そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

8月のふりかえり その2

因数分解の応用に入ってから
なかなか合格できない日が続いている。

なので同じプリントを何度も行うため、
同じプリントが何枚も必要になる。

通信の場合は、毎回の郵送時に次回の郵送までに自分が行うであろう教材をお伝えし、返送封筒に追加して送りかえしてもらう。

今回、因数分解の手持ちプリントが不足したために、
因数分解をまだ合格できていないが、
次のプリント(平方根)をやらざるおえない状態になってしまった中で、
「できないのに前に進む」ということに対しての違和感を感じる。

** ** ** **

これまでの自分の学生時代の学習を振り返ってみると、
やはり前に進むことを重要視してきていた。

受験勉強のために、なるべく早く教科書の内容は終わらせる。
課題や宿題も、はやく済ませてほうがいい。

そうやって、前に前に進もうと学習を進めてきたし、
前に進まなくてはならない環境に置かれていたともいえる。

前に進む流れの中に身をおいてしまえば、
できないこと、わからないことがあっても前に進んで行く。
そして後には戻れない。そしてますますできなくなっていく。
分からなくなっていく。そして、自分は勉強ができない人だと思ってしまうことだってある。

** ** ** **

学習において、前に進む決断は、学習者本人がすればいい。

学習環境に、前に進む流れを生み出してはいけない。
前に進むことを良しとする空気をつくってはならない。

学習者本人が、前に進もうと思えば、進めばよい。
まだだと思えば、進まなければよい。
前に進んでみて、戻ったほうがいいと思えば戻ればよい。
たまに冒険したいと思えば冒険してみてもよい。

人は自然と前に進みたがるように思う。それは前に進んでも大丈夫だという自分自身への信頼からだと思う。

このらくだプリントの合格基準(めやすの時間内にできること ミスが3問以内)は、前に進んでも大丈夫だという自分自身への信頼指標ともいえるように思う。

だから、らくだのプリントを幼児プリントから高校までやり続けるということは、
それだけ自分への信頼を積み重ねていくことでもあると思う。

前に進んでも大丈夫だという自分自身への信頼を獲得して、
前に進んで行く。その繰り返しをしてくようなものだ。

だから、自分への信頼を獲得せずに、
前に進むことに違和感が生まれるのだ。

** ** ** **

学習者本人が、前に進もうと思えば、進めばよい。
まだだと思えば、進まなければよい。
前に進んでまだはやかったと思えば、戻ればよい。
たまに冒険したいと思えば冒険してみてもよい。

本当にシンプルなことなのだけれど、
プリントに限らず、どれだけこのことができているだろうか?
前に進む流れを生み出していないだろうか?