そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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子どもとの生活考現学 現状把握について

現状把握


自分ひとりで生きているわけでもなく、
自分ひとりですべてが完結するわけでもない。

僕が体調を崩せば、
妻が僕の代わりに子どもをみてくれるだろうし、
その逆もまたある。

子どものお世話をしていたとしても、
そのお世話は、子どもの成長によって、
一か月後には必要なくなることだってある。

自分の状況は、自分に関わるあらゆる人の状況と絡みあっている。

家族、仕事のパートナー、友達、近所の人、あらゆる関係性が身の回りにある。
その関係性には、人それぞれで、あらゆる関係性の深さがある。

今の僕の現状として、家族(妻と子との関係性)が最も深い関係であろう。

だからこそ、その家族の現状をきちんとつかめなければ、
自己(自分と自分)との関係性も難しくなる。
つまり、自分自身に心理的負担、身体的負担が大きくのしかかるのだろう。

日々、妻も子も変化している。
数か月前にはつわりで大変だった妻も、
体調が安定してきていたり、
また違った身体的負担が出てきていたりする。

子どもも数か月前とは全く違った状況にある。
できなかったことができるようになったことはいくつもあるし、
必要なくなった僕らのお世話もある。
また違ったお世話が生まれることもある。

そうやって日々自分のまわりの状況が変化し
お互いが必要とすることも変化し、
必要だったことが不必要になっていることもある。

必要な手助けも、自分が求める手助けも、
時間の使い方も、日々変化していかなければならない。


その状況をまず見つめなければならない。
自分だけのことでおさまらないのであれば、
必要な相手と、必要なだけ時間をとって話し合わなければならない。

時間がなければ時間をつくって
相手と向き合わなければならない。

必要があれば情報を共有しあって、
スケジュールを一緒に立てて、
一週間を過ごしてみる。

そしてまたそれを振り返って、
変化があったことに気づいて、
また変化していなければならない。


身近にいる人のことほど、
わかったつもりになってしまう。
これだけ時間をともにし、
相手のことを見ているからそう思ってしまうのかもしれない。

だけれど、それだけ時間を過ごすからこそ、お互いが影響しあう。

だからこそ、もっと相手を知らなくてはいけない。

自分が見ている相手の姿だけでは、
相手を理解できているはずがない。

だから相手の状況を把握しようと理解しようとする姿勢、
自分は相手のことを全く理解できていないのだという姿勢、
そういう姿勢でいられない限り、
自分の現状はいつまでも把握できないのだと思う。