そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

ちょっとした余裕

 

f:id:taroshio:20171129173051j:plain

 
小6-3/4 小5までの復習 めやすの時間 10分
 
小6-3に初めて取り組んだ日が10/22、
初めて合格できた日が11/2
小6-4に初めて取り組んだ日が10/24、
初めて合格できた日が 11/23
 
10月末から、11月末はなかなかプリントが合格できない日々が続いた。
そして、11月半ばにはプリント自体ができなくなった。
 
プリントが合格できないにもかかわらず、
プリント自体ができなくなるという経験は、
この学習を開始して、
はじめて起こったパターンだったと思う。
 
プリント自体ができなくなった期間というのは、
主催したイベントの2週間前になり、
準備のことで頭がいっぱいいっぱいになっていた期間であった。
だから、プリント自体ができないのだ。と自分の中で理由をつけていたのだけれど、
今こうやってそのときの状況を振り返ってみると、
そう決めつけてしまうのは、かなり強引だなという気持ちがある。
 
というのも、この仕事が忙しい時期に
小6-3/4のプリントでなかったら、
もしかしたらプリントをやっていたのかもしれない。
 
プリントがなかなか合格できない期間に、
「仕事が忙しい」という状況に直面した。
その状況を「プリント自体ができない」理由にしていたり、
「プリントが合格できない」という状況から目を背けるために利用していたようにも思う。
 
「できないこと」を見つめることは本当に難しい。
自分が「できないことと向き合うこと」を意識していても、
自分が気づかないうちに、自分で目を背けてしまったり、
理由をつけて、できない現状をなかったことにしてしまう。
 
なぜ「できない」というのを自分の気づかないうちに、
遠ざけたり、ないもののようにしてしまっているのだろうか?
 
別に、「できない」という状況を他者から評価される環境にもないし、
誰かと競っている意識もないのに。
 
そう考えたときに、
 「できない」状況は、「気持ち悪い」と思った。
それは自分のリズムが乱され、
スムーズにできない。
自分の体が、「気持ち悪さ」を感じているのだと思った。
 
その「気持ち悪さ」というのは、
ただ、自分のリズムでできないことから生まれることであって、
なんの悪いことでもない。
でも、「気持ち悪い」から自分の意識から離れたところで、
その状況から逃れようとしてしまうのかもしれない。
 
じゃぁ、「できない状況」とどのように向き合っていくのか。
どうしたら、自分の気づかないうちに、自分で遠ざけたり、
ないもののようにしてしまわないのか?と考えると、
その「気持ちわるさ」を感じるということなのかもしれない。
 
僕はこのプリントができなかった期間に、
その気持ちわるさを感じたことはほぼなかった。
 
自分のリズムが乱れている中にいれること。
その気持ち悪い体感覚を味わえることが、
「できない」という状況から離れずにいるためには大切なことなのかもしれない。
 
できない状況というのは、
リズムが刻めない状況にいるわけで、
体が心地よく感じるということはなかなかないのではないかと思う。
 
逆に、自分のリズムで「できる」ときは心地よい。
 
でも、心地いいからといって、
自分のリズムでできることだけやっていたら、
自分の刻めるリズムは、
今と全く変わらない。
 
自分のリズムが刻めなかった状況で、
自分のリズムが刻めるようになったら、
より自分の刻めるリズムはより磨かれていくのだと思った。
 
** ** ** **
 
その、気持ちわるさを感じるには、
「余裕」が必要で、心も体もその気持ちわるさを受け入れられるくらいの、
ちょっとした余裕がないといけない。
 
余裕がなくて、いっぱいいっぱいなのに、
その「できない」という気持ち悪さの中に入っていくこと、
それを味わうということは、かなり難しい。
 
だから、心とからだにいつもちょっとだけ、
気持ち悪さを受け入れるだけの余裕を持っておく。
 
「できない」という状況と向き合うためには、
その「余裕」を持っておくことが必要なんだ。ということが、
改めて腑に落ちた。