「手段が目的にならない問題構造」
「手段が目的にならない問題構造」
納得感はどこからくるのか⑵
6月に入って、らくだのプリントがなかなかできない日が多くなった。
書くこと
らくだメソッドのプリントは、
基本的には(目安の時間内にミス3問以内)というめやすに達していたら、
次のプリントに進んでいいということが決まっています。
けれど僕の場合は、小学校4年生あたりのプリントから、
毎プリント2回は必ずやることにしています。
なので1回でめやすに達していても、
次の日はまた同じプリントに取り組みます。
その同じプリントを2日で2枚という進め方をしていることが、
同じプリントなのに、プリントに向かうまでの状況が、
1日目と2日目は明らかに違うということを感じました。
1日目はもちろん「はじめてやるプリント」であるけれど、
2日目は「やったことがあるプリント」になります。
なので、2日目はおおよそ問題の難しさや、それにかかる時間の見通しがある程度わかっている。
けれど、1日目はどんな問題なのか?どれだけ時間がかかるのか?という状態で、プリントをやることになります。
だから、見通しがかなりもちにくい。それが、どこかしらで自分のやるタイミングにブレーキをかけていることがあるような気がしました。
ただ、前日に記録表にはさむ時(次の日やるプリントは、すぐに取り出せるように、前の日のプリントが終わった後に記録表にはさむようにしている)、5秒でもいいからプリントを意識的にみてみる。
めやすの時間や、問題数、問題形式。
それだけ5秒でパッと見れば、どの程度のプリントなのかは
少しはイメージできて、自分の中で1枚のプリントの見通しをたてられる。
本当に小さなことだけれど、
まったく知らずして、プリントに取り組むのと、
少しだけでも自分の中でイメージできて、見通しが持てているのは、
まったく違った状態に自分がいるのだと感じました。
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もちろん、まったく知らずして「実行」する経験だからこそ
現れてくる自分もあると思います。
ただ、毎日1枚のプリントをやるとなると、
「記録表に次の日のプリントをはさむこと」みたいな、
そういうちょっとした工夫をして、
自分を楽にさせてあげることが大事なんじゃないかなと思います。
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らくだメソッドの学習を始める前は、
毎日何かを継続するってすごいことだと思っていました。
それは継続力というような、継続できる「力」みたいなように思っていたのだけれど、
こういう体験から感じることは、
それは、「継続する力」という表現よりも、
どれだけ自分を知るというか、気づけるか。
そして、その自分を受け入れて、どうやって自分自身をサポートしていくのか。というようなことなのだと思います。
自分自身をサポートしながら「継続」できていることは、
なにも力も強さもいらないし、
頑張らなくてもいい。
むしろ、頑張らずに継続できる。
そういった自分自身をサポートできるようになることが、
継続力なのだと今は感じています。
「できる」ようになっているのに「できない」実感が強まること。
溢れる想いを少ない言葉に無言に込める
発達障害の子どもをもち、試行錯誤しながらも
子どもとうまく関われるようになったという事例を持つ
お母さんのメッセージがとても心に残った。
「溢れる想いを少ない言葉に、あるいは無言に込める」
できるだけ、言葉を減らして、相手が僕の心をイメージできて、
入り込める余白を作ってあげることだ。
言葉で全て伝えなくたって、
自分の気持ちを最小限の言葉に込めて伝えることができれば、
相手はそこから自分自身の心で、
メッセージを受け取ろうとする。
本当に想いを伝えたかったら、
相手の心を信じて、相手の心から自分の気持ちや想いを想像させて、
想いを相手から受け取ってもらったほうがいい。