そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

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ここ数ヶ月間のらくだの状況より

ここ数ヶ月、らくだの学習はストップしたままでしたが、

2週間ほど前から、オンラインでの入室を再開させてもらった。

 

 

この数ヶ月間は、プリントにほぼ取り組まずに経過していった。

 

プリントができない日々が続くと、

「プリントをやらなくては」という気持ちや

「プリントにどうしたら取り組めるのだろうか?」という問いが生まれてくる。

 

この数ヶ月間もそういう状態であった。

(そんなことすら思わない日も多くあった)

 

でも、そうやって感じながらプリントに取り組むと、

なんだか心が乗らない自分がいることに気づいた。

 

結局、記録表が埋まるために、

合格できなくてもやれば、続けたことになる。

そんな思いでいつしかプリントに向き合っていた自分がいた。

今は、高校のプリントに取り組んでいることもあり、

1枚のプリントをクリアするのに時間がかかる。

 

だから、毎日クリアできた喜びがやってくるわけでもない。

 

さらに1枚取り組むには時間がかかりすぎるし、

小分けにプリントに取り組んだりすると、

自分の「変化(できるようになった実感)」が感じられなくなっていたように思う。

 

久しぶりにプリントに取り組んで感じたことは、

計算を解いていくことは楽しいことであるということ。

 

できなかった問題を、

回答を見ながら直してでも、

それが理解できたとき、それはやはり嬉しい。

 

僕は、プリントを続けることにこだわって、

プリントを「続ければいい」に置き換わり、

できないことができるようになる喜びや、

昨日の自分よりも、少し前に進んだ喜び、

今日は、昨日より調子が悪かったなという実感、

そういうプリントを取り組むことから生まれてくる何かを掴むことを忘れていたように思う。

 

 

せっかくここまでやらない期間が続いたのだから、

もう、続けることにこだわらず、

1枚のプリントを通して、

自分が充実感を感じられるような取り組み方ができればいいと思う。

 

それが結果的に続けられるということにつながるかもしれない。

 

今、この状況で続けることにこだわったところで、

もうすでにこんなにやれていないのだから、

これ以上こだわりすぎるのは、難しい。

 

それよりも、昨日できなかった問題が1問でもできるようになること。

昨日よりも少し早く解けるようになること。

そういうところをもっと大切にしていけたらいいと思った。