これまでの自分を、そして今の自分を支えている「日常」をどう扱うか
毎日仕事をして、
情報ってなんだろうか。
情報ってなんだろうか。
日常の中で学び続ける
らくだメソッドの学習を開始して
もう少しで1年になります。
1日1枚計算プリントをやるということを続ける中で、
毎日「できる」「できない」とか
「何分でできた」「ミスは何個だった」とかいう事実が生まれてきます。
そういう事実への向き合い方や感じ方が
毎日毎日違います。
そういう中に日々変化している自分が映し出されてくるのだと思います。
そんな風に、日々の日常の中で自分の状況を掴みながら、
気づき学んでいきたいと思います。
そのためには、自分の日常を外へ持ち出したり、
他者と共有する機会を持つ。
そうすることで「日常」が、
僕の日常の中に馴染むことなく、埋まることなく、
僕の「日常」に存在してくれるように思いました。
せっかくフェイスブックでこれだけの人と繋がれているのだから、
もう少しこういう環境を生かしながら、
学んでいけたらなと思いました。
それは、今の時代だからできる学び方でもあるのだと思います。
自分の身の回りの環境や、
時代に合わせて自分で学んでいけるような力を、知恵をつけていけたらなと思いました。
日常の中で学び続ける
歎異抄とらくだの学習
歎異抄とらくだの学習
いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、
親鸞もこの不審(ふしん)ありつるに、唯円房(ゆいえんぼう)おなじこころにてありけり。
『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「坂本龍一×福岡伸一」』
『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「坂本龍一×福岡伸一」』
坂本:科学の… あの価値観
福岡:(科学は)再現性坂本:反対ですよね?何度繰り返しても同じ結果が得られることに信を置くのが科学。それと反対で(音楽は)一回しか起こらないから良い。一点しかないから良いとかね。坂本:そういうところにアウラがあるという…そこに価値がある。福岡:そうすると毎回同じことが必ず起こるとか、劣化しないとかたくさん同じものがある。坂本:複製技術時代ますますそれが高まっているわけですけどその時に一回性の問題は今、真剣に考える必要のある問題だと思っているんですね。福岡:印象的な一文があって、今回の「async」を作られた時に「誰にも聴かせたくない、自分だけで聴いていたい」という風に書かれているんですよ。これっていうのはCDに焼いてみんなに共有してもらうというところで同一性というものにとらわれてしまうんで、そうならないままの…一回限りのものとして慈しんでいたいなという感じ?だと思ったんですが。どうですか?坂本:鋭いですねえ。極端に言うと生まれて初めてそう感じたことなので自分でも不思議だなと思っていたし… 終わり方というのはとても大事だと作りながら思っていたんです。地図がないし、ゴールもないからどこで終わるかもわからないわけですね。だけどその瞬間というのがあるはずなんだよね。一番いい筆を置く瞬間がある。うっかりしていると自分でも気づかないで過ぎてしまう。…で余計なことを足していってしまうっていう。とてもそれを恐れていて今か今かと自分で作りながらもやめる瞬間を察知しながら作っていたというね、ちょっとかわった状態なんですけども。なるほど。それ一回性という問題に大きく関わるのかもしれないですね。う〜ん面白い。*** *** ***福岡:シグナルとノイズ サウンドとノイズの関係は、科学の世界でも同じような構造というか問題があって、本当は世界はノイズと名付けられる前のノイズだけの空間だった。夜空の星々みたいなものですよね。でも人間の脳はめぼしい点を結んで星座にする。別に星座って平面に張り付いている星の点じゃなくて、全然距離が違う奥深さが違うものを「図形(星座)」としてみているだけだし、それは今そうして見えているだけでその光だって何万光年も前から来ているものなんで、今はもうない光なのかもしれないし、そういったものをある種の図像、秩序として検出する。それがシグナルの抽出。シグナルを取り出すのが科学の営みな訳ですけど、ついついそういうことは忘れてシグナルが本当のものだと思ってしまうわけですけれども、音楽の分野でもそういった考えというか、感じっていうのはありますか?坂本:大いにありますね。音楽の場合には自然状態である「音」という素材を使って構築物を作っているので、すこし数学に似たところもある。ノイズは排除。ノイズは意味がないもの。地と図で言えば、図の方が意味のあるもの図をいかに美しいものに仕上げていくか、排除されるのは地でありノイズである。そのように何百年も変化、進化というか発達してきたわけですけども、面白いことにちょうど僕が生まれる頃ですかね、20世紀後半に入った頃にアメリカの作曲家のジョン・ケージっていう大変素晴らしい人がですね、もう一回、その地の方に耳を傾けようと。図ばっかり取り出すのではなくて地を見てみよう。ノイズを聴いてみよう。と。多分そういう事だと思うんですが、そういう事に挑戦をした。これは本当に大事な事で、いまだに、あるいはもうますます今、大事だなと僕は感じていて。*** *** ***◯理屈だけで世界を見ない坂本:我々人間のね、脳の特性としか言いようがないんですけども、どうしても何かの意味ある情報を受け取ろうとする。見ようとする、聴き取ろうとする。病み難くありますね、人間にはね。福岡:星座を取り出すというのは言葉の作用。人間の場合は特に、ロジックというかロゴスの作用ですよね。言葉による、分ける力。文節の力っていうのはすごくて、そのことによって本来、ノイズだらけの世界から星座、シグナルが切り取られていくわけで、あまりにもロゴスの力によって切り取られすぎると、やっぱり本来の自然というものは非常に変形するというか、人工的なものになってしまってもともと物理学のフィジックス、あるいは生理学のphysiologyの最初のphysis フィシスっていうのが、(physisフィシス=自然・ありのまま)本来の自然という意味で、プラトンとかソクラテスが出る前までの、もっと前のヘラクレイトスの時代に、自然というのは混沌としてノイズからできている、けれども豊かなものだというビジョンがあったわけですれど、まあプラトンやソクラテスが、イデアみたいなものを言い出して、坂本:まあ、ロゴスの人ですからね。福岡:そうですね。なんというか、ロゴスの強力さに辟易することがありますよね。坂本:ありますね。ありますね。だからどれほど星座に囲まれているかというのを、意識もできなほど、そういう網の目にとらわれている。福岡:認識の牢屋ですよ。坂本:そうなんですね。そのことにいつも考えさせられることが多くてですね。一度、思考実験として名詞を使うのをやめてみようと、1日努力したことがあるんです。これはほとんど不可能。生活できないというか、ほとんど話もできないし考えることすら難しい。福岡:できない。ええ。坂本:でもね、僕はこれ大事なことなんじゃないかと。やりながら。(2人)名付けない。福岡:名付けるということは、星座を抽出するっていうことですからね。坂本:まさにそのとおりなんですね。福岡:シグナルとしてとりだされたものじゃない… その本来のノイズとしてのフィシス(自然)の場所に下りていくためには、客観的な観察者であることを一旦止めて、フィシスのノイズの中に内部観察者として入っていかないと、そのノイズの中に入れない訳ですよね。坂本:はい。まず、自分もノイズだと認識しないといけませんね。だから自分と外に、あるいはその観察対象、自然に何か差があるとかですね、自分がまるで自然の外にいて、観察しているかのような認識の枠組み自体が間違いですね。福岡:そうなんですよね。坂本:自分自身は木と同じ自然。自然なんです。福岡:生命体 自然物ですよね。坂本:ところが果たして、どれだけの人がそれに気がついているだろうか。僕らが扱っている楽器もそうです。もちろん。福岡:そうですね。坂本:この大きな図体のピアノなんていうものは、よく見ると木だし中は…福岡:鉄だし。坂本:鉄だし。もともとは自然の中にあったものを取り出してきて。図のように取り出してきてですね。福岡:こう構成した。坂本:加工してですね、音階まで人工的に考えて。本当に人工に人口を重ねたもの。これを僕は元に戻してあげたい。福岡:なるほど。坂本:という欲望が最近強くてね。それで実はたたいたりしてるんです。こすったり。これはね、元のフィシス側の自然物としてモノが発している音を取り出してあげたい。という気持ちがとっても強いのね。福岡:今の話で私がふと思ったのは、音楽の起源ということなんですねよね。音楽の起源ってどこにあったとお考えですか。坂本:とても難しい問題ですね。楽器の起源ということを考えると、実は音楽の起源と、楽器の起源は非常に近い。あるいは、もしかしたら同じことなのかもしれませんが。まぁどの時点か分かりませんけども、そこに落っこっていた鹿の骨か何かを乾かしてみてそこで人口的に穴を開けようと。これはもう完全に自然の改変ですよね。穴をここに開けたほうが自分は好きだ。気持ちいい。洞窟に入って吹いてみるとよりいい感じだと。みんなでやってみようか。やりだすということは、まぁ容易に想像できるわけですね。なぜそうするか。そこがフィシスとロゴスの始まりでもあるのかもしれませんけど。なぜそういう欲動を持つのか。ここがもう僕にはわからないところなんですね。福岡:もっとも大事な自然物は我々の生命だというのは、音楽の起源とどこか重なっているような気がするんですよね。生物学的には、音楽の起源って、例えば鳥の求愛行動みたいに、鳴くことによってコミュニケーションする。それが歌になり音楽になったっていうふうに、語られることは多いんですけども、私は必ずしもそうじゃないんじゃないかと思うんですよ。この自然物に囲まれている私たちの中で、絶えず音を発しているものがあるじゃないか。それは、我々の生命体ですよね。心臓は一定のリズムで打っているし呼吸も一定のリズムで吐いたり吸ったりしているし、脳波だって10ヘルツくらいで振動しているしまあその、セックスだって律動があるわけですよね。そういう、生命が生きていく家で絶え間なく音・音楽を発しているわけですよね。ロゴスによって切り取られたこの世界の中では、我々の生命体自身も生きていることを忘れがちになってしまう。だから外部に音楽を作って、内部の生命と共振するような、生きているということを思い出させる装置として音楽というものが、生み出されたんじゃないかなって思うんですよ。坂本:非常にロマンティックですね。それはね。おもしろい発想ですね。仮にそうだとしても、それなのにやることは、やはりロゴス的なことしかできない。福岡:そうなんですよね。坂本:そっちの方に持っていってしまう。よりコントローラブルというか、コントロールしやすい福岡:で、楽譜に書くっていう。坂本:秩序立って。オーガナイズされたものにしていく。正確にやりたいんでコンピューターを使ったりとかっていうふうに。どんどんそっちの方に行く。おもしろい発想です。
『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「坂本龍一×福岡伸一」』
NHK Eテレ 6月3日(土)午後10時00分〜 午後11時00分
「事実」はいつも「一回性」をもつ。
「言葉」によって、僕たちは状況を「掴む」ことができる。その起きている状況というのは、常に一生に一度の出来事であって、その出来事を再現することはできない。だけど、その状況を「掴む」ための言葉はその逆の性質にあり、何度でも使い回しが出来てしまう。
*** *** ***
「事実」ということを考えると、
「事実」の奥深いところには必ず「一回性」という性質がある。
らくだの記録表には「数字」による事実の記録が残っている。
このデータは、二度として浮かび上がらないデータである。
「言葉」を用いて、この「一回性」という性質を浮かび上がらせるのはとても難しい話になってくる。
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「今を生きる」ということは、
「事実」をつかむことでもあるのかもしれない。
「今」とは「この瞬間」のことであり、
「この瞬間」は2度と訪れないものである。
つまり「一回性」である。
** ** **
事実を見つめるということは、
「一回性」を掴み、感じ、生きていくことになる。
一回性の世界に生きる僕たちもまさに、
一回性の存在であり、いつも同じ自分は存在しないはず。
いつもいつも自分は、
ずれていくはずの存在なのである。
言葉は時に、「一回性」を忘れさせる。
言葉でこの今ある「一回性」を浮き彫りにさせることは、
とっても難しいこと。
だから、言葉を使って生きる僕たちは、
「一回性」を忘れてしまうのかもしれない。