そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

分業されていることが多いことについて

あらゆることが分業されている。

だから、質問しても、
自分が担っている範囲のことしか知らない場合もある。
自分の担っている範囲内でしか答えられない場合もある。

分業されてしまっているがために、
みえないことがたくさんある。
それは、仕事を担っている人も、
そのサービスを受ける人も。

仕事を担っている人のなかにも、
サービスを受ける人の中にも
あらゆる疑問・問いがきっとあるだろう。。

だけれど、分業によって、みえない部分が多いから、
自分が知らなくても、理解しなくても回っていく。

いちいち疑問に思っても、
その疑問は自分の担当外であり、
その疑問でいちいち足を止めていたら、
回らなくなる。それは、他部分を担っている人への迷惑行為にもなる。

だからこそ、自分の担う範囲でのみ役割を遂行する。

そうやって、回っていることって
たくさんあるように思う。

本当は、誰一人よくわかっていなくて、理解していない。
だけれど、正しさを身につけて、
価値あることのように、重宝されていることはたくさんある。
もちろん、そういうことによって、僕自身の生活も成り立っている。

だけれど分業化されていることに慣れてはいけない。

理解しなくても、わからなくても回っていく。
その流れに身を任せることの方が、有利かもしれない。
お金ももらえるし、何か軋轢を生むこともないかもしれない。
便利で、困ることがないかもしれない。

だから、分業化の流れにのって、
自分の担う範囲でのみ役割を遂行する。
そうするとだんだんと、
自分の中の問いも消えてしまう。
考えるきっかけも、気力も失われていく。

分業化されていることに慣れてはいけない。

自分が全体を把握できる規模で、
生活すること、仕事をすること、遊ぶことが、
分業化の流れに飲み込まれないためというか、
自分で考えて、自分で判断して生きていく、
自分の日々を主体的に生きるためには
大切なのかもしれないと思った。