止めてしまったものを動かすことの大変さ
3月末から4月末まで、プリントをやらなかった。
プリントに取り組んでいたことを、止めてしまった。
ここ最近は、だんだんとプリントに取り組めるようになった。
だけど、せっかく出来そうになっていたプリントもまたふりだしに戻った。
そして、プリントに取り組むことにもすこし大変さを感じる。
以前やっていた時のことが不思議な感じがする。
止めてしまったものを、
もう一回動かすことって大変だなと感じている。
1日1問でもいい。
名前を書くだけでもいい。
どんなに小さいことでもいいから、
とにかく手を動かしておけば、
また違ったのではないか?という感じがする。
自分が今できる範囲を見極めて実践していくこと。
今の自分に応じて、止めずに、動ける範囲で動き続けることって
ものすごく大切なのだと感じている。
そして、再び動かすことの大変さを、
僕は止まってしまった時には考えていなかった。
というか、止まったあとの大変さは、止まった時にしかわからない。
これもプリントに限らず、
あらゆることに言えることなのなのかもしれないと感じている。
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コロナのことで、多くのことが「止まってしまった」ように僕は思う。
1ヶ月前は、自分で自分の行動を制限したり、
自分で、控えたり、控えなかったり。
そうやって皆が自分自身のできる
範囲で行動していた。動ける範囲で動いていた。
でも、この1ヶ月で、
どこか色々なことが止まってしまったようにも感じている。
そして、今止まっていても、
動こうと思えば、いつだって前のように動けるように思っている場合も多い。
でも、そうなのだろうか?と自分のプリントを通して思う。
プリントは、僕だけの中で止まってしまったものであるけれど、
きっと僕と街の人たちで共通して動いていることも、
同じことがいえるのではないかとも感じている。
止まってしまったものを、
もう一度動かすためには、時間もかかるし、
そんなに簡単なことでもないように思う。
だから、この半年、1年ってなんかいろんな
苦労がこれから出てくるようにも感じている。
プリントでも、プリント以外でも、
自然農の田畑でも、
自分の動ける範囲の中で動き続ける。
どんなに些細なことでも「止めない」ことは
大事なのだと、この数カ月で自分のプリントを通して、
自分のプリントや身の周りの出来事を通して感じてる。
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5/2 ようやく中学相当最後の問題をクリアした。
最後のプリントが一番クリアまで時間(期間)がかかってしまったけれど、
最後はミスゼロでクリアすることができた。
解いていくと、ミスゼロでクリアしたい気持ちが強くなっていた。
クリアするとやっぱり嬉しいです。
この最後のプリントに取り組む中で、
自分なりに、学習の進め方に工夫が出てきたようにも思う。
1問1問の量が多い為、
解くことはもちろんだけれど、
間違い直しも時間が必要であった。
そして、間違い直しを翌日にやったり、
間違い直しも2日間に分けてやったりした。
そして、間違え直しを2日間に分けてやると、
間違い直し1日目の問題を忘れてしまうこともあったので、
間違え直し2日目は、1日目の問題の振り返りなども行った。
そうやって、自分なりの問題の直し方や、
振り返りの仕方をしていってから合格までがスムーズだったようにも思う。
問題のレベル・量が上がっていくので、
自分なりに学習の仕方を工夫して進めていきたいと思う。
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こうやって、自分で少しずつでも工夫して、
自分にあった学習の仕方を見つけていくのだれど、
やっぱりストップウォッチと記録表はものすごく重要だと思う。
全てが自分の工夫ではなく、
決められたツールや、フレームの中で、自分の工夫が生まれてくるのだと思う。
ストップウォッチも、記録表もなかったら
どうやって僕は自分なりの工夫を生み出しただろうか。