そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

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ブックカバーチャレンジ 7日間で紹介した本

2020/6/1 DAY1

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蒲原でバックパッカーズホステルをやっていて、たくさんお世話になっている、こうせいさん さん からバトンもらったので、本の紹介と、最近近況もアップできていなかったので、近況も合わせて7日間アップしたいと思います。

 
1冊目:池田晶子 『14歳からの哲学』
大学時代に尾関さんが紹介していたのをきっかけに読んだ本です。哲学なんて全然触れたこともない自分が初めて読んだ哲学の本です。
ものすごく読みやすそうに思えて、読んでいくとよくわからなくなったり、自分が見ている世界に疑問が生まれてきたり、考えることって面白いし、不思議だし、なんか気持ちがすこし楽になったりした思い出があります。
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「自分とは誰か」
・・・
君はずいぶん混乱しちゃっただろう。でも、だとしたら、それでいいんだ。なぜって、その通りだからだ。「自分とは何か」を正しく考えていけば、必ずこういうわけのわからないことになるからだ。ああわかりました、つまり自分とは何かなんてわからないってことなんですね、なんていうようじゃ君はちっともわかってないってことなんだ。「わからない」と感じることを、どこまでも考えてゆくようにしてください。「わからない」ということは、答えではなくて問いなのです。君が毎日やっているその自分とは、本当は何なのか、知りたくないはずはないでしょう。
そんなべつに知りたくないよって言っているヘソ曲がりの君、もしも君とは、君が単純に思っているように君の体だとしたら、体が死んだら君は死ぬよね。でも、もし君とは君の体じゃないとしたら、体が死んでも君は死なないことになるのだけれども、それとも、そんなこと知りたくないかな。
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2020/6/2 DAY2

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2冊目:よしもと ばなな 『海のふた』

ぼくが書いている「そのまんま太郎のブログ」は、最初はよしもとばななさんの本の感想限定でアップするというルールでスタートしました。そうすればいつか、ばななさんの目にとまるんじゃないか!?という企みからはじまりました。結局、そのルールは自然と崩れていき、今のブログの形になっていますが、それだけ大学時代から、ばななさんの作品が好きで読んできました。

初めてよんだ『キッチン』も、『TSUGUMI』も、『サーカスナイト』も、『体は全部知っている』・・・とか、好きな作品がたくさんあります。その中でも、この「海のふた」はものすごく心に残っています。今回、こういう機会をいただいて、あらためて手に取るとやっぱり自然と引き込まれて読んでしまいますね。
最近はあまりばななさんの作品読んでないけど、今日読み返してまた読みたくなってきました。

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・・・
それでももっと大きな何かの前では、はじめちゃんが言うとおり、私は流されていくだけだ。このひとときさえ、いつかまた泣かせる思い出になっていく。
 だからこそ、大したことができるとは思ってはいけないのだ、と思えることこそ好きだった。私のできることは、私の小さな花壇をよく世話して花で満たしておくことができるという程度のことだ。私の思想で世界を変えることなんかじゃない。ただ生まれて死んでいくまでの間を気持ち良く、おてんとうさまに恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊たちの言葉を聞くことができるような自分でいること。この世が作っている美しいものを、まっすぐな目でみつめたまま、目をそらすようなことに手を染めず、死ぬことができるように暮らすだけのこと。
 それは不可能ではない。だって、人間はそういうふうに作られてこの世にやってきたのだから。
 そして、そんな暗く真実に満ちた言葉を口にしながらも、はじめちゃんはいつも透明な目をして、見えるもの全部をすうっとみつめているようにも見えた。その姿勢は私の後ろ向きなぐずぐずした未練とは違って、今、まさに目の前にあることを見ようとしている強さを感じさせた。

・・・生きていることが本気で嬉しかったって本当の本気でいつも言ってくれた。だからわたしはゆがまなかった。私はどこに流れてもいいんだ。そこでいいふうにしていくから、そしてどんどん思い出を作り出す。 ・・・

2020/6/3 DAY3

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3冊目:川口由一『妙なる畑に立ちて』

大学時代に辻信一さんの書かれた『スローイズビューティフル』で、川口さんの存在を知りました。

将来のこと、仕事のこと、暮らしのこと、お金のこと、そういったことを考えざるおえない時に、その前に「生きること」「自らの答」について深く問うことからはじめよう、はじめていいんだと思わせてもらえたように思っています。

自然農の実践は、「農」という領域におさまらず、
教育や医療、芸術、自然環境など、さまざまな領域と深く繋がっていくと感じています。
今年で6年目となります。自然農の田畑でも、豊かな学びを続けたらと思っています。

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この美しい地球で、この妙なる宇宙生命の中で、人はどのように生きていくのがいいだろうか・・・。日々の食べ物を得るには、どのようなものであるのが最もいいのだろうか・・・。このことは私たち人間が好むと好まざるとにかかわらず、必ず問わねばならず、そして誰しも多かれ少なかれ、深かれ浅かれ問うており、答を出しての生活であり人生であります。
 そうしてよくみれば、一人一人が本当に正しい答えを得なければ、決して心安まらず魂救われず、心身健康にして一生を全う出来ないようになっております。
 私たちがこうして人間として生命をいただいた時にこの問題を一人一人に手渡されており、一人一人が得る答に応じて幸福をいただけるようにもなっております。

・・・ 孤独の中で、混沌また混沌の青年期には必死で人としてのあり方、生き方を問い続け救われることを求め続けて、ようやく青年期後半に至って農の道、芸術の道、医療の道、そして人の道への答を、少しずつ少しずつ見出しながら生きていけるようになってまいりました。

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2020/6/4 DAY4

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4冊目:平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』
大学卒業後に、ことばこ(現:学習塾「ことばこ」)のスタッフとして活動した1年目にコーディネーターとして関わった企画が、井上淳之典さんを講師として行った「教えない教育全10回講座」でした。(講座プログラムはコメント欄へ記載しました)
教育のフィールドで何十年と活動してきた井上さんの全10回講座は、今振り返ると、何かを獲得するという講座よりも、今の自分の現状を把握する、そしてそこから自分自身の問いが湧き出てくるくるような講座だったように思います。
全10回の講座を受けて、何かが「わかった」というわけではなく、「わからない」という自覚の方がより強くなりました。言い換えれば、より学びたい。という気持ちが芽生え、そこから自分自身の学びがはじまった機会だったと思っています。
そんな井上さんが主催している寺子屋塾で、主軸としていのが、この平井雷太さんが考案された「らくだメソッド」です。
コーディネーターを終えたら、とりあえずらくだメソッドやってみよう。という気持ちから、2016年10月から井上さんの主催している寺子屋塾へ通塾する流れになりました。
(らくだの学習で学びはブログで「らくだメソッド」や「考現学」というカテゴリーをつくってまとめています)
らくだメソッドも実際にやっていく中でしかわからないことがたくさんですし、この本に書かれている内容も、その体験を土台にだんだんと理解が深まっているようにも感じています。
引越し先の新たな場で、新たに場づくりもしていこうと思っています。
今後も、この本からヒントをもらいながら、進んでいけたらと思っています。
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プロローグ
・・・
この本は、この詞がどんな背景の中から生まれてきたのか、それを説明するために生まれてきたような気がしています。そう考えると、この本は「新・教育者宣言」という言葉によって書かされた本のような気がするのです。
『新教育者宣言』
人を教育によって変えられると思っている人は
教育者ではない
この子に私が必要だと思い込ませて
あなたのおかげで今があると思い込ませて
人の心をからめとっていく人も教育者ではない
人から感謝され尊敬される人は教育者ではないのだ
教育者とは、いついかなる場所に立ったとしても
そこに育ちたいと思っている人がいたとき
その人が何々ができる、できないと無関係に
その人が潜在的にしたいと思っていることを
スッと提案できる人なのだ
相手がその提案にのらなくても何の不満も残らない
相手が提案にのって
何かができたとしても決して恩を売らない
たまたま、その人が勝手にその提案に乗っただけ
私と無関係と心底思える人が教育者だ
そんな人がいる場所には主従関係も奴隷関係もできない
似たもの同志で群れることもない、セクトもできない
時間と空間を越えて、個と個の関係だけができていく
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2020/6/5 DAY5

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5冊目:四宮 鉄男 『ベリーオーディナリーピープル とても普通の人たち』
5冊目は、北海道浦河のべてるの家の本「ベリーオーディナリーピープル」です。
いつごろいろんな本で、「べてる」という言葉をよく目にするようになりました。そうしているうちに僕はだんだん「べてる」にはまっていきました。笑
名古屋にいた時には、べてるの家ドキュメンタリー映画「ベリーオーディナリーピープル」の上映会を中村教室にて、2ヶ月に1回のペースで行わせていただきました。
全8編の内7編の上映会であったので、長丁場ではありましたが、「べてる」を通して繋がれた皆さんもたくさんいて、とても貴重な会でした。
(上映会の参加者の感想はコメント欄へ)
この本は、そのドキュメンタリー映画を撮られた四宮鉄男監督が書かれた本であり、べてるに流れる空気が文章をとおしてよく伝わってくるように思います。
目次だけでも、べてるワールド全開なので、引用は、目次のみとします!
今月から、当事者研究会として細々と会を開いていく予定です。静岡でも、べてるや当事者研究に興味がある人は、ぜひメッセージお待ちしております。
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序章 べてるの家を撮りつづけて
第1章 ようこそ、べてるの家
第2章 ミスターべてると仲間たち
第3章 弱さを大切に!
第4章 リハビリテーションより商売
第5章 安心してサボれる会社づくり
第6章 治せない医者、治さない医者
第7章 幻聴、妄想、その豊かな世界
第8章 三度の飯よりミーティング
第9章 話すことから始まる回復への道
終章 不思議の家、べてる
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2020/6/6 DAY6

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6冊目:菊谷倫彦 『無名なものの詩と革命』 孫世代からみた吉本隆明
6冊目は、菊谷倫彦 『無名なものの詩と革命』です。
中村教室で吉本さんの存在を知ったのですが、
あの、ばななさんのお父さんと知ったときは、
びっくりしたけど、なるほどーと納得感もありました。
この本の中で著者である菊谷さんが書かれていることばに、
「自分で考え、自分で歩むこと。これが私が吉本さんから学んだ一番大きなことでもあるからです。」とあります。
この本は、菊谷さんなりに考え、
自分の言葉で書かれているということが
ものすごく伝わってきます。
(まだ読み解けないとこたくさんありますが)
吉本さんが残された、共同幻想論や心的現象論なども、まだ読んでもまったく読み溶けませんが、この数年で、そのフレームの大枠などを中村教室での対話や、らくだの実践などを通して深めていくことがでたようにも感じています。
そのことで、自己・他者・社会への見方や、そういったものとの折り合いのつけ方も、以前よりもすこしは上手になってきたように思っています。
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あとがき
・・・
私が吉本さんに魅力を感じるのは、その思想のすばらしさだけでなく、思想家であることよりも、暮らしや家族、生業を大切にした生き方にあります。吉本さん自身が、大衆の原像としての自分、無名なものの存在としての自分を何よりも大切にし、そこに価値を置いて生きたことを一番重く受け止めているのです。
・・・
とはいえ、私は吉本さんの思想のすべてを受け入れているわけではありません。むしろ、吉本さんの次の時代を意識しているのも事実です。その不完全なかたちは本書と、いまあてもなく書かれている次の原稿で取り組んでいる最中です。
この本で書きたかったことは、生きてあること自体が力である、ということです。そこには、有名も無名もありません。ある種の無名なものの力ということです。その力は、本来は革命的な力でさえあります。それが無名なものの革命です。
無名とは、〈自然〉のことです、無名なものの詩と革命とは、〈内なる自然〉という名の理想を感じとり、生きる個のリズムと力のことです。〈自然〉は〈自由〉と言い替えてもかまいません。
知識人や有名人が一元的価値をもつ時代は終わりました。これからは、多元的価値をもつ無名なものの時代だとおもいます。それは個による〈自然〉の時代であり、〈理想〉の時代です。本当の意味のアニミズム(人間もふくめたアニミズム)の実現の時代でもあると思います。もともと、大衆の原像も、無名なものの存在も、その本質は“〈内なる自然〉を生きている人”といえるかもしれません。そして“無名なもの”とは、私たちのなかにあるふるさとであり、ユートピアです。私たちがやってきた、懐かしい場所でもあります。
・・・
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2020/6/7 DAY7

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7冊目:古谷暢康 『最初に読む料理の本』 
7冊目は、昨年出会った『最初に読む料理の本』です。
この本は自分の感覚で自由に料理ができることを目的としており、書かれているレシピの内容は、最低限の内容になっています。
本の冒頭は、「料理が下手な人はいない」というコラムからはじまります。
このコラムをよむと、僕が日頃書いている考現学について、らくだメソッドの平井さんの「書けない人はいない」という話を思い出します。
文章が「書けない」とか「書くことが下手だ」と思っている人でも、考現学は書けてしまう。それは、何かうまく書こうとか考えずに、「今自分が感じていること、考えていること、今ここから書いてみる」
そうすると自然と書ける状態になるといいます。
「できない」とか「下手」とかいうのは、
自分自身から離れた自己への評価であることが多くて、
自分に沿って、自分自身の感じることに沿っていけばいいのだと思います。
美味しいなんて基準は、一人ひとり違うのだから、
大さじ1でも大さじ2でも、大さじ0.5でもよくて、
自分の「美味しい」と感じる、自分の体が喜ぶ量を、
自分でつかんでいけばいいのだと思います。
この本は、「料理」という入り口から、
料理をこえて、あらゆることにつながる気づきをあたえてくれる本だと思います。
発行しているまなびおむすびの「おむすび文庫」というコーナーでも紹介させていただきましたので、そのコラムも合わせてコメント欄にて紹介させていただきます。
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「料理がへたな人はいない。いい素材を手に入れさえすれば誰にでもできる。料理法は素材が導いてくれるので、常識にとらわれず自分の感覚を磨いていけばいい」
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