「できる」ようになっているのに「できない」実感が強まること。
小4-41 (全99問 めやす時間:10分)
小4-41のプリントは、小学校4年生の最後のプリントで
内容は、分数の約分のプリントになっている。
初めてやった時、なかなか最小公倍数が浮かんでこなくて、
地道に2で約分を繰り返して繰り返して‥
という感じで問題を解いていたのだけれど、
だんだんと、ぱっと最小公倍数が浮かんでぱっと問題が解ける時も
多くなってきた。
今日は、久しぶりにこの小4-41のプリントをやったのだけれど、
全然スムーズに解くことができず(最小公倍数がぱっとでてこない)、終わった後に今日はいつもよりも遅かったな…という気持ちになった。のだけれど、
時間があったので、過去の小4-41の記録を振り返ってみたら、なんと今日の記録が一番今まででタイムがよかった。
【これまでの小4-41の記録】
4/9 12:28 ミス3
4/16 9:57 ミス0
4/26 9:01 ミス1
4/27 9:10 ミス3
5/1 8:26 ミス1
5/29 7:15 ミス1
初めてやった時に比べる5分以上も解くスピードが速くなっているのがわかる。
でも、今の僕にとってはまだまだ「できない」という実感がこのプリントに対してあるわけで、このプリントの中でもっと自分の能力を発揮できるし磨けると思っている。
初めてやった時は、10:00以内にできれば、
かなりスムーズに気持ち良く解けるんだろうな。とか、
10:00以内に解けることができれば、満足できるだろう。なんて思っていたのだけれど、
全然そんな気持ちにはなれていない今があって、
むしろ、初めてやった時よりも「できない」という自覚が強くなっているように思う。
自分はいつも変化しているからこそ、できるとか、できないとかいう実感もいつも変わってくるんだ。
今の自分で、「あそこ」までいくことなんてできず、「あそこ」までいく過程の中で自分自身が変化しているし、変化してしまう。
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なぜ結果的には「できる」ようになっているのにもかかわらず、「できない」実感が強まっているのか?
きっと、僕をプリントに向き合わせている原動力は、
「学びたい」「向上したい」という気持ちなのだと思う。
だから、いくら早くできても自分の中で「満足感」や「完璧感」はいつまでもこないのかもしれない。
その時は、この1枚のプリントから「学ぶ」「気づく」ことをやめた時だと言えるのかもしれない。
自分の「学びたい」という気持ちは、
1枚のプリントを完結させることは決してなくて、
いつもいつも「先」を用意してくれている。
だから、「できる」ようになっていながらも、
「できない」実感が強まっているのだと思う。
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何かを学び続けるというのは、
いつも「過程」で「途中」な状態なのかもしれない。
現実に現れる「事実」は「できる」ことが多くなるのかもしれないけれど、もしそこから「学び」「気づき」たいと思っているのなら、
自分には「できた」という実感よりも、
「できない」という実感の方が強くなっていく。
そう思うと、学び続けるということは、
いつも「できない」自分を認識できている状態だとおもうし、
その自分を受け入れて、見つめていくことだと言える。
その時に、「できない」実感はあるけど「できるようになっている」事実を、
いつも記録して、自分の変化をたどれる環境づくりは、
「できない実感」を受け入れながら学び続けるために、
とっても大事なことなのだとおもう。
そういう意味で、今回のこの気づきも
らくだの事実を記録するツールである記録表は、
とってもいいサポートをしてくれていると感じた。