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【おむすびinterview -2月特別号-】 「わたしたちの北星余市展(静岡県立大学生企画)

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北星学園余市高等学校とは?

人口2万たらずの北海道余市町に、北星余市高校はあります。1988年から高校中退者や不登校の生徒などを受け入れる制度を導入し、高校中退者や不登校の生徒などを、全国に先駆けて受け入れてきた学校です。年齢も出身地もさまざま生徒たちが集まっています。ただ、このところは生徒が集まりづらくなり、廃校の危機と向き合い続けている現状もあります。

 2月25日から3月3日までの1週間、静岡県静岡市にあるグランシップ展示ギャラリーにて、北海道にある北星学園余市高等学校(以下、北星余市)の写真展が開催されます。今回のこの写真展は、静岡県立大学の学生が企画しています。僕は北星余市に関しては全く知らなかったのですが、今回のこの企画が、静岡県立大学の学生が企画しているということに関して、とても気になっていました。どんな学生が、どんな想いをもちながらこの写真展を企画しているのか?そんな問いが僕の中にありました。今回のおむすびインタビューは、特別号として、「わたしたちの北星余市展」の発案者である、静岡県立大学在学中の鴻野祐(こうのゆう)さんにお話を伺いました。


県立大学の国際関係学部で学ばれている鴻野さんですが、どうして北星余市のことを知ったのですか?

 3年次のゼミが始まった時に、同じゼミの仲間3人の共通の関心ごとが近かったこともあり、*べてるの家の本をゼミの仲間で読み始めました。その学びを続けていく中で、実際に北海道に行って、「べてるの家」を見に行こうという流れになりました。せっかく北海道へ行くのなら、北海道で他に活動しているところも見に行こうということで、「弱さを中心とした地域づくり」というテーマで、「*札幌市若者支援施設Youth+(ユースプラス)」「べてるの家」「北星余市」という3つの場所に見学へ行きました。その時に初めて北星余市に実際に足を運びました。

 

初めて北星余市に行った時はどうでしたか?

 北星余市の当時の教頭先生が1日つきっきりでコーディネートしてくださり、校内の見学をし、当時の校長先生もお話をしてくださいました。下宿寮にも連れて行ってくださり、寮母さんにもお話を聞くことができました。実際に見て、自分が通っていた高校と全然違う高校だなという印象がやはり強かったです。休み時間には職員室に生徒が集まり、先生を囲んで一緒に話をしている姿や、職員室のソファで生徒が話をしている姿も印象的でした。

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初めて行った時から2年経った今、写真展を企画したのはどうしてですか?

 2年前に行った時から、北星余市は廃校の危機に直面していましたし、日々の業務も忙しいのにもかかわらず、静岡の大学生4人だけのために、当時の教頭先生が1日コーディネートしてくださいました。寮を見せるために車を出してくださったり、当時の校長先生も1時間半ほど時間を割いたりしてくださいました。大変な状況の中で、大学生4人のためにそれだけ時間を使って、丁寧に接してくださったことが何よりも強烈な印象として僕の中に残りました。

 だからこそ、北星余市のために何かしたいという想いは、2年前からあったのですが、当時の僕は、あまり自分から何かすることはありませんでした。その後、1年休学し、復学する過程で、さまざまな活動を経験することができ、今に至っています。2年前から今現在まで、北星余市のことはいつも僕の中に残っていて、「何か自分で活動する時には、北星余市のためにやりたい」と思っていて、今回の企画に至ったという感じです。

なぜ写真展なのか?
今回の企画は、写真展というスタイルですが、北星余市のために、「何か」やりたいという思いの中で、「写真展」という形をとったのはどうしてですか?

 北星余市のために何かしたい。それが、北星余市の存続につながればいいと思う中で、「日本に北星余市があったらいいな」と、北星余市に直接的な関係がない人たちが思うような機会をつくることは、僕ができる「北星余市のため」の1つだと思っています。ですので今回は、文章では伝わらない北星余市の雰囲気や空気感が伝わる手段として、写真展という形で企画をしました。

 

写真展を通して、来てくださる方にどんなことが伝わればいいと思っていますか?

 今回の写真展のタイトルは、『「わたしたちの」北星余市展』です。わたしたちみんなにとって北星余市は大事な場で、わたしたちの無関心が、わたしたちの大事なところをなくすかもしれないのです。僕の人生の中で、北星余市と出会えたことはとても大きなことでした。「北星余市という場所があるよ」と言えない社会より、言える社会のほうがいいと思っています。北星余市と「わたしたち」は、関係ないように見えて、関係している。そんなメッセージを、『わたしたちの』北星余市展という言葉に込めてみました。

 「わたしたちの」北星余市を伝えることができるのは、北星余市の先生や地域の方々のような、直接的に北星余市に関わる方々よりも、鴻野さんのような、北星余市と「わたし」の関係性を見出されている人だからこそできることのように感じました。

 でも一方で、自分はそんなメッセージを伝えられる立場なのかな?と自問自答することも多くあります。目立ちたいとか、誰かから認められたいとか、そういう気持ちが邪魔していないかな?と。そうやって自分に問いかけていくと、もちろん来てくれる人に何か伝えたいとか、北星余市の素晴らしさを伝えたいという想いもありますが、シンプルに、僕はあの場所が好きで、あそこに関わる先生や地域の人たちが好きなのだという想いが僕を動かしているのだと感じています。僕は北星余市の先生や地域の皆さんに、たくさん背中を押してもらっています。

 僕が2年ぶりに突然、写真展の企画を持ちかけた時に、どうして北星余市の先生はいいって言ってくれたのだろう?と思って、写真展の担当をしてくれている北星余市の先生に聞いてみました。そのとき先生が、「2年ぶりでも連絡してくれるということは、2年間想ってくれていたということだと思うから。すごく嬉しかったよ。」と、とても自然に応えてくれました。さすが北星余市の先生だなと思いました。

 北星余市の先生をはじめ、地域の人が北星余市を残そうとして頑張っています。やっぱり僕の好きな場所だし、好きな人たちが頑張っているから、僕もその輪に入りたいという想いがあります。北星余市とともにいたいと思っています。そういう、ものすごく個人的な想いが僕の深いところにはあるのだと感じています。僕がただやりたいから、先生や仲間に支えられて、やらせてもらっているという想いがあります。

 

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「当事者性」がないようで「ある」

 今回、このインタビューは、「北星余市に関わりのない学生=当事者性のない学生」が、なぜ企画しているのだろう?という問いがそもそもの始まりでした。だけれど、鴻野さんの話を聞いていると、僕自身の「当事者性」ということの認識が浅かったことに気づかされました。「当事者性」というのは、自分がその学校にお世話になったとか、自分が同じような体験をしたというような、そういうものだけではないのだということに気づかされました。きっと、どんなものにも「当事者性」を見出すことができる。言い換えれば、自分はあらゆるものの当事者なのだと。そんなことを感じさせていただきました。

 「わたしたち」の北星余市展という言葉にあるように、北星余市は「わたしたち」のものなのだと思います。北星余市と直接的に、具体的な部分で(子どもが北星余市に通うなど)「わたし」とつながることは少ないのかもしれない。だけれど、「わたし」と北星余市は繋がっている。この写真展を通して、そのつながりを「わたし」がより感じることができればと思いました。
 鴻野さん、準備で忙しい中、お時間いただきありがとうございました。「わたしたちの北星余市展」楽しみにしています。

(2019/1/31 静岡県立大学にてインタビュー)


*べてるの家
1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。有限会社福祉 ショップべてる、社会福祉法人浦河べてるの家NPO法人セルフサポートセンター浦河などの活動があり、総体として「べてる」と呼ばれています。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共 同体という3つの性格を有しており、100名以上の当事者が地域で暮らしています。

*札幌市若者支援施設Youth+(ユースプラス)
若者の生活に少しプラスできるような、社会教育に関するイベントやまちづくり活動などを実施し、若者と地域を結ぶ拠点として社会活動への参加をサポートするほか、講座・交流イベントの開催を通じて、若者の仲間づくりや交流を促進している。

 

*特別号『「わたしたちの北星余市展(静岡県立大学生企画)』の紙面(PDF版)はこちらからご覧になれます。

特別号ということで、紙面版もWEBにアップしました!