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そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

溢れる想いを少ない言葉に無言に込める

溢れる想いを少ない言葉に無言に込める

 

発達障害の子どもをもち、試行錯誤しながらも

子どもとうまく関われるようになったという事例を持つ

お母さんのメッセージがとても心に残った。

 

 

「溢れる想いを少ない言葉に、あるいは無言に込める」

 

できるだけ、言葉を減らして、相手が僕の心をイメージできて、

入り込める余白を作ってあげることだ。

 

 

 

言葉で全て伝えなくたって、

自分の気持ちを最小限の言葉に込めて伝えることができれば、

相手はそこから自分自身の心で、

メッセージを受け取ろうとする。

 

本当に想いを伝えたかったら、

相手の心を信じて、相手の心から自分の気持ちや想いを想像させて、

想いを相手から受け取ってもらったほうがいい。

 

3日間プリントをやらなかったことについて

3日間プリントをやらなかったことについて
 
イベント2日間と、その次の日にやらなかった。
やらなかったことに関して、
ただ流しておくことはなんだかとってももったいない
気持ちになったので、すこし振り返ってみようと思う。
 
◯精神的
イベントの2日間はとってもハードかつ、
いろんな面で感謝されたり喜ばれたりして、
とっても充実感に満ちていた。
疲れを忘れて、そっちの気持ちの方が多かったように思う。
 
終わった次の日は、終わった充実感と安堵感があったこと。
 
◯身体面
その週の1週間は睡眠時間はしっかり確保できていたものの、
一日中、to doをこなす1週間の中で、
準備が着実に進めることはできたものの、かなり体は疲れていたのかもしれない。
(らくだのプリントもできていたし、いい感じだと思ってはいたが。)
 
イベント終了の翌日はかなりの疲労感で、
すぐに眠ってしまい、かなりの時間眠った。
 
◯いつもと違うこと
・まずは長距離の移動があったこと。
新幹線の移動、長距離の電車などかなり体に負担がかかっているように思う。
 
・睡眠時間
睡眠時間が合宿の2日間はかなり短かった。
いつもと違う環境で寝ることもなんだか落ち着かない。
 
・1日の流れ
合宿イベントの主催ということもあり、かなり気を働かせていたこと。
 
・まとまった自分の時間がなかった
いつもはまとまった自分の時間がある。(家に帰ったら、1時間くらいは自由にパソコンをいじったり、
読書をする時間がある)
イベントの二日間はまとまった自分の時間があまりなかった。
 
・一緒にいるひと
ほとんどの人が久しぶりの再会or初対面
 
・自分の立場=主催者
 
 
振り返っただけでも、この3日間の変化はこれだけある。
同じ1日はないように、毎日毎日さまざまな変化に対応しているのだと思う。
そこに意識はあまりないのだけれど、
意識がない分理由もわからず体や心に影響が出てきているのだと思う。
 
らくだのプリントができている時は、
なんとかその変化に対応できている範囲なのかもしれないし、
できなかった時は、
その変化への対応が自分の範囲を超えて行ってしまっているのかもしれない。
 
その変化に対応できないのは、自分の見通し(時間・空間)の甘さなのだと思うし、
その見通しができていても、自分の能力がまだまだ足りていないところだってあるのだと思う。
 
そう思うと、この3日間はいつもより非日常で、
自分の見通しの力と、その見通しに対する行動のレベルが
どのくらいなのか?ということを見つめることができたように思う。
 
今後も同じような仕事があると思う。
それは、自分の見通しと、それに対する実行力が試せる機会だと思う。
 
たまにはそうやって、
大胆に違った1日があると、わかりやすく今の自分の現状が現れてくるのかもしれない。

まなゆい 5周年記念合宿終わりました!

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まなゆい5周年記念合宿@伊豆高

無事開催することができました(^ ^)

 

現在は、インストラクターとしてまなゆいに関わるだけでなく、

事務局の仕事もさせていただいています。

 

ですので今回は、事務局としてイベントに関わらせていただく面もあり、

イベントに向けて様々な準備を進めてきました。

 

その過程の中で、「まなゆい」で出会った人と、

その深いつながりの中で働けることの心地よさを感じながら

この合宿の終わりを迎えることができました。

 

インストラクターのみんなと比べて、

特に僕は年齢的にも若く、

さまざまな面で経験的に浅いと思うけれど、

かなり「自分のまま」(特に小さくなったり、遠慮したりすることなく)働けていると思います。

 

これは、僕が元々自分に自信がある人間だからとかではなく、

まわりにいるインストラクターの仲間のみんなとの

関係性がそうしてくれているのだと思います。

 

まわりのみんなが「受け入れ、認め、ゆるし、愛している」というあり方でいてくれていること、

 

そして、お互いがそのあり方をいつも分かち合えているからだと思います。

 

そして、そんな関係性の中にいると

新しい自分に出会うことが多いように思います。

 

1つのチームの中で働いてみると、

頼まれることや、役割を分担することなど、

誰かから何かをお願いされたり、

誰かとの関係性の中で、自分の仕事が生まれてくるときがあります。

 

そうすると、必ず他者から見た自分に対しての「仕事」が生まれます。

これは、きっと自分の見えていない「自分」の姿だと思うし、

それを実際にやってみると意外にも人に喜ばれたり、

自分でもやっていて得意だなと思えることが生まれてきたりします。

 

そう思うと、集団の中に身を置くこと、

さまざまな人とのつながりの中で何かをしていくことって、

自分を広げていく上でとっても大切なことだと思いました。

 

今後も、たくさんのつながりが増えていくと思います。

そして、みんなで進めていくことがたくさんあります。

 

その進めていく「何か」ももちろん大事だと思うけれど、

その「何か」ができるまでの「過程」の中で出会える自分、

そして、出会える相手の魅力や優しさに触れることを

味わいながら、感じながらこの先も仕事をしていきたいと思っています。

「受け入れ認めゆるし愛しています」で生まれる関係性は、

きっとみんなにとって、新しい自分・相手に出会える素晴らしい言葉だと思います。

 

そんな言葉で繋がれている関係性をいつまでも大切にしたいと思っています。

 

イベントに参加された皆様、

インストラクターの皆様、お疲れ様でした!

量の中に質が現れてくる。

量の中に質が現れてくる。
 
小5-5(問題数:90問)
 
昨日同じプリントをやって、
10:04かかったプリントが、
今日は8:30でできた。
 
1日にして約1:30も解くスピードがはやくなった。
(ミスの数も昨日と同じ2問だった。)
 
***
 
この体験から、「質より量」とか「量より質」という言葉を思い出した。
 
 
この言葉にあるように、
 「量」と「質」というものが
相対するような認識を持っていたのだけれど、
量と質というのは、相対するものではなく、
 
「質」というものは
「量」の中に見えてくるもののように感じた。
 
この計算プリントの中で言える「質」というのは、
「1問1問の問題をミスがなく、はやく解くこと」と言えるとおもう。
 
その質をはかるためにはどうすればいいのか?と考えた時に、
「量」をこなすしかない。
 
1問の質を、1問ではかることはできなくて、
この計算プリントも、
1門の質が、90問という「量」が積み重なって、
浮き彫りになってくる。
 
だから、「質」の前に、「量」が先にある。
「量」をこなす中で、
自分の「質」が見えてくるのだとおもう。
 
***
 
どんなことでも一緒で、
「量」をこなさなければ
「質」を上げることはできないのかもしれない。
 
「量」をこなさなければ、
「質」を上げるための
ヒントも得ることができない。
 
だから何事もとにかくやってみること、
反復して続けてみることが大切なのかもしれない。
 
そうすると、自分の質が積み重なって、
わかりやすい形として現れてくる。
 
そうして、「量」から見えてきた現実を
試行錯誤していくことで、「質」は磨かれていくように思いました。
 

お肉屋さんのおばあちゃんに質問

質問することで、日常は楽しくなる。

 
毎朝買い出しにいくお肉屋さんのおばあちゃん
 
結構歳がいっているおばあちゃんだけれど、
毎朝お肉を切って、僕たちに売ってくれている。
そんなおばあちゃんに
「おばちゃんはどこからきているの?」と聞いたことから
話が始まった。
 
おばあちゃんは一時間以上かけて通勤しているという。
 
「なぜそんな遠くから来ているのか?」
そう聞いたところ、おばあちゃんは以前、屠殺所で働いていたという。
だけれど、そこがなくなってしまったため、今の職場に異動になったようだ。
 
屠殺所で何十年も働いていたようで、いろんな話をしてくれた。
 
毎年多くの若い人が就職してくる。
だけれどほとんどが1〜3日で辞めていくという。
多くの人が嘔吐してしまったりするようだ。
 
豚・鳥・ヤギなどいろいろな動物がいたようで、
豚は基本的に約3ヶ月間かけて育てるようだが、
夏の豚は、人間と同じように暑さで餌を食べなくなる。
だから大きくなるスピードも遅いため6ヶ月かかるようだ。
 
そんなお話をしてくれた。
 
時間も少なかったので、ここからもっと質問したかったけど、
ここで会話終わってしまったけれど、
普段聞いたことのない、話を聞けた。
 
そして、毎朝黙々とお肉を切りながら、
何気ない言葉をかけてくれるおばあちゃんの人生の中に、
こんな体験があったとは。
 
人の人生それぞれいろんな体験があって、
その話を聞けることがとても貴重な時間だった。
 
 
***
 
車屋の店長さんとのお話
 
車が故障し、買い換えることになり、
車屋に行くことになった。
 
そこでの店長さんとのお話。
 
創業15年。
社長が買い付けに行くのだけれど、
かなりマニアックな車を買い付けてくるそうだ。
それを販売しなければならない店長さんの表情がなんとも印象深い。
 
マニアックなお客さんには車の説明などしない、
近くにいたら邪魔してしまって、
反対に車をみてもらえない。
 
マニアックな車は、全国にいるファンがいつか必ず買ってくれるから、仕入れればいつかは必ず売れるそうだ。
 
車屋には150台もの中古車が置いてあるという。
その中古車を、売れる時は一ヶ月に30〜40台さばくという。
 
昔は雑誌をみての来客がほとんどだったけれど、
今はほぼインターネットに変わっているようだ。
 
質問すれば様々なことを話してくれる。
自分も全く知らない業界の話だから、
聞いていてかなり面白かった。
 
****
 
質問することで、何気ない日常も全く違った世界になる。
相手から見えてないものが見えてきた時、
相手が見せていないものを見せてくれた時、
相手との距離がすこしずつ近づいて、
あったかい気持ちになる。
 
質問することで、見えていない世界を相手が開いてくれる。
 
どんなに何気ない日常の中にも、
そこには触れ合う人がいて、
その人たちにすこしだけ質問をしてみると、
見えていない、楽しい世界が開かれていく。
 
そして、そんな人と近づいている、分かち合っている時間は
とってもあたたかい気持ちになると思います。
 
そんな気持ちも、「問いかける」ということから全ては始まっている♩
 

挑戦・チャレンジ

何を挑戦というのか?

 
小4 39~41
 
時間内には確実にできるようになったのだけど、
足し算や引き算の時みたいに、
頭より先に身体が解いてくれるような、
そんな感覚で問題が解けるようになりたい。
 
そう思って、何度もこのプリントを繰り返しやっているのだけれど、
そろそろ限界というか、何かを変えなければいけないな。という気がしていた。
 
どうしたら身体に染み込んでいくのか?と考えたとき、
それは「速さ」を意識することで鍛えられるような気がした。
 
そう思って、今までの記録表を見返してみると、
僕は今までの計算プリントで、ミスが4つ以上あったプリントはほとんどない。
 
今までそのことに関して、何も問題はないと思っていたし、
むしろ一問一問を丁寧に解けているから、いい事だと思っていた。
 
だけど、「なぜミスが4つ以上がないのか?」という問いに向き合ってみると、
 
「ミスをしてはいけない」という意識がいつも解いているときにあるし、
ミスが少ない方がいいことで、丁寧にできている証拠だ思っている自分がいる。
 
もちろんそうとも言えるかもしれないけど、
そういう自分の意識があるからこそ、鍛えられない、
磨かれない部分があるということを忘れてはいけない。
 
今の僕にとって、大切なことは「ミスを少なく丁寧に解く」ということよりも、
むしろその意識を手放していくことなのかもしれない。
 
もしかしたら「ミスをしない」という意識が、
体へしみ込んでいくことのブレーキになっているのかもしれない。
 
ミスをしてもいいから、「速さ」を意識して解いてみる。
問題を見たときに、考えずにぱっと浮かんだ数字を
どんどんプリントに書いて進んで行く。そんな姿勢で問題に取り組んでみたい。
 
きっとそんな解き方をしたら、
ミスは確実に増えていくし、また新たなできない体験が現れてくる。
 
でも、できるようになりたいから、やれるのだと思う。
こういうことが「挑戦」とか「チャレンジ」と言うのかもしれない。
 
今の自分を知らずして、
挑戦もチャレンジもできないし、
 
挑戦すること、チャレンジすることは
いつも自分で見つけられるものだし、
自分でやるかやらないかも決められるものだとも言えると思う。
 
***
 
やることはいつもと変わらない1枚のプリントであるし、
挑戦といっても、外から見れば
ほんの些細なことなのかもしれない。
 
でも、自分にとっては挑戦で、
自分で見つけた、自分で決めた挑戦であって、
結構大きな挑戦とも言える。
 
誰かの挑戦も、きっとこういうものなのだと思う。
 
僕からは見えにくいし、
外に現れるものは、ほんの小さな小さなことなのかもしれないけれど、
目の前の人は、自分で見つけて
自分で決めたチャレンジをしていることがある。
 
それは、小さそうで意外にもその人にとっては
大きな挑戦なんだよなと思いました。

「問い」を持ちながらも、「問い」をかかえすぎないこと。

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問いは持っておくだけでいい。

問いに対して答えを見つけようとするんじゃない。

 

昨日は中村教室に久しぶりに行って思ったことです。

 

昨日投稿した「納得感はどこから来るのだろうか?」という問いは、

おそらく2〜3週間くらい前から考えていたことで、

なかなかうまく言葉に落とせていないでいました。

 

でも、昨日久しぶりに中村教室に行ったことで、

なんとなく昨日の記事が書けました。

 

***

 

自分の中で問いが生まれた時、

その問いを一生懸命考えようとする。

 

でも、自分の枠の中で考えていたって、

答えはいつも自分の枠の中に収まり、

自分を越えていかない。

 

だから、問いの答えを見つけよう。見つけよう。と思っても、

一向に答えは見つからず、

問いから抜け出せない。

 

***

 

昨日は中村教室で、僕は計算プリントをやったり、

読書をしているのだけれど、

僕の周りでも、いろいろな対話が起こっています。

 

そんなとき、ふと誰かが言った言葉や、

誰かと誰かの対話の内容が、

僕の「問い」に引っかかってくるわけです。

 

僕は全く「問い」に対して考えようとしていないのだけれど、

自然と「問い」に引っかかって、

「問い」が僕の中にあらためて浮かび上がってくる。

 

「問い」を持っておくだけで、

ふとした時に、感じたこと、

ふと聞こえてきた言葉や、

話の内容がその問いへ繋がってくる。

 

そのふとした感覚や、言葉は

自分が意識的に「問い」に対して

結びつけたものではなくて、

無意識的に、なぜか問いへと繋がったものである。

 

それは、自分の枠を超えたもの、

自分の枠から出たものと言えるかもしれない。

 

「問い」を持ちながらも、

「問い」をかかえすぎないこと。

 

「問い」は持っていさえすればいい。

きっと、その「問い」に何かが引っかかって、

自然と自分の前に「問い」再びが現れてくる。

 

そんなときこそ、問いを深めるチャンスだ!