地元に戻ってきて思うこと。
名古屋で生活している時、
岐阜で生活しているときには
なかった関係が自分に紐付いてくる。
近隣、近所、親戚、家族、、、、
あらゆる関係性が、自分の周りに紐付いていて、
その関係性のなかに形をもたない世間がうまれる。
その世間をどうやって自分がとらえていくのか、
その世間は自分の生き方に
何かしらの影響はうまれてくる。
世間とどう付き合うか、
世間をどう捉えるか、
世間とどう折り合いをつけるか。
【おむすびinterview】蒲原白銀児童館館長 大沼正伸 さん
静岡市蒲原白銀児童館館長
大沼 正伸 さん
今回のおむすびインタビューは、4月から蒲原白銀児童館の館長になられた大沼正伸さんにインタビューをさせていただきました。大沼さんは、3月に勤めていた会社を退社され、4月から蒲原白銀児童館の館長になられました。今回はとてもいいタイミングでインタビューをさせていただくことができました。
どのような経緯で館長になられたのですか?
もともと「自然公園づくりの会」という活動で、年に5回、この白銀児童館で「つくっちゃ☆あそび隊」という子ども遊びのイベントを担当していました。そういった機会を通して、この児童館とのつながりもありましたし、この白銀児童館という場所が自分にとっても居心地がいいなという感触も以前から持っていました。
環境が変化して、今はどのような気持ちですか?
今までは、会社に勤めながら、休日の土日に自然公園の活動(イベントの企画運営など)をしてきましたが、これからは平日の多くの時間で、子どもや保護者の方などと関わることができるようになります。毎朝5時には目が覚めてしまいます(笑)。とても自分自身が自然体でいられるような気がしています。また、児童館の館長になったことも、今まで自分がやってきたことの延長線なのだと思っています。自然な流れで、環境が整ってきているように感じています。
大沼さんはこれまでどのような活動をされてきたのですか?
もともとの活動のはじまりは、自分の子どもが幼稚園児だったときにはじめた、「緑の少年団」という少年団の活動です。その後「いはらわんぱく少年団」という活動へと繋がっていきます。それらの活動では、キャンプや自然あそびを通して、五感をフルに生かして子どもを育てよう。という想いで活動をしていました。この活動から「自然公園づくりの会」など、さまざまな活動に発展してきました。
現在まで約20年間、このような自然あそびの活動を続けてきました。ここまで続けてこられた理由は、単純に「好き」だからだと思います。子どもが近くにいて、子どもたちが子どもらしく遊んでいる空間にいると、自分の中に流れている血が騒ぐ気がしますね。
子どもや保護者の方と関わる中でどのようなことを感じますか?
1つエピソードがあるのですが、私がまだ子どもだった頃、マッチ箱が道に落ちていたのを見つけました。それをみて、「遊びたい」という気持ちが湧き上がって、家の近くで火をつけたことがありました。その姿をちょうど近所の方に目撃され、私の母親に伝達されてしまいました。そして、母親に怒られたんですね。自分としては、遊びたいという想いだけで、悪いことをしているという気持ちなど全くありませんでした。ただそれをきっかけに、その日から毎日、お風呂焚きの仕事を母親から与えられました。家庭の中で、僕の役割がうまれたんですね。
昔は、そうやって子どもの遊びの要素がくらしの中にあって、それが家庭の中での役割にもなっていたんです。でも今の時代は、なかなかそういった環境は無くなってきていますし、子どもをどうやって遊ばせるかということに困っていることが多いように感じています。そして、その簡単な解決策として、スマートフォンやゲームを与えていることも多いように思います。
昔、ゲームをやっていた子どもを公園に連れて行ったことがありました。そうしたら、子どもは自分たちで遊びを考えて、自分たちから遊ぶんですね。この姿がやはり普通というか、自然な姿のように思います。
保護者が困ってしまって、ゲームを子どもに渡すという発想には疑問があります。それは、あらゆることにおいて言えることだと思います。時代の流れに合わせて楽な方を選択していくことだけではなく、苦労はするかもしれないけれど、自分の選択、生き方をしていくことも大切だと感じています。
最後に4月から環境が新たに変わりましたが、どのように歩まれていきたいですか?
児童館は市の方針がある中での活動になります。ただ、これまで自分が続けてきたことが、また新たなステージで繋がってきていると強く実感しています。
「いはらわんぱく少年団」をはじめて20年になります。その当時の気持ちを忘れずに、これからもさまざまな人とのつながりの中で、人と関わり合いながら進んでいきたいと思っています。 (インタビュアー・編集:塩坂太郎)
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静岡市蒲原白銀児童館
HP:静岡市蒲原白銀児童館
NPO法人自然公園づくりの会
蒲原小金地区にある、中尾羽自然公園を拠点に、野の花パーティー、青空クッキング、青空ヨガなど、さまざまイベントを開催しています。
HPはこちら: 自然公園づくりの会
プリント返送日の振り返り:学習スタイル
今日、プリントを返送した。寺子屋塾のグループができたことで、2週間に1回の返送のやりとりに他者(同じ寺子屋で学ぶ人たち)を紐づけることが可能になった。
これまでは、井上さんとのやりとりであったけれど、
このやりとりに紐づけることができる人が新たに加わった。(これはありがたいことだ)
この機会をせっかくだからうまく使わせていただきたいと思う。
通信の学習を開始した当初は、「返送」という1つの行いが、
自分を振り返るきっかけになっていたのだけれど、
半年くらい経って、少しずつ返送という機会を、
自分の振り返りのタイミングとして使うことができなくなってきていたように思う。
学習スタイルに完全なものはない。振り返りのスタイルだって、自分に合ったスタイルがある。そしてその自分に合ったスタイルだって、完全なものなどない。
自分を取り巻く環境も、自分自身も変化していく。だからこそ、自分のスタイルだって自分なりにいつも変化させながら見つめ直さなければいけない。
この数ヶ月、今までできていたことができなくなる経験がものすごく多い。
ブログだって、全く書いていないし、
らくだメソッドのプリントも、その振り返りもできていない日が多い。
これまで「できない」という状況から、「できる」ようになってきたし、
「できない」という状況だからこそ、自分の気づきが得られることだってあった。だけどこの数ヶ月はいつまでたってもすっきりしない。
自分の環境はこの数ヶ月で変化したことは確かだ。
長期間自宅を離れたこともあるし、県外へ行くことも多かったし、新しい仕事もはじめた。そして今までの仕事も少し新しい方向性に進んで行く必要性を感じている。
らくだのプリントとは全く関係ないところでの変化なのだけれど、
この変化はらくだのプリントに影響を与えていることは確かだ。
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そう思いながら書いていると、
引越しの時もそうだった。引越し前は(岐阜に住んでいた時)夜にプリントをやることがほとんどだったけど、引越し後はほとんど朝取り組むようになった。
今まで自分の学習スタイルということにあまり意識を向けていなかったけれど、
無自覚的に自分のスタイルがあったのかもしれない。
その無自覚的なスタイルが、
自分の変化に応じていないということもあるだろう。
だからできなくなるのだけれど、できたいと思っていれば
できる方向へと向かっていく。無自覚的に自分の学習スタイルを
築いていくのかもしれない。
でも今の僕は、自覚的に自分の学習スタイルを築くタイミングなのかもしれない。
この返送方法に合わせて記事を書くこと、
それをグループに投稿して、
自分が振り返りが「できる」スタイルを自分で作っていくことは
自覚的に学習スタイルを築いていくことなのだろう。
そのスタイル果たして自分に合っているのかなんて
今の段階ではわからないし、そもそも何が合っているのかすら
わからないのだけれど、1つ自分の学習の形、スタイルに自覚的になって、
できないから「できる」の方向へと向かっていきたいと思う。
わからなくてもできることを理解する
わからなくてもできることを理解する
中2-35のプリントにはいった。
これまでやってきたプリントは、1問1問計算式が書かれていて、それをめやすの時間内に解いていくという問題形式であったけれど、
今回のプリントは、すべて文章形式となっており、
文章の漢字にふりがなをつけていくという問題形式になっている。
このプリントは「一次関数(1)ブラックボックス」というタイトルがついている。
このプリントは、「関数」とはブラックボックスであるということを
理解するためのプリントなのだと思う。
「関数」に入っていく一番最初の段階で、
この「関数」というものがどういったものなのか?ということを
理解しておく必要があるのだろう。
問題の中のこの言葉が心に残った。
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「このようなものを機械をあつかっている工学者たちは、ブラックボックスと呼んでいます。黒い箱というわけです。なぜ黒い箱というのかというと、中の『からくり』がわからなくてもよいからです。 … このブラックボックスの働きが関数なのです」
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この関数=ブラックボックスの働き ということを最初に理解して関数の領域に入っていくことと、理解せずに入っていくのとでは、数学が「できる」ようになることに大きく関わるような気がした。
というのも、数学は「わからなくてもできる」ということが存在するということを理解しておく必要がある。
ブラックボックスが存在して、その「からくり」がわからなくても「できる」ということがあり得るということを理解する必要があるのだ。
僕の学習を振り返ってみても、僕が家庭教師をやっていたときを振り返ってみても、この「からくり」が分からないから「できない」「できていない」と思ってしまうことは多くあるように思う。
また、『入力』と『出力』がわかっていないといけない と書かれているように、その上で何が分かっていないといけないのか?ということを理解する必要がある。
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このプリントからもわかるように、
関数の問題の解き方 を教えることは簡単ではない。
初めて関数に触れる子からしてみれば(初めてでなくても)、
問いがいくらでも生まれてくるし、
分からないことだらけだからである。
分からないとできないこと、
分からなくてもできること、を整理しておく必要がある。
分からないことなんていくらでもあり、
問いなどいくらでも生まれてくる。
だけれど、数学の世界では分からなくても、
分かる必要のあるものが分かれば「できる」ということがある。
ということをまず理解する必要があるのだろう。
ふり返りをふり返ろう。
最近は、プリントも手をつけない日々が増えてきていて、
この記事もなかなか書こうと思っても、言葉が馴染まない。
どうやって書こうか?と考えた時に、
自分のブログの検索機能を使って、「書けない」と検索をしてみました。
そうしたら、過去に書いた記事の中で、
「書けない」というワードを使った記事がピックアップされます。
過去にたくさん「書けない」という言葉を含んだ記事を書いていることがわかりました。
その記事を見返した時に、この記事の自分の状態と今の状態がとっても重なりあう部分が多くて、昨年の9月自分の書いた文章が今の自分を立て直していくヒントになったような気もしました。
静岡にきてから、数ヶ月が過ぎ、生活がすこし落ち着いたと思いきや、さまざまな面で変化のある毎日を送っています。この先も、今のような状態が続くような気もしますし、この状況の中でとにかくプリントを毎日できる状態を作れるようになることを、当面の自分のテーマとしてやっていこうと思います。
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ふり返りをふり返るという経験は、おもしろい。
誰も教えてくれないし、
自分のことをわかっている人なんていないけれど、
自分で自分をふり返った経験を、さらに振り返ってみる。
自分のこれまでのふり返りを、
今の自分の参考にしていくことは、
なんだかとてもいい気がしてきた。
今を整えていくヒントは、
これまでの自分のふり返りにある。
気づいたこと、学んだことだって忘れてしまうから、
ふり返りをふり返ろう。
プリントができない自分
ここ最近、なかなかプリントに取り組めなかった自分がいる。
以前は朝にすっと体が動くのだけれど、
なかなかプリントに手をつけられない状態である。
こうやって何かを書こうと思っても、
体がなかなか動かなく、なにか重石が自分についているような、
そんな感じの状態がここ数日は続いていた。
プリントをやらなければ、記録表に空白ができてしまう。
その空白をみると、心地よい気分にはならない。
悔しさというのか、残念な気持ちにもなったりする。
だからといってこの空白を作らないために
僕は頑張ってプリントに取り組もうとも思えない。
(今の状態は頑張ってもできないとも言える。)
プリントを毎日続けようと思わなくても自然とできている状態でいたいのだと思う。
だから、「プリントを毎日できるようになりたい」と今までは書いていたし、思っていたのだけれど、「自然とプリントに取り組めるような自分で毎日いたい」というのがより正確な表現なのだろう。
それは結果として、「プリントが毎日できている」ということにつながる。
だから、プリントの空白を作らないために頑張ることは
僕の学習にとっては、真逆の意味を持つのだとおもう。
自然とプリントに取り組める自分でいられたらと思うけれど、
その状態が自分にとって「良い」のかはわからない。
このできない今の状態だからこそ、僕は自分を見つめ直すし、
見つめるからこそ気づけることや学べることがある。
自分の状態の「良い」「悪い」をつくらないでいた方がいい。
ただ、自分の状態を自分が把握していこうとすること。そのことから離れないでいたい。
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自分を把握しようと思っても、
把握できないことだってある。
自分の記録表を見たくないときだってある。
だけれどそんなときも、その自分を把握すればいい。
自分を把握するための記録表を見れない自分がいると、
自分を把握するための記録表の意味なんてないじゃないか。とさえ思えてくる。
だけれど、その記録表を見れない自分を見ればいい。
そのできない自分を把握すればいい。
そしてその自分に良いとか悪いとか判断しない。できないことは苦しいことかもしれない。もどかしいことかもしれない。
だけれどそれは、わるいことではない。
できないこととずっと向き合っていけばいい。
インタビューゲーム会=インタビューゲーム+ふり返りセッション
インタビューゲーム会に初めて参加してくれた友達から
なぜインタビューゲーム会を何回も企画しているのか?という問いをもらって、考えを深める時間を持つことができた。
インタビューゲーム会を体験するとわかるのだけれど、
インタビューゲームはとても盛り上がる。
人と人とがつながるためのワークとしてもとても有効なワークショップであるように思う。
だからインタビューゲームを何かの一部、例えばプロジェクトのためのアイスブレイク的な役割のような位置づけで、何かの手段としてのワークショップとして捉えることもできるように思う。
だけれど、インタビューゲーム会4Hセッションは、
インタビューゲームで終わりではなく、ふり返りをして終了なのである。
だからこそ、このワークショップの目的というものが気になったという。
僕自身、このワークショップに目的はないと思った。
それは、このワークショップによって学べること、気づけること人それぞれだと思うし、人それぞれ課題やテーマが異なる中でそれは当たり前のことなのだと感じている。
だからこそ、このワークショップを主催して、参加者に何かを教えることは難しいと感じている。
だから、このワークショップの目的は「ない」と思った。
でも、このワークショップの目的はありません。と答えるのは簡単で、、
「目的はない」と言い切ることもまた違う感じがした。
このワークショップは何をもたらしてくれるのだろうか?
そして、僕自身何をこのワークショップを通してやっていきたいのか?ということに関して話した内容を書き留めておく。
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・続けることで見えてくることが楽しみ
らくだの学習もそうなのだけれどやはり続けなければ分からないことが、このインタビューゲームにもあるように思う。毎回毎回、インタビューゲーム会で学ぶこと、気づくこと、感じることがある。それが楽しみでもある。だから何度もやっている。
・インタビューゲームは現状把握のための手段
インタビューゲームを通して、自分の現状が浮かび上がってくる。それはインタビューシートの内容だけでなくて、インタビューをするとき(聞くとき)、されるとき(話すとき)、インタビューをまとめるとき(書くとき)にも、自分の現状が浮かび上がってくる。聞くこと、話すこと、書くこと という3つの要素から、今の自分の現状を把握することができる。インタビューゲームは「自分自身の現状を把握するための場」なのかもしれない。
・自分の現状を受け入れる練習
自分の現状を把握すると、「自分はまだ〜ができていない」とか、「こんなことを思ってしまった」とか、自分の浮かび上がった現状に対して、自分の中で良し悪しの判断をつけてしまったりする。そういう自分の捉え方の「くせ」がここに現れてくるように思う。
僕自身もそうで、自分の中に考え方や捉え方の「くせ」みたいなものがあって、どうしてもいつもその見方で物事を捉えてしまう。自分自身のことも、そういう自分よがりな、自分のくせで捉えてしまう。だけれど、それは自分の視点であって、その視点に気づいて物事を捉えることができれば、楽になることも多いと思うし、自分が広がっていくなと思うことが多くある。
だからこそ、インタビューゲームのあとにじっくりとふり返りの場をつくっていく。そうすることで、自分のこれまでの認識だけじゃなくて、他者の捉え方から自己を振り返る機会をゲットすることができる。このふり返りこそ、自分の現状を把握して、その現状を受け入れていく練習なのだと思う。自分の現状を受け入れて、ただ把握することができれば、きっとその現状は、自分でどんなようにも変えていくことができるのだと思う。
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まだまだきっと僕がインタビューゲーム会を続けていきたいという思いの中には、
自分でも気づいていなくて、言葉にしきれていないことがたくさんあるように思う。
それもまた、インタビューゲーム会を続けていくことのなかで見えてくることなのだと思う。
自分が明確に目的や目標がわかっていなくても、
自分のできる範囲で地道に続けていけたらいいなと思う。
最後に、インタビューゲームとインタビューゲーム会は違ったものだと僕は思っていて、「インタビューゲーム会=インタビューゲーム+ふり返りセッション」という
ことは伝えていきたいなって思っています。