そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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「問い」を持ちながらも、「問い」をかかえすぎないこと。

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問いは持っておくだけでいい。

問いに対して答えを見つけようとするんじゃない。

 

昨日は中村教室に久しぶりに行って思ったことです。

 

昨日投稿した「納得感はどこから来るのだろうか?」という問いは、

おそらく2〜3週間くらい前から考えていたことで、

なかなかうまく言葉に落とせていないでいました。

 

でも、昨日久しぶりに中村教室に行ったことで、

なんとなく昨日の記事が書けました。

 

***

 

自分の中で問いが生まれた時、

その問いを一生懸命考えようとする。

 

でも、自分の枠の中で考えていたって、

答えはいつも自分の枠の中に収まり、

自分を越えていかない。

 

だから、問いの答えを見つけよう。見つけよう。と思っても、

一向に答えは見つからず、

問いから抜け出せない。

 

***

 

昨日は中村教室で、僕は計算プリントをやったり、

読書をしているのだけれど、

僕の周りでも、いろいろな対話が起こっています。

 

そんなとき、ふと誰かが言った言葉や、

誰かと誰かの対話の内容が、

僕の「問い」に引っかかってくるわけです。

 

僕は全く「問い」に対して考えようとしていないのだけれど、

自然と「問い」に引っかかって、

「問い」が僕の中にあらためて浮かび上がってくる。

 

「問い」を持っておくだけで、

ふとした時に、感じたこと、

ふと聞こえてきた言葉や、

話の内容がその問いへ繋がってくる。

 

そのふとした感覚や、言葉は

自分が意識的に「問い」に対して

結びつけたものではなくて、

無意識的に、なぜか問いへと繋がったものである。

 

それは、自分の枠を超えたもの、

自分の枠から出たものと言えるかもしれない。

 

「問い」を持ちながらも、

「問い」をかかえすぎないこと。

 

「問い」は持っていさえすればいい。

きっと、その「問い」に何かが引っかかって、

自然と自分の前に「問い」再びが現れてくる。

 

そんなときこそ、問いを深めるチャンスだ!