問いは持っておくだけでいい。
問いに対して答えを見つけようとするんじゃない。
昨日は中村教室に久しぶりに行って思ったことです。
昨日投稿した「納得感はどこから来るのだろうか?」という問いは、
おそらく2〜3週間くらい前から考えていたことで、
なかなかうまく言葉に落とせていないでいました。
でも、昨日久しぶりに中村教室に行ったことで、
なんとなく昨日の記事が書けました。
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自分の中で問いが生まれた時、
その問いを一生懸命考えようとする。
でも、自分の枠の中で考えていたって、
答えはいつも自分の枠の中に収まり、
自分を越えていかない。
だから、問いの答えを見つけよう。見つけよう。と思っても、
一向に答えは見つからず、
問いから抜け出せない。
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昨日は中村教室で、僕は計算プリントをやったり、
読書をしているのだけれど、
僕の周りでも、いろいろな対話が起こっています。
そんなとき、ふと誰かが言った言葉や、
誰かと誰かの対話の内容が、
僕の「問い」に引っかかってくるわけです。
僕は全く「問い」に対して考えようとしていないのだけれど、
自然と「問い」に引っかかって、
「問い」が僕の中にあらためて浮かび上がってくる。
「問い」を持っておくだけで、
ふとした時に、感じたこと、
ふと聞こえてきた言葉や、
話の内容がその問いへ繋がってくる。
そのふとした感覚や、言葉は
自分が意識的に「問い」に対して
結びつけたものではなくて、
無意識的に、なぜか問いへと繋がったものである。
それは、自分の枠を超えたもの、
自分の枠から出たものと言えるかもしれない。
「問い」を持ちながらも、
「問い」をかかえすぎないこと。
「問い」は持っていさえすればいい。
きっと、その「問い」に何かが引っかかって、
自然と自分の前に「問い」再びが現れてくる。
そんなときこそ、問いを深めるチャンスだ!