そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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2018.8.17 引っ越しとらくだの学習

先日、中村教室に通っている仲間のみんなが

引っ越し祝いの会を開いてくれました。

 

みんな、らくだの学習に取り組んでいて、

毎週1回の通塾の際には、誰かが教室にいて、

いろんな話をしてきたみんなです。

 

引っ越しするにあたって、

この通塾というスタイルで

らくだの学習をすることはできなくなります。

 

ただ、らくだの学習は通信もありますので、

引っ越し後は、通信というスタイルで学習は今後も継続していきます。

 

通塾ができないという点で、

少し寂しい気持ちがありますが、

通信というスタイルで学習をしていくにあたって、

どんな工夫や、考え方が新たに必要なのだろうか?と考えていました。

 

— — — —

 

この、らくだの学習を自分一人ではなく、

日常の中で学ぶ、同じツールを使って学んでいる仲間とのつながりは、

僕にとっては大きな存在だと思っています。

 

みんなの気づきや、想いに触れられることで、

自分が何か気づいたり、学んだりすることがたくさんあります。

同じツールだからこそ、語り合えることもたくさんあります。

 

そういった人とのつながりの中で、

1日1枚のプリントが僕の日常の中に存在しています。

 

このつながりを距離は離れていても

大切にしていきたいと思うし、

この関係性を継続するための工夫をすることは、

今後の自分の課題・テーマのような気がしてきました。

 

これまでは、毎週中村教室に通うことができて、

週末には何かの学習会やイベントを通してそういった仲間と顔を合わせることが自然とあったので、

自分が意図的に何かその環境づくりのために何かする必要性は感じていませんでした。

 

引っ越しすることで、

距離は離れているけれど、

人とのつながりとともに、1日1枚のプリントがあるということを忘れないでいたいです。

同じ学習ツールで、それぞれが学びたいことを学んでいる仲間とのつながり、

ネットワークの中で自分が学びの主体となれる環境づくりを工夫できたらと思います。

 

その点で、SNSがこんなに発達していて、

ブログも書きている仲間がたくさんいること、

フェイスブックでは、いつでも発信できる環境があること、

そういった点では、

距離が離れていても「通信」という環境でも、

できることはたくさんあるように感じています。

 
この学習環境が変化する過程の中で、
新たな気づきや学びが生まれてくることを楽しみに、
日々1枚のプリントを通して、自分を掴んでいけたらと思います。
 
引き続き、皆様よろしくお願いします♩
 

2018.7.30 自然と内から答えが湧いてくる。

自然と内から答えが湧いてくる。

自然農の川口さんのところへ、
農学友の会の仲間7人で見学に行って来ました。

自然農をこれからやっていこうか?
自然農を自分の暮らしにどこまでやろうか?

それぞれさまざまな葛藤の中に生きる僕たちと
おしゃべりするなかで、「いろいろ体験されたらいいですよ。そしたら、自然と内から答えが湧いてきますからね」と言われた言葉が心に残りました。

自分の道を決めなければならない、と思わずに、
自然に内から湧いてくるまで、待てるか。その姿勢でいつもいることができれば、いつか内から自然に湧いてくるのだと思いました。

その待つという姿勢が、葛藤状態だったり、
悩み状態と見えるかもしれないし、自分自身もすっきりしない状態なのかもしれないけれど、そんな状態だからこそ、自然と湧いてくるものがあるのだと思います。

そして、そういう状態だからこそ、自然と湧いてきたものを掴めるのだと思いました。

 

ルールがあるから自由になれる。

インタビューゲームには、3つのルールが決められている。

そのルールのおかげで、
今、どんな話し方をしているのか、どんな聞き方をしているのか、
相手はどんな話し方をしているのか、どんな聞き方をしているのかと言うように、
自分のコミュニケーションにおける現状を把握することができるように思う。

 

以前、書いたインタビューゲームのルールについての記事

taroshio.hatenablog.com


そこから考えてみると、ルールは何のためにあるのか?
ルールや決まりごとに対して、
どういった意味を見いだすことができればいいのか?と思った。

これまで、ルールや決まりは僕にとって苦痛や、我慢といつもセットで、
ルールは僕に不自由しか与えてくれない。なんて思ったりもしていた。

振り返ってみると、そのほとんどは、
学校生活や部活動でのルールや決まりだったように思うけれど。

でも、インタビューゲームの3つのルールは、
不自由ではなく、自由をあたえてくれる。
3つのルールがあるから、僕は自分の状況を把握できるし、
こうしてみようとか、これはやめておこうとか自分で動くことができる。

それはなぜだろうか。と思ったときに、ルールは
自己確認のツールに過ぎないのかもしれないと思った。

ルールや決まりごとのおかげで、
自分がより見えるから、相手もより見えるから、
自分なりのアクションが生まれてくるのかもしれない。

ルールがなければ、相手も見えないし、
自分の現状も把握しづらくなる。
そうなると、自分はどこに向かっていけばいいのか、
何をどうやって工夫すればいいのかすら、
わからないのかもしれない。

— — — — — — — — — — — —

どうしてもルールがもたらす結果にとらわれてしまう。

この行いは、ルールや決まりの上で、
セーフとか、セーフじゃないとか。

でもルールの本来の意味合いは、
ルールがもたらす結果ではなく、
ルールの上で、それぞれが自己をよく認識し、相手を認識し、
その上で、どうアクションを起こすか。
そこにそれぞれのアイディアや工夫が生まれてくる。
そこに自由が生まれてくるのだろう。

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そう思うと、ルールとか決まりって、ただそれだけのもので、
ルールがあるからみんなが自分や相手を認識できる。
そのための指標なだけであって、
そのルールや決まりが正しいとか、倫理的にどうだとか、
あまりそこにこだわらなくてもいいのかもしれない。

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サッカーのオフサイドとか、
あんな複雑なルールは、
きっとサッカーをラグビーやアメフトとかとは
また違った楽しさを見出すために作られたルールなのかもしれない。

でも、今はそういうルールもビデオ判定で正しく判断しようとする。
本当は、そのルールから生まれる選手の創造性や判断力、
そういうところを楽しむためだけのものだったのが、
いつしか、ルールがもたらす結果の方が優先されてしまったのかもしれない。

ルールがあると、ルールに対しての正しい、正しくないは
生まれてしまうのは仕方がないことだ。
だけど、そこにこだわることは、
ルールの本来の役割ではないのかもしれない。

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自分の身の回りにあるルールや決まりごと、
これから作っていく、ルールや決まりごと、
それのもたらす結果ではなく、
そのルールの本来の意味やあり方をいつも問いながら進んでいければと思う。

 

 

 

 

 

 

草おさえ “今は未来”

昨日は、夕方から草抑えの作業をしました。

その作業の中で、今は未来だなということが実感できました。

明日はしっかりやろうとか、

今度はしっかりやろうとか、

「今」と「未来」を分けて考え方ってとっても多いと思います。

僕も、そういうこと良くしちゃうんだけど、
自然農の草抑えをして感じたことは、
「今」は必ず「未来」に影響を与えていて、
「今」と「未来」を分けることは不可能なんだということです。

つまり、今は未来なんだ。と思いました。

草抑えの作業も、苗作りや、田植えとつながっています。
それらの作業が、丁寧に、絶妙にできていると、
草抑えもとってもやりやすく、絶妙に作業ができます。

けれど、今年は苗作りがあまりうまくいかなかったために、
草抑えもかなり大変で、流れがとっても悪いのです。

だから、今をおろそかにして、未来をしっかりというのは難しくて、
今の行いも、未来につながっているということを
田んぼの作業だけでなく、いろいろなところで感じられるといいなと思いました。

そして、今目の前にあることを、
さっと流れの中でやれることが、
流れを作り、その流れに乗ることができれば、
いろんなことがスムーズに、楽にできるのかなと思いました。

 

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啓発ってなんだろうか

分かっているけどできない。

 

これはらくだの計算プリントでよく向き合うテーマである。

 

昨日、防災啓発の映画をみた。

その中で出てきた街頭インタビューで、

みんな、この分かっているけどできない。という状況の中に

いるんだということを感じた。

 

地震ための準備をしなければと思っているけど、やってない」

「やらないとと思っているけど、何をしていいかわからない」

 

そういう声がほとんどだった。

そしてその気持ちも、ものすごく共感できた。

 

防災だけでなく、多くの問題がここにあって、

みんな本当はやらないといけないことは分かっている。

 

だけど、できない。

 

そういう人たちに、「大事だ」と教えることよりも、

そういう人たちが、「分かっているけどできない」という現実と、

一人ひとりが向き合えるような関わりや、機会をどうしたら作れるのか?

そういう視点で、何かの重要性を伝えたり、必要性をとければと思う。

 

なんで、できないのか、そのできないという部分に、

自分らしい課題や、自分の大切にしていることがあると思うから。

 

みんなそれぞれ違うのだから、

みんなが自分らしい防災の形を、対策を、生み出すことが、

本当の防災なのかもしれないと感じた。

インタビューゲーム会のふり返りのふり返り

6/24に参加したインタビューゲーム4hセッション終了後に記入した感想シート(セッション後の振り返り)をもう一度振り返ってみる。

 

(2018.6.24 第8回 4hセッションを終えて)

インタビューゲームをやっていくと“問い”の大切さをいつも実感する。そんんあ中でインタビューゲームを続けていくと、“さて今日は何を聞こう?”と、問いに対して力が入ってしまう自分がいたように思う。けれど、今日のインタビューゲームでは、相手に対して“一方的な問い”ではなく、“今の自分に話したいことや、伝えたいことってありますか?”と聞くことができた。そこから話は発展して言ったように思う。

きっと、聞く人・話す人に分かれて、向かい合ったときに、すでにもうその関係性が、何かを生み出してしまっている状況にあるのだと思う。今日の僕だから板倉さんが話そうと思ってくれたことが必ずあるのだと思う。だから問いに対して力まずに、そこにいるだけでもう、二人の間で、その話し手が自然と生まれてくると思う。だから、インタビューをうまくとかじゃなくて、そのときだから掴める相手を、そして自分自身を楽しみたいと思った!

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母の前の自分、

父の前の自分、

先生の前での自分、

〜ちゃんの前の自分、

〜君の前の自分、

 

誰かとの関係性が変われば、

生まれてくる自分は必ず異なる。

 

インタビューゲームのときも同じで、

自分と対峙して、生まれてくる相手は、

自分だからこそ生み出すことができる、表現し返すことのできる相手なのだと思う。

 

だから、インタビューをうまくやろうとか、

どうしたら相手が話してくれるかとか考えずに、自分から離れないことが大事だと思った。

 

自分と相手の関係性の中で生まれてくる、相手がいるのだから。

 

 

自分が相手を生み出してしまうし、

相手によって、自分が生み出されている。

そう思うと、一人ひとりとの出会いや、共有できる時間が

とても貴重な体験のように思えてくる。

 

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書きながら、以前井上さんから紹介してもらった

マリーナ・アブラモヴィッチさんの1日8時間

3ヶ月間座り続けたパフォーマンスを思い出しました。

 

www.ted.com

 

 

 

 

 

祈れない自分

純粋に祈ることができれば、祈ればいい。

だけど、純粋に祈ることができないことのほうが僕は多い。

 

だから今、この目の前にあることを、

意味も目的もなく、ただやろう。

そんな自分でいつもいることができれば。

 

それは純粋な祈りと、おなじ祈りなのだと思った。