納得感はどこからくるのか⑵
6月に入って、らくだのプリントがなかなかできない日が多くなった。
プリントをやるまでに、
体がなかなか動かなかったり、
後回しにしてしまうことが多い。
5月までは、比較的毎日スムーズにできていたのに、
なぜプリントと向き合うことができなくなったのか?思っていて、
その理由がいまひとつ分からずにいた。
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今日、そんな自分を見つめて、やっと気づいたことがあった。
今のプリントと向き合えない(やりたいと思えない)ことの理由の1つに、
自分の体感覚としての納得感、心地よさを
プリントを通して得られなくなっているということがあるように思う。
プリントの結果をみると、
目安の時間内で、ミスも3問以内でクリアできている。
けれど、スラスラ流れて解けないことに対して、
1枚のプリントがまだ「できていない」という認識が強くなってきている。
以前は、スピード感をもって
「頭で考えて解く」というよりも、
「体で解く」というような感覚で問題を解いてきた。
けれど、ここにきてなんだかその感覚でプリントができないから、
1枚のプリントを終えた時の心地よさみたいなものが得られない。
だから、今の僕は1枚のプリントに対する気持ちが落ちている気がする。
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そんな自分に気づいたときに、
以前のプリントと、今のプリントに対する納得感を、
同じ基準から見ているということに気づいた。
以前の問題は、「約分」であったのだけれど、
今取り組んでいる問題は、「分数の足し算」で、帯分数への変換や約分もある内容であり、ただの「約分」とは全く違った問題である。
なのに、僕は「約分」のプリントで味わえた感覚を、
今取り組んでいる問題にも求めていて、
問題のレベルや形式がかなり異なっているのにも関わらず、それに気づかず、以前の納得感の基準から、今のプリントから納得感を得ようと思っていたのだと思う。
今取り組んでいる、「分数の足し算」の問題のレベルや構成をよく見てみると、
以前取り組んだ、「約分」を「変換の問題」としたら、
今取り組んでいる「分数の足し算」は、
「過程を経て解く問題」のように思えてきて、
時間がかかっても、頭で考える時間が生まれても、
あまり悪くないような気もして、
スラスラ解けないからといって、
心地よさを得られないことはないと思えるようになった。
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これも、らくだの計算プリントに限らず、
よくはまるパターンのように思う。
以前うまくいったこと、その時の感覚にとらわれて、
全く違った状況なのにも関わらず、そこから物事を判断してしまう。
今、自分が感じている達成感や喜び、
また 違和感や劣等感は何を基準に、
何ももってそれを達成感とし、喜び、違和感、劣等感としているのかをよく見つめていくこと。
状況はいつも変わっているのだから、
それはいつもいつも必要なことなのだと、
このプリントを通して気付かされました。
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と書いて、ブログのタイトルを考えた時に、
以前に書いた「納得感はどこからくるのか」という記事と
すこしリンクする部分もあると感じたので、
この記事の「納得感はどこからくるのか⑵」とし、
以前の記事もこちらにリンクします♩
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