そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

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出産を終えて

赤ちゃんが無事生まれた。

3/29は満月。妊娠期間中から、29日の満月の日に来るんじゃないかと二人で話をしていたら、
日付が変わってからお腹に張りが出てきて、深夜2:00頃に破水。

すぐに助産院に電話をし、
入院の支度をして3:00頃に診察をしてもらった。

出産後に教えてもらったのだけれど、
午前3:48に満月を迎えたそうだ。

3:00の診察時には、子宮口のひらきは2指程度であったが、
陣痛は徐々にはじまっているようだった。

まだまだ時間がかかるとのことなので、
一旦帰宅をし、朝食を済ませて6:30にまた助産院で診察をしてもらった。
7:00ごろから陣痛が強まっていった。

かなり辛そうではあったものの、
陣痛が痛み、そして和らぎ、、、の連続で、助産師さんがそばにいてくれて、
呼吸の声かけをしてくれて、
陣痛の波を、だんだんとうまく乗り越えていっている様子であった。

陣痛時、助産師さんがいると、陣痛をうまく乗り越えていく。
だけれど、助産師さんがすこし外れてふたりになると、呼吸が一気に乱れてくる。
二人になったとき、その場にあった安心感が一気に消えてしまう。
助産師さんと同じ声かけを僕がしても、あまり意味がない。

それだけ助産師さんの存在は大きかった。
人の存在によって、「場」はものすごく変化することを感じた瞬間であった。

陣痛の強さはどんどん強まっていき、その感覚も徐々に短くなっていった。

赤ちゃんは徐々に下に降りてきているようだった。赤ちゃんの状況は僕はよくわからず、
助産師さんが状況を度々教えてくれた。

妻も来ては去っていく陣痛に本当に命がけで向かっていて、
状況はかなり過酷なように僕にはうつっていたけれど、
助産師さん3名の姿から感じとれる余裕が、僕を安心させてくれた。

何気なく、場を和ませてくれる声かけや、
適切な状況説明、3人の助産師さんが妊婦さん、赤ちゃん、夫、
それぞれの立場や想いを感じ、考え、
なるべく安心できる場を作ってくれていることがとても伝わってきた。

出産は本当に苦しくて、大変で、命がけなことである。

ただ、これだけまわりにいる人が想ってくれて、
みんなで作る空間の中で産む経験は、
もしかしたら「産む」こと以上に、何か妊婦さんが受け取っていることがあるのかもしれないとさえ思った。

旦那の僕は、産むという苦しみの中に立つことはできない。
産むのは女性であり、出産の場は、その女性の力次第だという気持ちも心のどこかにあった。

だけど、こうやって1つの命を生み出す場に居合わさせてもらうことができ、
その力は一人の女性の中にあるものではなく、
その場によって、生まれてくるものがとても大きいと感じた。

だからこそ、出産を終えた今、
僕は出産において何もできなかった。という実感はあまりなく、
その命がけの場に、自分がいたことの意味が、どこかにはあると感じている。

そして、出産はひとりの女性がするものではく、
ひとりの女性の中に命は宿るわけではあるけれど、
それを生み出す「出産」は女性一人でするものではなく、
あらゆる人の立場や役割によって生まれる「場」をとおして、
みんなで行われるものなのだと感じている。

15:10に赤ちゃんは誕生した。
母体から出た瞬間、妻と僕とで取り上げさせてもらった。
まだ、赤ちゃんの体は薄暗い紫色で、体はぬるぬるであった。ものすごく暖かく、何か臓器のようにもみえた。
取り上げた瞬間にあのどこかで聞いたことのある「おぎゃー」という声をあげた。
泣いたときの体の振動と体の柔らかさ、ヌメヌメ感、とてもか弱そうな身体から出される力強い産声。

取り上げた瞬間、涙も出ず、ただその手の中にある赤ちゃんの存在に圧倒されていたのと同時に、
長い出産がようやく終わったという達成感、妻の「終わった」というなんとも言えない表情が印象的だった。

そして、二人でへその緒を切った。
僕は妻と赤ちゃんをつなぐへその緒を持って、
妻がハサミで「ジョキジョキジョキ」とへその緒を切った。
切ったところからは、綺麗な血が出てきた。

そして赤ちゃんは、母体からはじめて離れ、ひとりになった。

誕生後、赤ちゃんがお洋服を着せてもらっている間、
妻の胎盤を見せてもらい、ビニール手袋をはめて触らせてもらった。

弾力ある胎盤が役割を終え、シートの上に置かれていた。
妻と赤ちゃんと胎盤、約10ヶ月ひとつの身体の中で同じ時間を過ごしていたものが、
全て別れ、ひとりになった。

出産を終え、横になっている妻、赤ちゃんの世話をする助産師さん、
片付けをする助産師さんの横でポツンとシートの上に置かれ、
だんだんと暖かさが失われていくその胎盤がちょっぴり切なかった。

そんな形で、出産を無事終えることができた。

妊娠発覚から、つわりを乗り越え、日々変化する身体の変化、それに伴う心理的負担。
そしてただでさえ不安を抱えがちな妊娠生活の中でのコロナ騒動。
そんな状況をなんとか乗り切ってくれた唯ちゃんと、
いつもよく話を聞いてくれて、出産までの過程を寄り添ってくれた助産師さん
そして、母体の中で育ってくれた赤ちゃん、そして、母体という身体へ感謝したい。

出産は終わり、そしてまた新たなスタートがはじまっている。

妊娠・出産も、楽しいことよりもつらいこと、不安なことの方が多かった。
だけれど、だからこそ触れられたもの、出会えた人、体験できた場があったように思う。だからこそ目の前のことがどれだけ大変で辛くても、それなりに、できる中で向き合って、進んでいけたらいいと思う。

そして、その過程の中で触れられたものに気づける、感じられる自分でいられたら。と強く願う。

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