インタビューゲームには、3つのルールが決められている。
そのルールのおかげで、
今、どんな話し方をしているのか、どんな聞き方をしているのか、
相手はどんな話し方をしているのか、どんな聞き方をしているのかと言うように、
自分のコミュニケーションにおける現状を把握することができるように思う。
以前、書いたインタビューゲームのルールについての記事
そこから考えてみると、ルールは何のためにあるのか?
ルールや決まりごとに対して、
どういった意味を見いだすことができればいいのか?と思った。
これまで、ルールや決まりは僕にとって苦痛や、我慢といつもセットで、
ルールは僕に不自由しか与えてくれない。なんて思ったりもしていた。
振り返ってみると、そのほとんどは、
学校生活や部活動でのルールや決まりだったように思うけれど。
でも、インタビューゲームの3つのルールは、
不自由ではなく、自由をあたえてくれる。
3つのルールがあるから、僕は自分の状況を把握できるし、
こうしてみようとか、これはやめておこうとか自分で動くことができる。
それはなぜだろうか。と思ったときに、ルールは
自己確認のツールに過ぎないのかもしれないと思った。
ルールや決まりごとのおかげで、
自分がより見えるから、相手もより見えるから、
自分なりのアクションが生まれてくるのかもしれない。
ルールがなければ、相手も見えないし、
自分の現状も把握しづらくなる。
そうなると、自分はどこに向かっていけばいいのか、
何をどうやって工夫すればいいのかすら、
わからないのかもしれない。
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どうしてもルールがもたらす結果にとらわれてしまう。
この行いは、ルールや決まりの上で、
セーフとか、セーフじゃないとか。
でもルールの本来の意味合いは、
ルールがもたらす結果ではなく、
ルールの上で、それぞれが自己をよく認識し、相手を認識し、
その上で、どうアクションを起こすか。
そこにそれぞれのアイディアや工夫が生まれてくる。
そこに自由が生まれてくるのだろう。
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そう思うと、ルールとか決まりって、ただそれだけのもので、
ルールがあるからみんなが自分や相手を認識できる。
そのための指標なだけであって、
そのルールや決まりが正しいとか、倫理的にどうだとか、
あまりそこにこだわらなくてもいいのかもしれない。
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サッカーのオフサイドとか、
あんな複雑なルールは、
きっとサッカーをラグビーやアメフトとかとは
また違った楽しさを見出すために作られたルールなのかもしれない。
でも、今はそういうルールもビデオ判定で正しく判断しようとする。
本当は、そのルールから生まれる選手の創造性や判断力、
そういうところを楽しむためだけのものだったのが、
いつしか、ルールがもたらす結果の方が優先されてしまったのかもしれない。
ルールがあると、ルールに対しての正しい、正しくないは
生まれてしまうのは仕方がないことだ。
だけど、そこにこだわることは、
ルールの本来の役割ではないのかもしれない。
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自分の身の回りにあるルールや決まりごと、
これから作っていく、ルールや決まりごと、
それのもたらす結果ではなく、
そのルールの本来の意味やあり方をいつも問いながら進んでいければと思う。