そのまんまたろうのブログ

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2018.5.25 5月のふりかえり

5月のふりかえり

 
5月のプリントの学習を振り返ってみる。
5月は、おそらくこの学習を開始して、
 プリントができなかった日が一番多かったように思う。
 
この5月を振り返ってみると、
様々なことがあった。
実家の静岡で畑と家を借りられるようになったり、
主催のまなゆい合宿イベントが予定されていたり。
 
毎週毎週実家に戻ったり、
県外へいく予定があったりと、
ばたばたした月だったように思う。
 
こういう状況下で、らくだのプリントに対して
「まぁ今日はいいか。」という気持ちになることが多い。
 
でも、らくだのプリントを忘れた日は1日もない。
 
1日のどこかで必ず、「まだ今日はプリントに取り組んでいないな」という事実に直面する。
だけれど、そのまま夜になり、
「まぁ今日はいいか」という気持ちになる。
 
1日の中で、畑の作業が進んだり、
イベントの準備を進めることができたり、
何か1日の中で「できた」という自分の中での
充足感があると、その充足感に浸り、
らくだのプリントに対して「まぁ今日はいいか」という
思いが浮かび上がってくるように思う。
 
1日の中のどこかで満足できれば、やらなくてもいい。みたいな、
そういう物事に取り組む姿勢が僕の中にはあるように思う。
 
そう思うと、自分がらくだのプリントができない理由は、
らくだの計算プリントが面倒くさいとか、
嫌とか、難しいとか、そういうプリント自体が理由ではないのかもしれない。
 
計算プリントにそのできない理由があるのではなく、
そのできない理由は、あくまでも自分の状況ができない理由を
 生み出してしまっているということがわかる。
 
今月は、さまざまな目に見える成果を得ることができた。
 
それは、畑や家を借りることができるようになった。
まなゆい合宿イベントがいい手応えで終わることができた。
 
一方で、自分の中で「できなくなった事実」が浮かび上がっていることを
常に意識していたいとおもう。
 
一時的に何かがうまくいっているときこそ、
日常の中にある何かが、おろそかになり、
うまくいかなくなっていることが多いようにおもう。
 
そういう、目に見える成果の一方で、
失われたり、おろそかになっている現状に気づかせてくれる1日1枚のプリントは、
常日頃、自分を観察し、自分で気づき、自分で学ぶために、
僕の日常の中に馴染んだ学びのツールだ。