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NPOのマネジメント術 ちづこのブログ No.9

2011.07.05 Tue

友人の加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンター代表)が、新刊を出しました。『市民の仕事術』I&II、Iが「市民のネットワーキング」、IIが「市民のマネジメント」です。ながいあいだ、NPOの先陣を走ってきた加藤さんならではの、経験と知恵がいっぱいつまった本です。

頼まれて、わたしが「解説」を書きました。ものすごい過密スケジュールだったのに、断り切れなかったからです。でも、書いてトクしたのは、わたしのほうでした。

ご本人と版元の許可を得て、その「解説」の全文を以下に転載します。最後まで読んでくだされば、なぜわたしがこの文をこのブログに載せたいと思ったかが、わかっていただけるでしょう。そして実際に加藤さんの本を手にとって、読んでみてください。もうじきBookstore WANに紹介記事が出る予定です。

 

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加藤哲夫著『市民のネットワーキング 市民の仕事術I』『市民のマネジメント 市民の仕事術II』

発行・メディア・デザイン、発売・本の森、2011年

 

解説     上野千鶴子

てっちゃん、と呼ばせてください。てっちゃんは会ったときからてっちゃん、でした。初対面なのに、前から知っているような気分にさせました。かまきりみたいな風貌なのに、人当たりはやわらかく、シャープなアイディアマンなのにおしつけがましくない。いつのまにか他人を巻きこんでいるこの人は、NPOの時代にいつのまにか時代の先端を走っていました。

そのてっちゃんがこのわたしに、解説を書け、といいます。このひとのしごとに、そしてこのひとのわかりやすい表現に─なにしろ『市民の日本語』(ひつじ書房)の著者ですからね─どんな解説もいりません。解説は書けませんが、ラブレターなら書けます。きっとてっちゃんの下心もそのへんにあったかも?(笑)

てっちゃんは「せんだい・みやぎNPOセンター」の創設者であり、代表理事です。てっちゃんのNPOは、仙台市市民活動サポートセンターの指定管理者をはじめ、多賀城市市民活動サポートセンターや名取市市民活動支援センターの受託者にもなっています。そのせいで、宮城県仙台市はいちやく日本のNPO支援の最先端地域になり、各地から学びにくるひとが絶えないモデル地区となりました。いえ、もっと正確にいうと、自治体がてっちゃんたちを指名したのではなく、てっちゃんたちが自治体を動かしてNPO支援センターをつくらせたのです。そしてお役人がやるよりずっとよい、と指定管理者に名乗りをあげたのです。しかも、民間のファンドや情報開示のしくみなど、行政とは別のサービスもちゃんと築いてきました。宮城県仙台市NPO先進地域として知られるようになったとしたら、そこにてっちゃんという人材がいたからです。そしててっちゃんが人材を育てたからです。

てっちゃんはNPONPOと呼ばれるようになるずっと前からNPO活動をやってきました。NPOことNon Profit Organization、つまり「カネに・ならない・しごと」のことです(笑)。1998年にNPO法が成立したからNPOが生まれたわけではありません。NPOとは呼ばれないけれどNPOと同じ活動をしているてっちゃんのようなひとたちが全国各地にいたから、そのひとたちの後押しでNPO法が生まれたのです。

てっちゃんは東北ソーシャルビジネス推進協議会の会長もやっています。このところ「社会企業(ソーシャルビジネス)」ということばが大はやりで、大学のなかには「社会企業科」なんていう専攻をつくってしまったところもありますが、こんな横文字コトバや輸入概念をつかわなくたって、てっちゃんはずぅーっと昔から社会企業家(ソーシャル・アントレプルナー)でした。

てっちゃんのやっていることを説明するのに、NPOだの、社会企業だのと、外来の概念はいりません。反対に、てっちゃんのような先覚者たちがやってきたことを説明するために、概念と理論とは生まれました。わたしは研究者として確信を持っていいますが、概念と理論は、実践と現場のあとを追いかけていきます。そしてもっとも誠実な学問とは、実践と現場のあとを愚直に忠実に追いかけていく学問のことなんです。

てっちゃんはそのうえ、NPOという「カネに・ならない・しごと」を「食える・しごと」に変えてしまいました。せんだい・みやぎNPOセンターには、常勤・非常勤を合わせて、現在40人ものスタッフが働いています。そのひとたちの雇用をつくりだし、しごとを産みだし、社会になくてはならない活動にしたてあげてしまったのがてっちゃんです。今では理事長は二代目の紅邑晶子さんという女性に代わっています。つまり「せんだい・みやぎNPOセンター」は、てっちゃんなしでもまわるようになったのです!

かれはこうやって、活動をしごとにし、しごとを事業に変え、ひとと組織を育て、それをてっちゃんなしでも自分の足で歩いていけるところまで、一人前に仕立てあげました。経営者としては、辣腕!といわなければならないでしょう。

そのてっちゃんが『市民の仕事術』を書くというんだから、おもしろくて役に立たないわけがありません。

本書は2分冊になっています。Ⅰ部が『市民のネットワーキング』、Ⅱ部が『市民のマネジメント』です。

のっけからてっちゃんはこう書きます。

「私もまた、…数多くの市民活動やNPOにかかわってきました。その中で人との出会いや結びつきの持つ意味、つまり「ネットワーキング」と、集団を組むときの方法論、つまり「マネジメント」に自覚的であったことが、関わってきたいくつかのプロジェクトの目標達成や、社会変革の実現につながったと考えています。」(本書7頁)

うなりました。

「ネットワーキング」と「マネジメント」、これはなにをするにもクルマの両輪です。ヒトと情報、モノとカネを動かすには、この両方がなければなりません。わたしだってこれまで、てっちゃんに負けないくらい、人後に劣らぬネットワーキングをしてきました。ですが、うーむとうなったのは、わたしはネットワーキングをしてきたが、マネジメントをしてこなかった、という悔いと反省です。

これまで運動は、ヒトと情報を動かしてきました。それに対して会社のような営利組織は、モノとカネを動かしてきました。運動にはネットワーキングがあってマネジメントがなく、会社(社会、ではありません!)にはマネジメントがあってネットワーキングがない、と言いかえてもよいかもしれません。ちなみにてっちゃんの定義によれば、ネットワーキングとは「異質なるものに出会い、学ぶ方法」(本書29頁)のことです。同質なもののつながりはネットワーキングとは呼びません。

ヒトと情報、カネとモノ、のすべてを動かすためには、ネットワーキングとマネジメントの両方が必要です。これを実現してしまったのが、市民事業ことNPOでした。そしてその先陣を走り、前例のないモデルをつくったてっちゃんが、後からくるひとたちに、自らの手の内を明かそうというのです。これはてっちゃんがわたしたちに残してくれる相続財産、というものかもしれません。

実はわたしはこの春から、NPO法人の理事長になりました。ウィメンズアクションネットワーク(WAN)というウェブ事業をおこなう団体です。名前のとおりネットワーキングが趣旨の団体ですが、ヒトとヒト、ヒトと情報をつなぐためにもカネとモノを動かさなければなりません。ネットワーキングだけでなく、マネジメントの必要に迫られました。同じくNPO経営の先輩として、「勉強しろよ」と与えてくれたテキストが、この本だったのかもしれません。実際、きびしいスケジュールの中を、待ったなしでほいっと投げてきたてっちゃんからのリクエストに、「んたく、もぉっ」と思いながら、しょうがないな、てっちゃんからのたのまれごとなら、と引き受けたこの「解説」で、トクをしたのは実はわたしのほうでした。

こうやって他人を巻きこむ力、巻きこまれた他人にかえって感謝されるお人柄も、てっちゃんならでは、でしょう。

ネットワーキングにもツールとルールがあります。

「今でこそブログやツイッターがありますが、当時は紙の時代です」とてっちゃんは書きます。かれはミニコミ、コピー、ファックス、出版など、ありとあらゆるツールを駆使してきました。マスメディアが送る情報のたんなる受信者ではなく、現場から「わたし」を主語にした情報発信のためです。ネットワーキングのためには、情報の双方向性が確保されなくてはなりません。インターネットが登場し、情報革命などといわれるずっと前から、てっちゃんはずっとそれと同じことをやってきたのです。

インターネットは、情報の民主化をもたらした巨大な発明であるといわれました。革命ともいわれました。情報生産のコストが低くなり、だれもが情報発信者になることができるようになったからです。

革命とは一夜にして天地がひっくりかえるような変化のことをいいます。とりわけ3・11の大震災のあとで、「3・11以前と以後で、あなたは、日本はどう変わりましたか?」という問いをマスメディアが投げかけているのを見ると、うんざりします。3・11以前と以後とで、言っていることややっていることを変えずにすむひとの言うことしか、わたしは信じないと言いたい気持ちになります。

てっちゃんにとっては、情報革命のもたらしたものは、「なぁーんだ、そんなこと、ボクは昔からやってきた…」という感慨でしょう。こういうほんものの先覚者にとっては、紙媒体から電子媒体に発信のツールが変わっただけ。やってることはすこしも変わりません。こうやって革命の前後にソフトランディングするのが、真のパイオニアというものでしょう。

市民の情報発信と共有は、権力にとって脅威です。だからこそ、権力は情報をあれだけ統制しようとするのですし、逆にいまやツイッターソーシャルメディアが、中近東の「ジャスミン革命」をひきおこす時代になりました。てっちゃんが紹介している国家権力によるコピー機の管理は、笑いごとではありません。わたしは自分が統一後の東ドイツ民主化闘争に参加した活動家たちを取材したときに、レズビアン・グループがミニコミを出すために、キリスト教会のコピー機を利用した、というエピソードを聞いたことを思いだしました。キリスト教会は国家内国家だったので、東ドイツ全体主義のもとでも治外法権だったからです。レズビアンキリスト教、なんてありえない組み合わせですが、神父は黙認してくれたそうです。

マスコミもミニコミも、一対多の一方通行の情報発信ですが、それを多対多の情報共有のしくみにしてしまったアイディアに考現学があります。今でいうMLやソーシャルメディアです。このアイディアを思いついたのは、ニュースクールらくだ塾を始めた平井雷太さんでした。わたしをてっちゃんに紹介したお仲人さんは、実は平井さんです。平井さんよりてっちゃんとのおつきあいのほうが長くなりました。考現学という概念を平井さんに教えたのは、実はわたしでした。考現学は、戦前の風俗学者、今和次郎がつくった概念ですが、平井さんはそれを換骨奪胎して、ちがうものにつくりかえました。てっちゃんが紹介しているように、全国にちらばった数十人の仲間が、「最近気がついたこと、感じたこと」などをおたがいにファックスで共有しあう、というしくみです。こうやって居ながらにして現場情報がつぎつぎに自分の手元に届きます。それにまた応答がついてかえってきます。ネット上のフォーラムやチャットの紙媒体版と言ってよいでしょう。いえ、この言い方は倒錯しています、こういう紙媒体でおこなわれてきた情報の共有を、よりコストとハードルを下げてやりやすくしたのが、電子媒体というツールにほかなりません。

ネットワーキングとは「異質なものに出会う」こと。情報生産は「異質なモノとの出会い」から生まれます。異質なものにであう「方法」のひとつが、自分から動くこと。これをかれは「動くネットワーキング」と呼びます。でも、自分と異質なヒトと情報とを、自分の居場所に招き入れることができれば、動かなくてもネットワーキングができます。これが「広場のネットワーキング」です。考現学はそのひとつの工夫でした。

そしててっちゃんは自分の店を広場にし、自分のミニコミを広場にし、活動を広場にし、ついには自分自身を「広場」という媒体にしてしまいました。

本書のなかには、そのてっちゃんのネットワーキングのつくり方の智恵と工夫とが、惜しみなく公開されています。それがそのまま、「ボクはこうやってネットワーキングしてきた」という自分史の軌跡になっています。が、多くの自分史がつまらないのは、いくらそのひとのやってきたことに感心しても、「ふーん、それはあなただからできたことよね」という特殊ケースのレポートになりがちだからです。

てっちゃんのすごいところは、自分のやってきたことを、「技術」や「方法」として伝達可能な共有財にしていこうとすることです。たとえば、「ネットワーキングの技術」からいくつか引用しましょう。

「思いを伝えるのではなく、行動をリクエストする」

「参加したら何が得か(ベネフィット)を明確に訴求する」

「サービスの提供ではなく、ソリューションの構築と考える」

それに「伝える」ではなく「伝わる」ために、コピーとデザインは大事。てっちゃんのいうコピーとは、広告の宣伝文句と同じコピー文のこと。実際、てっちゃんのコピーのうまさには、舌を巻きます。

空き缶をひろうボランティア運動を組織するために「空き缶を拾うのは市民の権利である」。

NPOの政策提案力向上のための連続講座のタイトルに「NPOが社会を変えられない5つの理由」。

ね、そそるでしょう?カラダが前のめりになり、話を聞いてみたくなります。そのためにはむっとさせたり、おや、と思わせたり、挑発やノイズの発生もいといません。情報とはノイズから生まれるものだからです。

わたしはⅡ部の『市民のマネジメント』から、より多くを学びました。ネットワーキングならわたしも人並み以上にやってきましたが、マネジメントはわたしにとって新しい課題だからです。もしかしたらてっちゃんは新米理事長のわたしに、研修の機会をくれたのかもしれません。

もしドラ」こと、『もし高校野球部の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』という経営学の本がベストセラーになっていますが、はい、高校野球部にだってマネジメントは必要です。ましてヒトと情報、モノとカネを動かす事業には、それが非営利であっても、マネジメントは必須です。それどころか、ヒトとモノを動かすのにカネと権力を用いることができる営利組織や行政組織に比べて、自発性と共感しか資源として使えない非営利組織にとっては、マネジメントはもっと重要です。わたしは、NPOは経営を学ぶかっこうの現場であり、NPO活動のなかからのほうが、すぐれたマネージャーが育つ、と思ってきました。ですからマネジメントを本気で学びたいなら、ビジネススクールなんかへ行くより、どこかのNPOで現場研修をしたほうがましだ、と思っているくらいです。

このⅡ部も市民のマネジメントについての智恵と工夫の宝庫です。

いくつか引用しましょう。

「みんなで目的・使命(ミッション)、目標を設計しましょう」

「組織は、役割と権限の束です。…ルールとロールの明確化が民主的な組織運営の鍵です」

「間違っても理事と理事会とを名誉職にしないでください。必ず、情けないことになります」

「支援者、活動者、受益者の区別をしてそれぞれのニーズに応えるマネジメントが必要」

いろいろあって、そしてこれです。

「マネジメントを考えていくと、結局のところリーダーシップとメンバーシップに行き着く」

実績と経験に裏打ちされたことばだから、重みがあります。

わたしは本書を、わたしの属するNPOの理事全員に読んでもらいたくなりました。

てっちゃんは重い病気です。Ⅱ部で自分の口からこくっているのですから、わたしがここで触れてもかまわないでしょう。

わたしにはこの本がかれの「遺言」に思えてしかたがありません。

同世代の者たちとすこしづつ別れを告げるようになりつつある年齢に達しているわたしには、本書にあるてっちゃんの次のことばに出会って、涙が出そうになりました。

「たとえ明日地球が滅びようとも、私はいましていることをするだけである」(本書110頁)

このことばを口にすることができるひとは、どのくらいいるでしょうか。そうか、わたしはこれを言いたいために「会社」(東大のことです)を辞めたのだ、と思い至りました。

かれはこうも書きます。

「選べない現実をもういちど選びなおすということ…それが大人になるということであった。…つまりしていることがそのまましたいことになる世界である。」(本書111頁)

そう、それが「運命に支配されている人間のかすかな、しかし非常に大事な自由」です。かれはいま過酷な運命に支配されています。わたしたちもまたそれぞれの運命に支配されています。ですが、かれはいま、とてつもなく「自由」を味わっているにちがいありません。かれは「自分のしていること」を「したいこと」に変えただけでなく、「したいこと」を「していること」に変えてきたからです。

てっちゃんは、「ボクは広場だ」と言います。

「僕は他者からの問いかけに、ひたすら応えてきただけです。そして、それが僕のネットワーキング哲学の、一番大事な部分です。」(本書19頁)

わたしの知るかぎり、偉大なネットワーカーには、こういう「受動性」を強調するひとが多いような気がします。

ですが、わたしは思います。ウソおっしゃい、その受動性のなかにこそ、まぎれもない、あなたの能動性があったくせに、と。

「他者と出会うことなしに、主体である自分は起動しない。他者の存在なしに、自分は存在しない。社会を生き抜くための主体は、他者によって呼び覚まされる。これこそが私のネットワーキング哲学です。」(本書20頁)

そう、ネットワーク術の背後には、ネットワーク哲学があります。かれは自分の前に登場する他者に、いちいち応答しようと覚悟を決めたひとだからです。現場に入り、現場から逃げない、と能動的に引き受けたひとだからです。こういうひとが他人からみて、チャーミングでないわけがありません。

このことばを、他者とつながることをおそれているすべての引きこもりや自傷系の若者たちに教えてあげたい、と思います。このことばを、他者に傷つけられることをおそれて恋愛にしりごみしている男女に聞いてもらいたい、と思います。このことばを、異質な他者に出会うことをおそれている、すべての会社人や組織人、行政マンそしてニッポンジンに伝えてあげたいと思います。

ここまで読んで、わたしたちは、この本が「ネットワーク術」についての本ではなく、「生きるための術」についての本だと知るのです。

 

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