そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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長男、こども園へ入園

今年の4月に、長男ほかちゃんがこども園へ入園した。

3月末の早生まれなので、先月3歳になったばかりである。

僕は基本的には自宅で仕事をしている。
だからこの3年間はほぼ毎日一緒に時間を過ごした。

4月1日から子ども園へ毎日行くことになって、
ほかちゃんが子ども園へ行っている間の我が家はとても静かだ。

こんなゆっくりした時間を過ごすのは久しぶりだ。
この時間がうれしい反面、ほかちゃんとあれだけ濃密に、ずっと一緒に過ごせる期間はもう終わったのだということへの寂しさのような、せつなさのような気持ちもある。

子どもと一緒にいられる時間って意外と少ないんだ。

これまでの母と子、父と子の関係中心の日常生活から、
家族以外の人との関係が日常の中心となる生活へと変わった。

1つの区切りを迎え、ほかちゃんにとって次なるステージに進んだのだろう。
ほかちゃんだけでなく、僕らも。

寂しさのような気持ちもあるけれど、
この3年間、毎日一緒にいられるその時間をやり切ったという実感もある。

子どもと一緒にいることがこんなにも
肉体的にも精神的にも大変だと知らなかったし、
はやくこども園へ入園してほしいと思ったことも何度もあった。

でも、今こうして3年間を振り返ってみると、
すべてが初めての体験で、
苦しかった時間、不安だった時間、目の前のことに必死過ぎたその時間が
今の僕にやり切った感覚、充実感を与えてくれているようにも思う。

苦労の中にいること、
とにかく必死に毎日を生きること。
その時間の中にいられることは
もしかしたら豊かなことなのかもしれない。

でもそれはすべての苦労に共通していることであるとは思わない。
苦労から逃げることもまた重要だと思う。

でも、自分が大切にしたいこと、自分が選んだこと、
誰かと丁寧に話し合って決めたこと、
そういうプロセスによって、
苦労や必死さから得られるものは変わってくるのだと思う。

といっても、また新たなステージに進めば、
その都度その都度、大変なこと、苦労は多い。

でも、その大変なことを自分らしい、
自分たちらしい苦労として体験できれば
それは自分たちの豊かさとつながっているのだと思う。

だから毎日毎日、子どもと向き合うことと同じくらい、
自分自身や唯ちゃん、家族と向き合うことを忘れてはいけないとも思う。