そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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らくだの学習で変わったこと

ご縁のあった方が主宰されているフリースクール
今月から時々ヘルプでお手伝いにいっている。

僕自身、大学時代は3年間ほど中学生に家庭教師、
小学4・6年生にサッカーの指導を行っていた。
そして卒業後は1・2年ほど学習塾のスタッフとして
子どもたちと関わる機会があった。

その後は、らくだメソッドの学習をしながら、
僕の中では教育という領域に身を置いている意識は持ち続けていたものの、
実際に子どもと関わる機会はあまり多くない日々を過ごしていた。

今回、こうして実際に子どもと関わる中で、
大学時代、そして卒業後に子どもと関わっていた自分と
今の自分がかなり変化していることを、
子どもを前にして感じずにはいられない。

そしてそれは、らくだメソッドの学習を3年ほど
継続して続けてきたことが深く関わっているということはいうまでもない。

自分の変化を振り返ってみる。

◯子どもの状況がみえてくる
まず、1番の大きな変化は、子どもの学習の状況がよくみえるようになった。
それは、目の前の子どもがどんな学び方をしているのか?とも言い換えられる。
それは、その日に取り組む課題の決め方、取り組み方、答え合わせのやり方、間違え直しの仕方、、、、そんな子どもの学習の状況が以前よりもつかめるようになったように思う。

なぜ、それがみえるようになったかというと、それは自分自身がこの3年間1日1枚の計算プリントに取り組んできたなかで、自分の学習状況の自己観察とふりかえりをしてきたからだろう。

そうやって、自分を観察しようとしてきたからこそ、その過程で自分を観察するポイント=学習状況の現状を掴むポイント(ポイント=課題の決め方、取り組み方、答え合わせのやり方、間違えの直しの仕方 というあたり)が生まれてきた。

そのポイントを、そのまま他者に生かすことができる。

だからこそ、子ども一人ひとりの見え方が変わってきたし、関わり方もその子に応じることが以前よりもできるようになっているような実感がある。

◯「わかること」への重要度が下がった

子どもができない問題に出くわした時に、以前の自分なら分かりやすく教えようとしていただろう。だけれど、「わかること・理解すること」に対してアプローチしていくことの重要性をあまり感じられなくなってきている。

目の前の子どもに、一時的にわかるように教えても、家に帰ったら忘れてしまうかもしれないし、忘れてしまったらまた教えてもらわないといけない。これでは先生がいないとできるようにならない人になってしまう。その実感が以前よりもとても強いので、できない状況に子どもが直面した時の関わりはとても変化しているように思う。

教材が指定されていない状況下では、その対応が難しいということも感じているが、なるべく「できないこと」が「できるようなる」その過程が、子どもにとって一番の学びであると思うから、「わかりやすく教えて、一時的にできる」ではなく、その子ができていないポイントが自覚でき、自分でできるようになっていくフォローができたらと思う。
(正の数、負の数などが曖昧な状態で、関数などに入っている子どもをみると、あらためてらくだ教材のように、確実に積み重ねて進んでいける教材の重要性を感じる。)

◯教材力
らくだの教材って本当にうまくできているということを感じずにはいられない。それは、プリントの内容だけでなく、プリントをどういう環境で、どういう使い方をするのか?ということまで考えられていることが、教材力といえるように思う。

これまでは、本屋に売っている参考書や問題集をみて、この教材を使ってみようくらいしか考えたことがなかったけれど、らくだの教材は、かなり作りこまれたプリントの内容と、記録表の使い方やストップウォッチ、欠席の連絡の仕方、通塾方法など、プリントの中身だけにおさまらない教材であり、僕がこれまで「教材」と捉えていたものとは全く違ったレベルの「教材」だと感じている。

 

と、教材の凄さを感じることができるようになっているのも、以前の自分と比べ、自分が伝えたいこと。教えたいこと。ということが自分の中で育ってきているからなのだと思う。

勢いよく「らくだの学習で変わったこと」をテーマに3つの項目を元に書いてみた。
これから少しずつ、子どもの学習に関わる機会が増えていくような気がしている。
らくだの学習を開始した当初は、こういった変化が訪れるとは思ってもみなかった。学習を始まる前には、こんな見え方が変わってくるなんて想像もしなかった。


けれど、それがまさにこのらくだ式学習法なのだと思う。
目的をもってやるのではなく、ただ続けてみる。できなくてもやり続けていく。

ただそれだけで、こうやって自分が思ってもいなかった見え方や感じ方に変化している。

 

目的や目標を重要視せず、ただ目の前のことを続けていく。そしていつしか、自分でも気づかぬうちに自分が変化している。これは自分を超えた感覚になる。それは新しい自分になったとも言える。その自分の変化を感じられることが学習すること、学ぶことの楽しさなのだと感じている。