そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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子どもの声はどこにあるか

子どもの声はどこにあるか


マスクをはずさないこどもたち
週に1回、静岡市内で仕事があるので、街にでる。
帰りの電車で毎週一緒になる下校中の低学年の小学生集団は、みんなマスクをしている。

ぼくはマスクは息苦しくて、苦手だ。
だから、マスクをしていても、すぐ顎の部分にまで下げてしまう。


子どもたち、苦しくないのかい?
苦しかったら、といっていいんだぞ。と言ってあげたい。
マスクをつけることは学校のルールかもしれない。マスクをとったら学校で怒られるかもしれない。

もしかしたらコロナにかかることが怖くてマスクなんてとれないかもしれない。

マスク1つにおいてもさまざまな状況に置かれている。

だけど、体はどう感じているのだろう?

体の声なんて、もう聞こえてこなくなってしまったかな?

スクールに通っている子どもたちも、
コロナが怖いという。だからマスクをしている。

だけど、一方でマスクは苦しいから嫌だとも言っている。
これもまた、子どもの身体が訴えている1つの声であって、
「言葉」として発せられる言葉と同じだけ、
大切に聞いてあげたいと思う。


子どもの声を聞くということは、
発せられない言葉までも、聞くことなのだろう。
つまりは子どもの体の声を聞くこともその1つなのだろう。

人は誰かに聞いてもらえないと、
自分ですら自分の言葉を聞こえなくなってしまう。と僕は思う。

だからこそ、子どもたちの身体が感じていること。訴えていることに、
もっともっと耳を傾けたい。
そうしないと、子どもたち自身も、
自分の身体の声がきこえなくなってしまうのではないか?とも思う。

声を聞くって、そういうものなんじゃないかと思う。


とりあえず、息を吸うことも苦しくて、
苦痛だなんて、ぼくは嫌である。
せっかく秋になって、
空気も澄んでいるんだしね。