一緒に考えてあげる。
近くでそっと手を貸してあげる。
そんな関わり方で、
目の前の人を安心させられると思ってきた。
子どもに対しても、
友達に対しても、
おじいちゃん、おばあちゃんに対しても。
でも、まなゆいを通して与えることができる「安心・安全」は
その真逆のことのようにも思う。
とことん相手に対して何もしない。
ただ、目の前の人の決める、
考える権利を大事にする。
あなたが決めていいんだよ。
あなたは、どう思うのか。
あなたは、どうしたいのか。
すべて、あなたに委ねていく。
だからこそ、
あっ、自分で決めていいんだ。
自分が、決められる存在なんだって、
だんだんと気付かれていく。
目の前の人が、
自分自身の本当の権利を自覚した時、
自然と安心感が生まれるようにも思う。
自分の本当の権利を手にすること。自覚すること。
自分には選ぶ権利があって、
決める権利がある。
そして、自分には責任がとれる権利がある。
裁かれる権利がある。
自分の本当の権利を自覚すること。
そして、目の前の人の本当の権利を大切にすること。
その権利の回復が、
安心感を生むのかもしれないな◎
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全てが自己決定で自己責任だから、
ガラス代金十五万円也はカオルちゃんが弁償した。ささやかな給料の中から、分割払いで長い時間をかけて返済した。
「べてるは、責任をとらせてくれるからうれしい」とカオルちゃんが言う。きちんと弁償して、責任をとることで、自分の存在も、そして自分の思いも、認めてもらえたことになる。人として認めてもらうことに、何物にも代え難い価値があった。
「とても普通の人たち」P64 より
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