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2021/1月 らくだメソッド学習のふりかえり

1月のらくだメソッドのふりかえりを書こうといいながらも、結局、今日になってしまった。

ここ最近も、らくだのプリントはなかなか取り組めない日が続いている。

 

できない体験が大切と思いながらも、

なかなか振り返りすらできていない日が続いていた。

今日は2月13日であるけれど、

1月のらくだメソッド学習の振り返りをしたいと思う。

らくだの学習状況は、1ヶ月間で15日間プリントに取り組んだ。

取り組んだ内容は、1日1枚ではなく、数問しか解いていない日、名前だけ書いた日、直しだけの時など、さまざまである。

高校プリントに入って内容が難しくなってきているが、

今の自分がプリントに取り組めていないのは、あまり問題の難しさは関係ないような気がする。


プリントの難易度というよりも、
自分自身の日常の過ごし方が、
かなり余裕がない状態にあるように感じる。

1日の中でやらなければいけないことや、やりたいことがあるなかで、
どうしてもそれらを優先的に行ってしまう。

優先順位を自然と自分のなかでつけていて、
仕事や家のこと、誰かからの頼まれごとは自然と優先順位が高くなる。
そのことによって、らくだのプリントに取り組むことは、
その優先順位によって、下がっていく。

優先順位の高いものから取り組んでいくため、
らくだのプリントができなくなる。

そんな流れになっているような気がする。

けれど、それは後から付けた言い訳のような感じもする。実際、プリントをやれる時間はたくさんあったし、なんとなくネットをみたり、ぼーっと時間を過ごしていたことはたくさんあった。

らくだメソッドより優先順位が高いものがある ということを理由に、
自分自身がプリントから目を背けているような気もしてならない。

自分は、自分が見たくないものを見ないように、
うまく自分を騙すことができる。そんなことも今の自分から感じる。

どうして、こんなにもプリントに取り組むことがハードルが高いのだろうか。
プリントを開いて、名前を書いて、ストップウォッチを押して、解きははじめる。

ただそれだけのことなのだけれど、
それができない自分がいる。

でもこれは、らくだのプリントだけに言えることでもないように思う。
仕事や家の中でも、なかなか体が動かなかったり、
いつまで経ってもやろうとおもってやってないことが多い。

そういう状況の中に今の自分があることすら、
きちんとこうやって振り返らなければ受け止められないのかもしれない。

そして、今こうやって書きながら、その自分を受け止めているのかすらよくわからないけれど、
自分は今の状況をもう少しよくしたいというか、もうすこしよくなるだろ。と思っているのは確かである。
一気には変えることは難しいかもしれないけれど。

** 

何か変化をつけたほうがいいのかもしれない。

プリントの種類をすこし変えてみたり、
小・中学プリントと高校プリントを日によって変えてみたり、
もっと自分が学習に対して向かっていけるように、
今の課題は高校プリントだけれど、そこにもっと向かっていけるように、
簡単にできるプリントに取り組む機会をあえて作ってみたり、
自分に対してもっともっといろんな提案をしていけたら、
状況は変わってくるかもしれない。

そんなことを書いていて思った。

もし、目の前になかなかプリントに取り組みたくても取り組めない子がいたときに、
自分はどうするだろう?

その子ができるプリントをやってみる?と提案したり、
5分だけ取り組んでみようか?とか、
その子の状況をみて、いろいろ提案してあげるかもしれない。

そうやって、子どもと適度に距離感を保ちながら、
近すぎず、遠すぎずの距離感で接するだろう。

そんな風に、自分自身にもいろいろな提案をしてあげたいと思う。

今の自分は、ちょっと放任的というか、自分自身との距離が遠すぎるような気がした。