そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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これまでの自分を、そして今の自分を支えている「日常」をどう扱うか

 

毎日仕事をして、

洗濯して、
ご飯を食べて、
眠って、
 
僕たちにとっての日常というのは
その自分自身の行為に対して
特に強引に意味づけをしたり、目的を意識したりするのではなく、
ただ流れていく時間の方が多いように思う。
 
そういう、自分では意識しない、見えない時間や事柄が
これまでの自分を、そして今の自分を支えている。
 
そう思うと、「日常」というのは
何気ないものなのだけど、
それはとっても大きなもののように感じる。
 
そんな目に見えない、意識しずらい「日常」に気づき、
そこから学んでいくことはとっても難しいように思う。
 
けれど、その自分を支えている「日常」
少しでもつかむことができれば、
うまく扱うことができれば、
それは大きな力なのだと思います。
 
** ** **
 
らくだメソッドのプリントの学習は、
1日1枚の計算プリントをやるという点で、
この「日常」というテーマが自然と結びついてくるように思います。
 
この「日常」ということについて、
以前、「日常の中で学び続ける」という記事を書いてみましたが、
 
らくだメソッドを通しての気づきや学びは、
この「日常」というものに対して
今までにないアプローチができるものだと感じ始めています。
 
** ** **
 
なぜ、僕の中にこの「日常」というテーマが生まれてきたのか?
それは、「プリントに対する意識の向かい方」によるものだと思う。
 
僕がこのらくだのプリントをやっている理由は、
特に何か目的があるわけではありません。
 
目的をもってやることが大事ということ同じくらい、
目的を持たずにただやることも大事という認識でいます。
 
この「目的」もなく、強引な意味づけも無く、
でも僕の毎日の中に存在し続けるという点は、
まさに「日常」の性質と重なります。
 
その点で、この1枚のプリントが自分の「日常」ということに
アプローチできるきっかけとなってくれているように思います。
 
** ** **
 
これまで、なぜ自分の日常の中で学ぶことが難しかったのか?
それは、「日常」だから、
自分には見えない、意識できない領域であったのかもしれない。
そして、その日常へのアプローチの仕方、近づき方を知らなかった。
 
でも、1日1枚のプリントは、
その見えない「日常」に近づいたり、
意識できるためのツールのような感じだ。
 
だから、今まで見えなかった、意識できなかった部分が徐々にみえてくる。
その気づきや学びはこそ、この学習の楽しみなのだと思う。
そして、自分の日常がだんだんと豊かになっていく。
けど、その日常すら僕たちは気づかずに、
意識できずにずっと「日常」に支えられて生き続けていくのだと思う。