ここ最近、なかなかプリントに取り組めなかった自分がいる。
以前は朝にすっと体が動くのだけれど、
なかなかプリントに手をつけられない状態である。
こうやって何かを書こうと思っても、
体がなかなか動かなく、なにか重石が自分についているような、
そんな感じの状態がここ数日は続いていた。
プリントをやらなければ、記録表に空白ができてしまう。
その空白をみると、心地よい気分にはならない。
悔しさというのか、残念な気持ちにもなったりする。
だからといってこの空白を作らないために
僕は頑張ってプリントに取り組もうとも思えない。
(今の状態は頑張ってもできないとも言える。)
プリントを毎日続けようと思わなくても自然とできている状態でいたいのだと思う。
だから、「プリントを毎日できるようになりたい」と今までは書いていたし、思っていたのだけれど、「自然とプリントに取り組めるような自分で毎日いたい」というのがより正確な表現なのだろう。
それは結果として、「プリントが毎日できている」ということにつながる。
だから、プリントの空白を作らないために頑張ることは
僕の学習にとっては、真逆の意味を持つのだとおもう。
自然とプリントに取り組める自分でいられたらと思うけれど、
その状態が自分にとって「良い」のかはわからない。
このできない今の状態だからこそ、僕は自分を見つめ直すし、
見つめるからこそ気づけることや学べることがある。
自分の状態の「良い」「悪い」をつくらないでいた方がいい。
ただ、自分の状態を自分が把握していこうとすること。そのことから離れないでいたい。
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自分を把握しようと思っても、
把握できないことだってある。
自分の記録表を見たくないときだってある。
だけれどそんなときも、その自分を把握すればいい。
自分を把握するための記録表を見れない自分がいると、
自分を把握するための記録表の意味なんてないじゃないか。とさえ思えてくる。
だけれど、その記録表を見れない自分を見ればいい。
そのできない自分を把握すればいい。
そしてその自分に良いとか悪いとか判断しない。できないことは苦しいことかもしれない。もどかしいことかもしれない。
だけれどそれは、わるいことではない。
できないこととずっと向き合っていけばいい。