そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

型から学ぶ

「型」から学ぶ重要性を感じる。

らくだメソッドでは、
・1日1枚のプリントに取り組むこと
・プリントの記録を記録表に記入すること
・プリントを解き始める時にはストップウォッチをスタートさせること
・プリントをやり終えたら、自分で間違え直しをすること

これらは学習する上での「型」といえる。

自然農では、
・耕さないこと
・持ち込まないこと
・草や虫を敵としないこと という3原則があるが、
これも田畑をやる上での「型」といえるだろう。

インタビューゲームでは、
・「何を聞いてもいい」
・「話したくないことは話さなくてもいい」
・「聞かれていないことも話していい」

という3つのルールがあるが、これもインタビューする上での「型」と呼べるように思う。

この「型」の中で何かをやり続けることの重要性を感じる。

というのは、先日僕が書いた

「らくだの学習で変わったこと」 という記事や、

らくだの学習で変わったこと - そのまんまたろうのブログ



以前に書いた、
「インタビューゲームをこれまで体験して、自分の中に何が残ったのだろう?」

インタビューゲームをこれまで体験して、自分の中に何が残ったのだろう? - そのまんまたろうのブログ


という記事は、この「型」が定着したからこそ
見えてくる部分である。

型が1つのフレームになって、そのフレーム通して「今」の自分を確認できる。
そしてその確認できた自分を、自分で修正することができる。

「型」の重要性はここにあるのだと思う。

らくだメソッドでも、自然農でも、インタビューゲームでも、
これらの「型」がなければ、
自分の好き放題にできる。

「型」は自分への制限となりうるし、「型」によって不自由を感じることもあるかもしれない。

だけれど、それは果たして不自由というのだろうか。制限というのだろうか。

それはまだ、「型」が身に染みていない、「型」が意識できる(不自由だと感じる)レベルでしかないということなのかもしれない。

「型」が身に染みるほどに自分の中に定着すれば、
その「型」を通して自分の「今」が見えてくる。

そして自分の「今」をつかめれば、
自分を修正することができる。これを本当の「自由」といえるのかもしれない。