すこしずつではあるが、
毎日プリントに向き合うことのできた2週間だった。
先回の振り返りにコメントをいただいて、
自分で学習量を決めることができるということに対して、
無自覚的で、いつの間にか1日1枚のプリントをやることだけに
とらわれていた自分がいたように感じた。
(この2週間は、まずは毎日プリントに取り組むということを自分の中で決めていたようにも思う)
この数ヶ月を振り返ると
「1日に1問でも毎日やる」という設定をつくれば、
できる日はもっとあったと思う。
そして1問でも積み重ねていけば、
いつか自分のつくった設定に物足りなさが生まれるかもしれないし、
1問でもできない状態だったら、
まずは名前だけでも毎日書くという設定にしたくなるかもしれない。
ここ数ヶ月の僕は、「1日1枚」という原則のみに自分の出来事を当てはめてみていたようにも思う。今の僕は毎日プリントに取り組むことは前提であると思うけれど、この学習の中で、変えていい部分、変えてはいけない部分を自分がどう決めていくのか?ということも、いつも自分に問うことが大切なのだと感じた。
自分の状況も毎日毎日変化している中で、
「毎日取り組む」という変わらない原則があるから見えてくることもある。
ただ、それだけだとどうしても、
自分の状況と変えてはならない原則との距離が生まれてしまう。
そうすると、いつか原則は変わらずあるのだけれど、
自分ごととしてはほど遠く、
自分の中から消えていってしまう。
だから、自分の現状に応じて
変えてもいい原則を自分で決めること
の両面がなければいけないということを感じた。
結局自分の今の現状、自分の身の丈からかけ離れている原則は
原則としての意味をなさないようにも思う。
「1日1枚」という原則に意味があるわけではなく、
その原則を通して、自分が見えて来るわけであって、
そこから生まれた自分
をどう見つめていくのか、どう活かしていくのか?ということが、
もっとも重要なことなのだと思う。
コメントをいただいたように、
決められた「原則」にとらわれない姿勢がやっぱり重要性だ。
でもじゃぁ、どうやって、自分で決めていけばいいのか?
という問いが残るのだけれど、
それもまた、自分の今の状況や自分がこの学習を通して学びたいのか?ということによって、異なってくるのだと思うし、
その部分で、自分はどう決めて、どう取り組んでいこうか?というような
自己との対話を止めてはいけないのだとも思う。
そして、仮でもいいから決めてみて、取り組んでみる姿勢が重要だ。
今の僕にとって、
このプリントに「毎日取り組むこと」は、
「変えてはいけない原則」なのだと感じている。
そして、取り組む量は1日1枚でなくても、
1日1問でもいいと思っている。
まずはそこからまたやり直したいと思っている。
だけど人によっては、1週間に1回でもいいと思うし、
それは人それぞれで、自分の決めた原則の上でやってみる。そしてできるようになったら、また自分で決めて、やってみる。
その繰り返しでいいのだと思う。
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こうやって振り返ってみると、
「どの教材を、どのぐらいの分量で、どのように学習するかなど、最終的に決める権限は学習者自身にある」(学習する権利の保障)という考え方 というコメントをいただいて、この学習がシンプルな形な上に、「決めることができる範囲」が学習者に残されていることに気づいた。
どの頻度で取り組むのか?
どのプリントを取り組むのか?
何問取り組むのか?
何時に取り組むのか?
どこで、どうやって取り組むのか?
そうやって、1つの学習教材の中で、
あらゆる選択肢がある。
「決めることができる範囲」を残すことは、
(学習する権利の保障)と言えるようにも思う。
そう思うと、どれだけ「学習者が決めることができる範囲」を残すことができているだろうか?
「勉強する?しない?」という問いかけは、
果たして、「学習の権利を保障した問い」と言えるだろうか?
子どもがやりたい学習を、やりたいようにやらせる関わりを、
「学習の権利を保障した関わり」といえるだろうか。
そう問いかける前に、関わる前に、
もっとできることがあるはずだと思った。