そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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8月のふりかえり その2

因数分解の応用に入ってから
なかなか合格できない日が続いている。

なので同じプリントを何度も行うため、
同じプリントが何枚も必要になる。

通信の場合は、毎回の郵送時に次回の郵送までに自分が行うであろう教材をお伝えし、返送封筒に追加して送りかえしてもらう。

今回、因数分解の手持ちプリントが不足したために、
因数分解をまだ合格できていないが、
次のプリント(平方根)をやらざるおえない状態になってしまった中で、
「できないのに前に進む」ということに対しての違和感を感じる。

** ** ** **

これまでの自分の学生時代の学習を振り返ってみると、
やはり前に進むことを重要視してきていた。

受験勉強のために、なるべく早く教科書の内容は終わらせる。
課題や宿題も、はやく済ませてほうがいい。

そうやって、前に前に進もうと学習を進めてきたし、
前に進まなくてはならない環境に置かれていたともいえる。

前に進む流れの中に身をおいてしまえば、
できないこと、わからないことがあっても前に進んで行く。
そして後には戻れない。そしてますますできなくなっていく。
分からなくなっていく。そして、自分は勉強ができない人だと思ってしまうことだってある。

** ** ** **

学習において、前に進む決断は、学習者本人がすればいい。

学習環境に、前に進む流れを生み出してはいけない。
前に進むことを良しとする空気をつくってはならない。

学習者本人が、前に進もうと思えば、進めばよい。
まだだと思えば、進まなければよい。
前に進んでみて、戻ったほうがいいと思えば戻ればよい。
たまに冒険したいと思えば冒険してみてもよい。

人は自然と前に進みたがるように思う。それは前に進んでも大丈夫だという自分自身への信頼からだと思う。

このらくだプリントの合格基準(めやすの時間内にできること ミスが3問以内)は、前に進んでも大丈夫だという自分自身への信頼指標ともいえるように思う。

だから、らくだのプリントを幼児プリントから高校までやり続けるということは、
それだけ自分への信頼を積み重ねていくことでもあると思う。

前に進んでも大丈夫だという自分自身への信頼を獲得して、
前に進んで行く。その繰り返しをしてくようなものだ。

だから、自分への信頼を獲得せずに、
前に進むことに違和感が生まれるのだ。

** ** ** **

学習者本人が、前に進もうと思えば、進めばよい。
まだだと思えば、進まなければよい。
前に進んでまだはやかったと思えば、戻ればよい。
たまに冒険したいと思えば冒険してみてもよい。

本当にシンプルなことなのだけれど、
プリントに限らず、どれだけこのことができているだろうか?
前に進む流れを生み出していないだろうか?


2019.8.31 インタビューゲーム会 感想シート

8月31日に、静岡駅近くの会場をお借りし、インタビューゲーム会を行いました。今回は参加者6名のうち、4名がインタビューゲーム初体験でした。

以下、参加者の感想シートです。

 

このイベントを参加するにあたり「何を得られるのだろう?」というギモンとワクワクをもってきました。でも今日は多くの学びがあったと感じています。特に、人に質問をするとき、相手が答えた内容から、次の質問をリードするのに難しさを感じました。楽しい時間だったけど、とても頭を使い集中した時間でした。

普段から1対1で英会話をしている私は、もしかしたら、相手の話を自分の都合の良いように無意識的に話をコントロールしているのでは・・・?と気づかされました。

イベントの内容はとても面白くて、自分を客観的に見ることができる良いきっかけになりました。ふり返りの時間がとても勉強になり、他の参加者が感じていることが私には無い感想だったりして、ただインタビューするだけでなく、インタビューゲームを通して学んだことを振り返るって大事だなと思いました。

 

たろうさんと木下邸で知り合ってどういった人なのか等あまり知らずにこのゲームに興味を持ってきましたが、自分を振り返る時間になってよかったです。
自分が自分についてどう思っているのか、話した分も話せなかった分(話すべきかまよった、話すのを恥ずかしいと思った)も含めて今の自分にどんな気持ちを持てているのかを改めて知りました。
またみなさんの紹介を聞いてみて、みなさんが何に楽しさをかんじているのか、やどんな活動経験を通して、こうしたい、◯◯をしたいと思えたのか、ということを聞けてとても刺激をもらいました。自分自身は2.0の活動で楽しく知り合いを増やす場づくりをやっていますが、深さというよりはそこで色々な人同士が知り合ってもらえるというのを目的にやっているから、1対1でこれだけの時間を初対面で話すのは新鮮でした。
3年後どうしていたい?という質問にやりたいことはあるけれど、それでどうなりたいかまで考えられていない自分に気づきドキっとしたし、焦りというかちょっとまだ浅い自分にきづけたのもよかったです。
ありがとうございました。
あと人の話を自分も聞けてないなと思った。



インタビューを自分がする側になるのは初めてでした。話し手が、どんどん話してくれると嬉しくて、自分も話しやすい雰囲気づくりを心がけました。一段落ついたときに、聞いてきたことを整理して、次の質問をすることや、つなげることがすごく難しかったです。自分の質問で、相手の思い出していたところや、深まっていた考えを詰まらせてしまった気がしました。自分なりに広く聞いた方が相手はその中から話しやすい捉え方で、教えてくれるのかな。と思いました。(聴くことが決まっていないとき)
自分がされる側になるときは、どんどん深めて話せて、相手が聞いてくれるのでずっと話していていいということに、少し動揺しました。自分の思っていることを自信を持って話すことも大切だと思いました。
 全員で意見を交流したときは、普段いる環境も通ってきた道も違う中で、考えをつなげていくのが、“考える”ということに特化してやるのは難しいことだと思いました、伝え方や、これ言おうかな、、、と思うことがあったからだと思います。もっと堂々と気にせず話せるようになれるのかな、と思いました。相手の話を聞いていて、発見したことや、そこから気づけたことを実行するのは案外忘れやすいものだと思うので、今日は、言葉を大切にすることと、行動しよう!ということを覚えておきたいです。

 

きく、はなす、かくの3セットを普段のコミュニケーションとは違う制限を入れることで、「普段」への違和感が露呈される。
普段のコミュニケーションが手段が目的化されているとしたら、まずいなとかえりみるいい機会になりました。

 

普段、自分の考えを話す、人の考えを聞くということは、行っているけれども、人の想い(考え)を人に伝えるような文章にまでするようなことがないなと感じました。報道対応など、発信するにしても受けるにしても正確な情報について考えさせられると同時に、脳のトレーニングとしても面白いなと感じました。
 また話すことに関しても、最後に文書化されることで、自分の話し方で相手にどんな形で伝わったのか、理解されたのかを知ることが出来たので、ゲームとして面白いを思いました。

 

これまでは、インタビューする側=“きく”という意識でインタビューゲームをしていたが、インタビューされる側の“きく”についての意識がかなり欠落しているということに気づいた。相手の“問い”をどれだけ聞くことができるか。相手の問いに対してどのように言葉を選べばいいのかに、もっと敏感になりたいと思った。
“話す”というのも“聞く”からできるわけであって、改めてきくことができていない自分を自覚することができた1日だった。
それはファシリテーションにもかなり影響が出ていて、自分の話し方、言葉の使い方をいつも自分がセルフモニタリングできれば、話し方はかなり変化すると思うし、場の質も変わるのだと感じた。

 

第2回(2019.3.2) インタビューゲーム会4時間セッション@木下邸 の感想シート

2回目のインタビューゲームを終えて、自分に対する新たな発見ができました。インタビューは、相手のことを自分が知る機会なんだと思っていましたが、インタビューをすることによって相手の考えを知り、インタビューされることによって自分のことを知ることができると感じました。いろいろな考えの人がいて、いろいろな表現をする人がいて、いろいろな形でこのゲームに参加する人がいて「みんな違ってみんあいい」と思いました。インタビューゲームで得た気づきをこれからも自分に生かしていきたいと思いました。

 

・自分の頭の中にあるけれど言葉にできていなかったことを言葉にしてくれるので気づきになる
・人数が多いと考え方や感じ方も多様になって面白い。
・インタビューゲームは相手にしっかり向き合うことができるので、普通に話すよりもより深い話ができるし、信頼関係が築きやすいと思う。
→相手にしっかり向き合うには気持ちと環境が必要だと思う

 

今までに体験したことのないインタビューゲーム会でした。集まる人、場所、プロセスによってこれほどまでに雰囲気は変わるのかと驚きです。わりと僕の中ではインタビューゲームは「煮込み料理」のイメージでした。今日のは野菜炒め、ざく切り野菜を一気に炒めて出来上がり!!でもどっちも美味しくて良さがある。そんなことをしみじみ思いました。

 

絶不調だーい。しかしそれもまた一興。かみ合わなかったからこその展開。「不便さ」が生み出すたのしさ、比較することについて、言葉にできないこと。
研究したいことがいっぱい!

 

こんなにも笑いの絶えないインタビューゲーム会は初めてでした。(今までの会に笑いがなかったというわけではない)
インタビューゲームといえばこんな雰囲気!みたいなものが自分の中に少なくとも存在していたんだと思い知ったと同時に、固定されつつあった考えを良い意味で打ち砕いてくれたと思う。
楽しいだけではなく、誰かが今日は、弾けている印象として言葉があってからは真剣な深い話もしていいという流れもあって、ファシリテーターのたろういや、もんたを介さなく(言葉がなくても)ても場がつくられていることに感心した。
そう、自分はこの場にいて、この場をつくる担い手の一人という気持ちが誰もが持っていたのかもしれない。だから、今日のようなインタビューゲーム会になったのかもと思いました。
たろう、いやモンタいや、旦那とウィリアムズさんありがとうございました。

 

かなり久しぶりにインタビューゲーム会に参加してたのしかったです。
ただひたすら聞き合う、というのは、普段の生活にはなかなかないことで、普段なら「こんなに聞いてもいいのかな?」とか、「自分ばかり話しすぎてないか?」とか考えてしまうけど、そういう意識なく、聴き合えるのでいいなぁと思いました。話を聞いていくと、この人はこういうことを大切にしているのか、と新しいことが聞けて、相手をより身近に感じられた気がしてうれしかったです。
また、自分一人で考えていても出てこない言葉や思いが人と話す中で生まれてくるというのが面白かったです。最近は、家族以外ではこうやって人と会って色々な話をするという機会があまりなかったので、やっぱり人と会って話したり、笑いあったり、相手の考えていることを知れたりするということは、楽しいし、好きなんだなーと改めて感じたので、こういう場を作ったり参加したりしていきたいなぁと思いました。安心して話し、聞き合える場所というのはいいですね。

 

初蒲原。木下邸は想像以上に素敵なところですね。居心地がいいなぁ。そういえば、畳のお部屋・卓上台でインタビューゲームって初めてかもしれません。ダルマストーブを囲んでほんわか春心地で出来ました。
ファシリテーショングラフィックが何故好きなのか、何故好きになったのか、を問われて、改めて考えさせてもらえたのが大きな収穫です。「書くことが好き」なのですが、あくまで前段に「話すこと」「聴くこと」があってのもので、それを抜きにしては語れないのです。インタビューゲームも似ているかもしれないですね。
だから振り返りの時間がとても面白かった。10人+1人と比較的大人数で行ったからこそでしょう。どのペアも「Nice組み合わせ」と思ったし、1人1人の気づきや言葉に触発されて、「新たな発見」がいろいろあったのではないでしょうか。たくさん拾わせていただきました。ありがとうございます。
筋肉は裏切らない。

 

ねらいをもってインタビューすると、見えてくるものが変わってくる。「1つのことから深堀してみよう」と意識すると、そこから、どうやって相手の本質が見えてくるだろうか?と楽しみでもある。
自分の中で納得いくまで深堀すると、あっ今日相手のことを少し理解したと思える。自分の中で「タガ」みたいものがあると同じものでも見えてくる世界は変わってくるのだろう。インタビューゲームでは、ルール①〜③を意識することで、コミュニケーションルールそのものを考える機会になる。あぁインタビューゲームはコミュニケーションそのものを考える「タガ」を組みこんだワークショップなのか。
そこに意図があるから、学習ツールとして成立するのか。

 

今回初めてインタビューゲーム会に参戦。聞くことだけをするワークをしたことが今までもありましたが、それを書きとめることはなかったので面白かった。
「書くこと」によって今まで体感してなかったことを経験できて、同じ「聞く」を意識しているのにそれを「聞く」だけで気づきがあるんだという発見もできた。
ふだんからいつも「聞く」を意識しているつもりだが、ふだんの「聞く」の質が低くないかを疑うと何か発見があるかも。家族などの近い存在でインタビューゲームをすることもすごく発見がありそう。「ダンナ」と「妻」。「親」と「子」興味深い。

 

初!の参加でしたがおもしろいなぁ!というのが感想です。on,offの切り替えがあって、くだらないくだり(?)もあれば真剣な時間もあるという。今までに経験したことのない感覚でした。初めてお会いした方々も魅力的な方ばかりですごく良い人たち!これから長く付き合いをお願いしたいです。
なんでかわからないですけど、会の最中に自分の“思考のクセ”が気になりました。そのクセから脱する(?)ことが、成長する一歩かなあと。
あと根本的なことですけど、インタビューゲームの目的ってなんですか??(笑) 形式とかゲーム感覚とかはつかんだんだけど、なんのために元々はあったのかなって。今回に限らず、人と関係するとき、何か遠慮の心があるのはなんでかな?と思いました。その人の期待みたいなものに答えられないかも。とか自分で思ったりするのか、、、
今日インタビューさせてもらった岩谷さん、場を作ってくれた太郎ちゃん、僕の自己紹介に感想を持ってくれた皆さんにありがとうと伝えたいです。ありがとうございます。

 

らくだの学習で変わったこと

ご縁のあった方が主宰されているフリースクール
今月から時々ヘルプでお手伝いにいっている。

僕自身、大学時代は3年間ほど中学生に家庭教師、
小学4・6年生にサッカーの指導を行っていた。
そして卒業後は1・2年ほど学習塾のスタッフとして
子どもたちと関わる機会があった。

その後は、らくだメソッドの学習をしながら、
僕の中では教育という領域に身を置いている意識は持ち続けていたものの、
実際に子どもと関わる機会はあまり多くない日々を過ごしていた。

今回、こうして実際に子どもと関わる中で、
大学時代、そして卒業後に子どもと関わっていた自分と
今の自分がかなり変化していることを、
子どもを前にして感じずにはいられない。

そしてそれは、らくだメソッドの学習を3年ほど
継続して続けてきたことが深く関わっているということはいうまでもない。

自分の変化を振り返ってみる。

◯子どもの状況がみえてくる
まず、1番の大きな変化は、子どもの学習の状況がよくみえるようになった。
それは、目の前の子どもがどんな学び方をしているのか?とも言い換えられる。
それは、その日に取り組む課題の決め方、取り組み方、答え合わせのやり方、間違え直しの仕方、、、、そんな子どもの学習の状況が以前よりもつかめるようになったように思う。

なぜ、それがみえるようになったかというと、それは自分自身がこの3年間1日1枚の計算プリントに取り組んできたなかで、自分の学習状況の自己観察とふりかえりをしてきたからだろう。

そうやって、自分を観察しようとしてきたからこそ、その過程で自分を観察するポイント=学習状況の現状を掴むポイント(ポイント=課題の決め方、取り組み方、答え合わせのやり方、間違えの直しの仕方 というあたり)が生まれてきた。

そのポイントを、そのまま他者に生かすことができる。

だからこそ、子ども一人ひとりの見え方が変わってきたし、関わり方もその子に応じることが以前よりもできるようになっているような実感がある。

◯「わかること」への重要度が下がった

子どもができない問題に出くわした時に、以前の自分なら分かりやすく教えようとしていただろう。だけれど、「わかること・理解すること」に対してアプローチしていくことの重要性をあまり感じられなくなってきている。

目の前の子どもに、一時的にわかるように教えても、家に帰ったら忘れてしまうかもしれないし、忘れてしまったらまた教えてもらわないといけない。これでは先生がいないとできるようにならない人になってしまう。その実感が以前よりもとても強いので、できない状況に子どもが直面した時の関わりはとても変化しているように思う。

教材が指定されていない状況下では、その対応が難しいということも感じているが、なるべく「できないこと」が「できるようなる」その過程が、子どもにとって一番の学びであると思うから、「わかりやすく教えて、一時的にできる」ではなく、その子ができていないポイントが自覚でき、自分でできるようになっていくフォローができたらと思う。
(正の数、負の数などが曖昧な状態で、関数などに入っている子どもをみると、あらためてらくだ教材のように、確実に積み重ねて進んでいける教材の重要性を感じる。)

◯教材力
らくだの教材って本当にうまくできているということを感じずにはいられない。それは、プリントの内容だけでなく、プリントをどういう環境で、どういう使い方をするのか?ということまで考えられていることが、教材力といえるように思う。

これまでは、本屋に売っている参考書や問題集をみて、この教材を使ってみようくらいしか考えたことがなかったけれど、らくだの教材は、かなり作りこまれたプリントの内容と、記録表の使い方やストップウォッチ、欠席の連絡の仕方、通塾方法など、プリントの中身だけにおさまらない教材であり、僕がこれまで「教材」と捉えていたものとは全く違ったレベルの「教材」だと感じている。

 

と、教材の凄さを感じることができるようになっているのも、以前の自分と比べ、自分が伝えたいこと。教えたいこと。ということが自分の中で育ってきているからなのだと思う。

勢いよく「らくだの学習で変わったこと」をテーマに3つの項目を元に書いてみた。
これから少しずつ、子どもの学習に関わる機会が増えていくような気がしている。
らくだの学習を開始した当初は、こういった変化が訪れるとは思ってもみなかった。学習を始まる前には、こんな見え方が変わってくるなんて想像もしなかった。


けれど、それがまさにこのらくだ式学習法なのだと思う。
目的をもってやるのではなく、ただ続けてみる。できなくてもやり続けていく。

ただそれだけで、こうやって自分が思ってもいなかった見え方や感じ方に変化している。

 

目的や目標を重要視せず、ただ目の前のことを続けていく。そしていつしか、自分でも気づかぬうちに自分が変化している。これは自分を超えた感覚になる。それは新しい自分になったとも言える。その自分の変化を感じられることが学習すること、学ぶことの楽しさなのだと感じている。

 

 

 

 

 

 

7月ふりかえり その②

7月後半はプリントに手つかずの日が多く、
プリントの郵送も遅れがちで、
あらゆることが遅れ遅れになっている毎日である。

◯枠組みがあるから、今の自分に合った学習を進められる。
プリントが因数分解の応用に入った。今までに比べて難しく感じる問題が多く、実際に解いていて間違えるのではなく、わからない問題も出てきた。
そういった状況の中で、今、プリントにどのような取り組み方を自分はしたいのか?したほうがいいのか?という問いが生まれてきた。

実際に、答え合わせの時にわからなかった問題に再度取り組む余裕がなかったので、翌日は、新しいプリントではなく、わからなかった問題のみを答えを見ながら理解する日をつくった。

そうやって、今の自分はどうやって学習を進めていくのかを自分で判断して自分で進めていける。

難しい→やらない という理由はとても安易な理由であって、難しいという問題に対して、自分がどう折り合いをつけていくのか。今の自分はどのような取り組み方を自分はしたいのか?したほうがいいのか?という向き合い方が習慣づいていたら、プリントがどんなに変化しても(一気に難しくなっても)、それをやらない理由にはしないのだと思った。


◯いつでもプリントを忘れない
今回7/27-31までの5日間、プリントをやらなかったのだけれど、この5日間でプリントを忘れた日はなかった。これはある意味すごいことだと感じている。

なぜ忘れないのか?と思うと、それはできていないという自覚があるからで。。。
このプリントが自分自身にここまで「できないという自覚」を与え続けている存在であることがなによりすごいことだと感じずにはいられない。

できない自覚がなくなってしまうことは、
このプリントを忘れてしまうことかもしれない。

プリントを忘れてしまうことは、
プリントをやらなくなることと言えるかもしれない。

やらなくなってしまったら、
学習がそこで中断することにつながる。

だから、忘れられないくらい、しつこいくらいにどこまでも「できない」という自覚を与え続けることが、学習においてなにより大切なことなのではないかと思ったりする。

そして、そのできないという自覚が、誰かから決して与えられるものでもなく、自分が抱かざる負えない状況こそ大切なのだと思う。
(だからできない自覚がうまれても、責められているわけでもないし、誰かとの比較に苦しむこともない。できない自覚は「自己」との対話のきっかけにすぎない。)

このプリントがなぜ、ここまで忘れられない存在になっているのか?なぜこのプリントが、ここまでできないという自覚を抱かざる負えない状況を生み出すことを可能にしているのか?ということを探っていくことは、とても意味あることのように感じる。

この、「いつでもプリントを忘れない」ということからも言えると思うけれど、
何を学ぶか?ではなく、どのようにして学ぶか?ということを、
このプリント学習を通して学んでいるのだと言える。

忘れられないくらい、しつこいくらいにという表現が、
他者ではなく、自己からくるこの体験は、このプリントを通して初めて体験しているかもしれない。
それは、言い換えれば、初めてセルフラーニング(自学自習)を体験しているとも言えるのかもしれない。




【おむすびinterview】 柴田涼さん

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 今回のおむすびインタビューは、僕が静岡に帰ってはじめて仲良くなったお友達の、柴田涼さん(以下、涼君)にインタビューをさせていただきました。涼君も僕も高校まではサッカーに打ち込んでいたこともあり、小学校の時から顔見知りでもありました。今このような形でつながっていることがとても不思議だなと感じています。

 

あらためて涼君は現在、日々どのような活動をされていますか?
 仕事は社会福祉協議会で働いています。また、週末などは静岡2.0 (*注1)という団体活動をしたり、竹プロ(注2)の活動などをしたりしています。

 

どのような過程を経て、現在の職業につかれたのですか?
 大学卒業後は、ある会社で営業をしていたのですが、1年で転職をして、今の職に就きました。1年目の会社はとても忙しく、毎日残業でしたし、かなり労働環境が過酷でした。そういった環境で働く中で、だんだんと自分がやりたいと思っている活動をする時間もとれなくなり、精神的にもイライラしている毎日でした。そういったことから、体も壊してしまいました。

 

その体験を今ふり返ってみて、どのように感じますか?
 そんな自分の体験から、「ブラック企業や、労働時間、労働組合、過労死」のことなども学び始めました。学ぶ中で、そういった問題は、自分だけじゃなくて、もっと苦しんでいる人もいるんだということにも気づきました。そのことを今も忘れたくないと思っています。また、何が社会にとって大事なのだろうか?ということをみんなでおさえていかなければいけないと思っています。それは簡単なことではないのかもしれないですが、自殺者が多いとか、そういったサインがもうたくさん出ているのだから、もっと真剣に受け止めていかなければいけないように思います。

 

今の涼君はそういった問題とどのように向き合っていきたいと思っていますか?
 労働問題だけでなく、今の社会にはたくさんの問題があります。今の自分は、社会福祉協議会で働いていることもあり、地域の現状をつかめる立場にいると思います。これから地域の中に一人暮らしも増えていくでしょうし、孤立する人も今よりも増えていくように感じています。そういった問題に対して制度や政策にアプローチしてくことも大切だと思っていますが、自分としては違った角度からのアプローチもしていきたいと思っています。今、静岡2.0という活動では、「ひろば」の活動をしています。既存の人と人のつながり方とは少し違う、バージョンアップ(2.0)したつながり方を模索していくなかで、自分自身も無理せず変化を生み出していけるようなやり方が、意外と何かが変わるきっかけになるような実感をもっています。

 

その活動をしていての手応えはいかがですか?
 本当に今の自分ができることは、微々たることだな。という自覚があって、そこに対して落ち込むこともありますが、この活動は、今の自分のきもちを落ち着かせることにつながっているようにも思っています。今は、精一杯ひろばをつくるイベントのために動いて、来てくれた人が笑顔になったらまずそれだけでもOkだと思っています。ひろばにきてくれた人たち同士が情報を交換し合う、その時点ですでに「変化」が生まれているのだと思います。

 

ひろばの活動をして涼君自身が変化したことはありますか?
 自分の悩みや困ったこと、興味のあることを、「誰か」にはなせること、はとっても大きな意味あることだと思います。ひろばには、恋愛で苦しんでいる人、家族のこと、就職のことなどで悩んでいる人、自分の興味のあることを誰かと共有したい人など、さまざまな人がいます。そういった人と話す中で、そういう人たちの暮らしている中での「実感」に想いを向けることが多くなってきたように思っています。ひろばにきてくれている人たちみんなに、それぞれ起きていることがあって、感じていることがある。そのひとりひとりの「実感」を想像するようなりました。見ている世界はひとりひとり違いますし、その人たちひとりひとりの感情を、ほんとうに大事にしたいと思っています。 

 

最後に、これからについて教えてください。
 これからも、そういったひろばの活動をやっていけたらいいと思っています。ただ、ここまで活動してきて、活動への充実感がある一方で、「自分は本当に何を求めているのか?」という問いに対して答えが出せない自分もいます。だけれど、その問いを持ちながらも前向きに、今の自分ができる、このひろばの活動をやっていこうと思っています。

(2019/6/23 インタビュー)

 

 

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注1:静岡2.0 「被災する前に、できることをしておきたい」その気持ちから生まれた団体です。レジリエンスな静岡(しなやかに復興する静岡)を目指します。

注2:竹林再生プロジェクト大内
清水区大内にある、地域の里山に蔓延る放置竹林を整備することを目的とした有志団体。

 




宮沢賢治読書会のまとめをイサミ(木下先生)がケンジ流に描いてくださいました。

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木下先生と近所の大学生とはじめた読書会
3回目にわたって「宮沢賢治」を取り上げました。

第3回目の最終回は、それぞれが宮沢賢治から学んだことを発表しました。
その発表のまとめをイサミ(木下先生)が書いてくださいました。

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読書会 春編(4−6月)
宮沢賢治 読書会の前回 6/23のまとめをケンジ流に描いてみました。

 

イクノのハナシ

イクノは3回のまとめとして「読書、しかも本を手にとって、身体で感じ取る読書のススメ」を力説した。一見、宮沢賢治とどう関係するか、イサミは心配になるが、さらに熱気を帯びてくる。「カンカクに関する情報、ページめくる感覚、 重さ、紙が古くなるにつれて、木に近くなって、劣化して本特有の匂いはスマホ、電子図書と違う」と。「目が疲れないし、長く読んでいられる」と実物の本の援護射撃は続く。「本は心の避難場所デス」と。???オヤオヤ、ナンダロー?「イバショガナイ人が増えている。自分の世界が狭まってくる」と。

 するとイサミはちょうど読んだ新聞記事を思い出した。「非正規雇用で貧困状況の若者が、『ジブンがコウナッタのは自己責任』とアキラメ、才能や能力ある人が国を動かし当然と今の政権を支持している」という記事だ。非正規雇用が10年前に比べて7倍も増えて、働いている人の38%も占めるようになったのは今の政権が起こしたことはカンガエズ、目の前のジブンのイバショのアンテイを願うココロとなんか似たような。そうだ、イクノが好きな「やまなし」のふしぎな話しがなんかひっかかってくる。

 イクノは最後に「ココロのヨリドコロ、座標を固定するために本をヨメ!」とエンゼツした。

 

タローのハナシ

 タローは「農民芸術概論」から印象に残る言葉を紹介した。

「われらの前途は輝きながら嶮峻(けんしゅん)である」

ケンシュン???「山が高くてけわしいこと(さま)、場所」と辞書にある。

 タローは「耕さない」「持ち込まない」「草や虫を敵としない」という自然農の三原則を、自ら行なっている畑の写真などとともに見せてくれた。

 「エ! これがハタケ!!」と 荒れた土地みたいな風景に多くの人が驚くようなやりかた。たぶん周りから変な目でみられたりするにチガイナイ。

「自然農の畑では、どれだけ自然に応じられるか?ということが問われます。」とタローはしめくくる。草や虫もナカマとして考えるのは宮沢賢治のセカイ。

 でもいろいろ失敗も多いだろうし、収穫も多くないだろう。

 「まさにそれ、嶮峻(けんしゅん)。と同時に、その過程の一瞬一瞬がとても心満たされる時間だと感じます。」とタローはいう。あ、そうか、農業やりながら、草や虫と会話する、まさに宮沢賢治のセカイそのものだ。タローの「前途は輝きながら」をイサミは信じたくなった。

 

イサミのはなし

イサミは「カンバラはイーハトーブ」と話した。「シロツメクサの花の番号を数えていくと誰もがうたったり自由になれる広場にたどりつけるという『ポラーノの広場』は中尾羽自然公園のハラッパだ」と。レオーノ・キューストが散歩に連れて、はぐれてファゼーロと出会ったきっかけのヤギもいると。また、ダッチオーブンで何でもつくってくれる『注文の多い料理店』も時折、ハラッパに出現する。たしかに店主はやまねこみたい。

 イーハトーブは理想郷。19世紀末に流行ったユートピア思想が広がり都市と農村のよいところを兼ね備えた田園都市は近代都市計画の目標の姿だが、田園を失った大都市より、工場など働くところと田園がある蒲原の方が都市計画の理想郷に近い。

 蒲原をイーハトーブとしたならば、ケンジが描いたように、人も生き物も、電柱など生き物以外の物も人と会話したりと、人、生き物、物が通じ合うセカイ。イサミはこの古い建物のケヤキの柱などが語ってくるような気がするという。しかし人間より長く生きている建物、柱、梁などが重機で壊されている風景を時折見かける。そのイタミが伝わってくるようだと。だが話すことはできない、ケンジの物語だと子どもの方が物とも気軽に話している。子どもの方がそういう能力に長けている。

 子どもの声を聞き、子どもが主役のまちづくりをすすめたら子どもにやさしいだけではなく、みんなにもやさしい、そして環境にもやさしい持続可能なまちづくりになるのではと。そんなことできるのだろうか?

 「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから」(ポラーノの広場より)。