだと感じた。

 

今まで普通に見えていた光景であったけれど、

そんな普通に見えていた光景の奥に

母さん、赤ちゃんの背景にはさまざまな苦労や葛藤がある。

そう知った時、自分の普通に見えていた光景は

とても貴重でかけがえなのない光景に変わる。

 

これは授乳に限った話でもないだろう。

今の自分には普通に見えていること光景も、

その奥にはさまざまな人の想いや苦労、喜び、たくさんのものが隠れている。

 

普通の光景というものはなく、

普通の光景と見ている自分だけがいる。

 

そんな普通の光景が、

かけがえない貴重な景色に変わっていくことは、

楽しさや喜び、嬉しさという言葉を超えて、

より自分の日常を豊かにしてくれるものなのだと感じた。

出産を終えて

赤ちゃんが無事生まれた。

3/29は満月。妊娠期間中から、29日の満月の日に来るんじゃないかと二人で話をしていたら、
日付が変わってからお腹に張りが出てきて、深夜2:00頃に破水。

すぐに助産院に電話をし、
入院の支度をして3:00頃に診察をしてもらった。

出産後に教えてもらったのだけれど、
午前3:48に満月を迎えたそうだ。

3:00の診察時には、子宮口のひらきは2指程度であったが、
陣痛は徐々にはじまっているようだった。

まだまだ時間がかかるとのことなので、
一旦帰宅をし、朝食を済ませて6:30にまた助産院で診察をしてもらった。
7:00ごろから陣痛が強まっていった。

かなり辛そうではあったものの、
陣痛が痛み、そして和らぎ、、、の連続で、助産師さんがそばにいてくれて、
呼吸の声かけをしてくれて、
陣痛の波を、だんだんとうまく乗り越えていっている様子であった。

陣痛時、助産師さんがいると、陣痛をうまく乗り越えていく。
だけれど、助産師さんがすこし外れてふたりになると、呼吸が一気に乱れてくる。
二人になったとき、その場にあった安心感が一気に消えてしまう。
助産師さんと同じ声かけを僕がしても、あまり意味がない。

それだけ助産師さんの存在は大きかった。
人の存在によって、「場」はものすごく変化することを感じた瞬間であった。

陣痛の強さはどんどん強まっていき、その感覚も徐々に短くなっていった。

赤ちゃんは徐々に下に降りてきているようだった。赤ちゃんの状況は僕はよくわからず、
助産師さんが状況を度々教えてくれた。

妻も来ては去っていく陣痛に本当に命がけで向かっていて、
状況はかなり過酷なように僕にはうつっていたけれど、
助産師さん3名の姿から感じとれる余裕が、僕を安心させてくれた。

何気なく、場を和ませてくれる声かけや、
適切な状況説明、3人の助産師さんが妊婦さん、赤ちゃん、夫、
それぞれの立場や想いを感じ、考え、
なるべく安心できる場を作ってくれていることがとても伝わってきた。

出産は本当に苦しくて、大変で、命がけなことである。

ただ、これだけまわりにいる人が想ってくれて、
みんなで作る空間の中で産む経験は、
もしかしたら「産む」こと以上に、何か妊婦さんが受け取っていることがあるのかもしれないとさえ思った。

旦那の僕は、産むという苦しみの中に立つことはできない。
産むのは女性であり、出産の場は、その女性の力次第だという気持ちも心のどこかにあった。

だけど、こうやって1つの命を生み出す場に居合わさせてもらうことができ、
その力は一人の女性の中にあるものではなく、
その場によって、生まれてくるものがとても大きいと感じた。

だからこそ、出産を終えた今、
僕は出産において何もできなかった。という実感はあまりなく、
その命がけの場に、自分がいたことの意味が、どこかにはあると感じている。

そして、出産はひとりの女性がするものではく、
ひとりの女性の中に命は宿るわけではあるけれど、
それを生み出す「出産」は女性一人でするものではなく、
あらゆる人の立場や役割によって生まれる「場」をとおして、
みんなで行われるものなのだと感じている。

15:10に赤ちゃんは誕生した。
母体から出た瞬間、妻と僕とで取り上げさせてもらった。
まだ、赤ちゃんの体は薄暗い紫色で、体はぬるぬるであった。ものすごく暖かく、何か臓器のようにもみえた。
取り上げた瞬間にあのどこかで聞いたことのある「おぎゃー」という声をあげた。
泣いたときの体の振動と体の柔らかさ、ヌメヌメ感、とてもか弱そうな身体から出される力強い産声。

取り上げた瞬間、涙も出ず、ただその手の中にある赤ちゃんの存在に圧倒されていたのと同時に、
長い出産がようやく終わったという達成感、妻の「終わった」というなんとも言えない表情が印象的だった。

そして、二人でへその緒を切った。
僕は妻と赤ちゃんをつなぐへその緒を持って、
妻がハサミで「ジョキジョキジョキ」とへその緒を切った。
切ったところからは、綺麗な血が出てきた。

そして赤ちゃんは、母体からはじめて離れ、ひとりになった。

誕生後、赤ちゃんがお洋服を着せてもらっている間、
妻の胎盤を見せてもらい、ビニール手袋をはめて触らせてもらった。

弾力ある胎盤が役割を終え、シートの上に置かれていた。
妻と赤ちゃんと胎盤、約10ヶ月ひとつの身体の中で同じ時間を過ごしていたものが、
全て別れ、ひとりになった。

出産を終え、横になっている妻、赤ちゃんの世話をする助産師さん、
片付けをする助産師さんの横でポツンとシートの上に置かれ、
だんだんと暖かさが失われていくその胎盤がちょっぴり切なかった。

そんな形で、出産を無事終えることができた。

妊娠発覚から、つわりを乗り越え、日々変化する身体の変化、それに伴う心理的負担。
そしてただでさえ不安を抱えがちな妊娠生活の中でのコロナ騒動。
そんな状況をなんとか乗り切ってくれた唯ちゃんと、
いつもよく話を聞いてくれて、出産までの過程を寄り添ってくれた助産師さん
そして、母体の中で育ってくれた赤ちゃん、そして、母体という身体へ感謝したい。

出産は終わり、そしてまた新たなスタートがはじまっている。

妊娠・出産も、楽しいことよりもつらいこと、不安なことの方が多かった。
だけれど、だからこそ触れられたもの、出会えた人、体験できた場があったように思う。だからこそ目の前のことがどれだけ大変で辛くても、それなりに、できる中で向き合って、進んでいけたらいいと思う。

そして、その過程の中で触れられたものに気づける、感じられる自分でいられたら。と強く願う。

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2021/1月 らくだメソッド学習のふりかえり

1月のらくだメソッドのふりかえりを書こうといいながらも、結局、今日になってしまった。

ここ最近も、らくだのプリントはなかなか取り組めない日が続いている。

 

できない体験が大切と思いながらも、

なかなか振り返りすらできていない日が続いていた。

今日は2月13日であるけれど、

1月のらくだメソッド学習の振り返りをしたいと思う。

らくだの学習状況は、1ヶ月間で15日間プリントに取り組んだ。

取り組んだ内容は、1日1枚ではなく、数問しか解いていない日、名前だけ書いた日、直しだけの時など、さまざまである。

高校プリントに入って内容が難しくなってきているが、

今の自分がプリントに取り組めていないのは、あまり問題の難しさは関係ないような気がする。


プリントの難易度というよりも、
自分自身の日常の過ごし方が、
かなり余裕がない状態にあるように感じる。

1日の中でやらなければいけないことや、やりたいことがあるなかで、
どうしてもそれらを優先的に行ってしまう。

優先順位を自然と自分のなかでつけていて、
仕事や家のこと、誰かからの頼まれごとは自然と優先順位が高くなる。
そのことによって、らくだのプリントに取り組むことは、
その優先順位によって、下がっていく。

優先順位の高いものから取り組んでいくため、
らくだのプリントができなくなる。

そんな流れになっているような気がする。

けれど、それは後から付けた言い訳のような感じもする。実際、プリントをやれる時間はたくさんあったし、なんとなくネットをみたり、ぼーっと時間を過ごしていたことはたくさんあった。

らくだメソッドより優先順位が高いものがある ということを理由に、
自分自身がプリントから目を背けているような気もしてならない。

自分は、自分が見たくないものを見ないように、
うまく自分を騙すことができる。そんなことも今の自分から感じる。

どうして、こんなにもプリントに取り組むことがハードルが高いのだろうか。
プリントを開いて、名前を書いて、ストップウォッチを押して、解きははじめる。

ただそれだけのことなのだけれど、
それができない自分がいる。

でもこれは、らくだのプリントだけに言えることでもないように思う。
仕事や家の中でも、なかなか体が動かなかったり、
いつまで経ってもやろうとおもってやってないことが多い。

そういう状況の中に今の自分があることすら、
きちんとこうやって振り返らなければ受け止められないのかもしれない。

そして、今こうやって書きながら、その自分を受け止めているのかすらよくわからないけれど、
自分は今の状況をもう少しよくしたいというか、もうすこしよくなるだろ。と思っているのは確かである。
一気には変えることは難しいかもしれないけれど。

** 

何か変化をつけたほうがいいのかもしれない。

プリントの種類をすこし変えてみたり、
小・中学プリントと高校プリントを日によって変えてみたり、
もっと自分が学習に対して向かっていけるように、
今の課題は高校プリントだけれど、そこにもっと向かっていけるように、
簡単にできるプリントに取り組む機会をあえて作ってみたり、
自分に対してもっともっといろんな提案をしていけたら、
状況は変わってくるかもしれない。

そんなことを書いていて思った。

もし、目の前になかなかプリントに取り組みたくても取り組めない子がいたときに、
自分はどうするだろう?

その子ができるプリントをやってみる?と提案したり、
5分だけ取り組んでみようか?とか、
その子の状況をみて、いろいろ提案してあげるかもしれない。

そうやって、子どもと適度に距離感を保ちながら、
近すぎず、遠すぎずの距離感で接するだろう。

そんな風に、自分自身にもいろいろな提案をしてあげたいと思う。

今の自分は、ちょっと放任的というか、自分自身との距離が遠すぎるような気がした。



10月振り返り (学習する権利の保障)

 

すこしずつではあるが、

毎日プリントに向き合うことのできた2週間だった。

 

先回の振り返りにコメントをいただいて、

自分で学習量を決めることができるということに対して、

無自覚的で、いつの間にか1日1枚のプリントをやることだけに

とらわれていた自分がいたように感じた。

 

(この2週間は、まずは毎日プリントに取り組むということを自分の中で決めていたようにも思う)

 

この数ヶ月を振り返ると

「1日に1問でも毎日やる」という設定をつくれば、

できる日はもっとあったと思う。

 

そして1問でも積み重ねていけば、

いつか自分のつくった設定に物足りなさが生まれるかもしれないし、

1問でもできない状態だったら、

まずは名前だけでも毎日書くという設定にしたくなるかもしれない。

 

ここ数ヶ月の僕は、「1日1枚」という原則のみに自分の出来事を当てはめてみていたようにも思う。今の僕は毎日プリントに取り組むことは前提であると思うけれど、この学習の中で、変えていい部分、変えてはいけない部分を自分がどう決めていくのか?ということも、いつも自分に問うことが大切なのだと感じた。

 

自分の状況も毎日毎日変化している中で、

「毎日取り組む」という変わらない原則があるから見えてくることもある。

ただ、それだけだとどうしても、

自分の状況と変えてはならない原則との距離が生まれてしまう。

そうすると、いつか原則は変わらずあるのだけれど、

自分ごととしてはほど遠く、

自分の中から消えていってしまう。

 

だから、自分の現状に応じて

変えてもいい原則を自分で決めること

の両面がなければいけないということを感じた。

 

結局自分の今の現状、自分の身の丈からかけ離れている原則は

原則としての意味をなさないようにも思う。

 

 

「1日1枚」という原則に意味があるわけではなく、

その原則を通して、自分が見えて来るわけであって、

そこから生まれた自分

をどう見つめていくのか、どう活かしていくのか?ということが、

もっとも重要なことなのだと思う。

 

コメントをいただいたように、

決められた「原則」にとらわれない姿勢がやっぱり重要性だ。

 

でもじゃぁ、どうやって、自分で決めていけばいいのか?

という問いが残るのだけれど、

それもまた、自分の今の状況や自分がこの学習を通して学びたいのか?ということによって、異なってくるのだと思うし、

その部分で、自分はどう決めて、どう取り組んでいこうか?というような

自己との対話を止めてはいけないのだとも思う。

 

そして、仮でもいいから決めてみて、取り組んでみる姿勢が重要だ。

 

今の僕にとって、

このプリントに「毎日取り組むこと」は、

「変えてはいけない原則」なのだと感じている。

そして、取り組む量は1日1枚でなくても、

1日1問でもいいと思っている。

 

まずはそこからまたやり直したいと思っている。

 

だけど人によっては、1週間に1回でもいいと思うし、

それは人それぞれで、自分の決めた原則の上でやってみる。そしてできるようになったら、また自分で決めて、やってみる。

その繰り返しでいいのだと思う。

 

** ** **

 

こうやって振り返ってみると、

 

「どの教材を、どのぐらいの分量で、どのように学習するかなど、最終的に決める権限は学習者自身にある」(学習する権利の保障)という考え方 というコメントをいただいて、この学習がシンプルな形な上に、「決めることができる範囲」が学習者に残されていることに気づいた。

 

どの頻度で取り組むのか?

どのプリントを取り組むのか?

何問取り組むのか?

何時に取り組むのか?

どこで、どうやって取り組むのか?

 

そうやって、1つの学習教材の中で、

あらゆる選択肢がある。

 

「決めることができる範囲」を残すことは、

(学習する権利の保障)と言えるようにも思う。

 

そう思うと、どれだけ「学習者が決めることができる範囲」を残すことができているだろうか?

 

「勉強する?しない?」という問いかけは、

果たして、「学習の権利を保障した問い」と言えるだろうか?

 

子どもがやりたい学習を、やりたいようにやらせる関わりを、

「学習の権利を保障した関わり」といえるだろうか。

 

 

そう問いかける前に、関わる前に、

もっとできることがあるはずだと思った。