1週間、自宅を離れていました。
その間は、プリントが全くできませんでした。
もう何度も、こういう体験をしているから、
こういう状況のできないことに対して慣れてきているような自分がいる。
そういう状況を、こうやって書くことで振り返る。
頭の中で振り返るよりも、書いて振り返るこうが、
こうやって起きている現実をただ受け入れて振り返ることができている感覚がある。この事実を肯定的に捉えながら振り返ることができる。
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プリントを1日1枚やるというのは、確実に自己完結できることなのだけれど、
自分が生み出すできない理由は、自分ではなく、自分に関係するあらゆるものにひも付けているような気がする。
自宅を離れることで、いつもと1日のリズムが違うし、
帰宅場所も、寝る場所も違うし、一緒にいる人も違う。
だけど、プリントを1日1枚やるということだけ考えると、
そこには自分以外の誰かが入ってくることはできなくて、
自分一人で完結できる。
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プリントに取り組む時間は、ひとりの時間だ。いつでも、プリントができるということは、いつでもひとりになれる。ということなのかもしれない。
プリントができないときは、必ず何か自分以外のものに引っ張られている。
何か気になっているものが必ず自分の中にあって、
自分が「ひとり」ではなくて、何かと関係づけされている。
何かを考えたり、行動したりするとき、
必ず自分には、自分以外の何かが関係している。
それは常識とか、規範意識とか、簡単にいえばそういうものなのかもしれないけど、
ほんとうは自分はどう思っているのか、何を感じているのか?
そこと向き合うには、自分の外との関係を絶って、
ひとりになれる時間が必要だろう。
らくだの1日1枚のプリントがすっとできるということは、
そういうところにもつながっていくような、そんな気がした。
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