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「どんな場でもプリントができる“自分”」「どんな自分でもプリントができる“場”」

 

 自分がらくだメソッドの学習をまだスタートしていなかったときに、らくだの学習をしている方の話を聞いたことがありました。

そのときに話された内容に、“「場」がより見えるようになった”というお話があったのですが、そのお話を聞いたときに、全く理解ができなかったことを記憶しています。

 ただ、この学習を始めてみて、なんとなくそういった言葉がこの学習を通して生まれてくる意味が感じられてきたように思います。

 1日1枚のプリントを通して自分と向き合う中で、自分というのは、場や空間と切り離して考えることはできないように思います。そうすると、自分自身に対して振り返りをしたり、工夫をしてみることと同じくらい、「場」や「空間」に対しての振り返りや工夫も自然と生まれてきます。

 そういったことを考えると、らくだの学習では「場づくり」という面でもさまざまな気づきや学びが生まれる教材でもあると思いました。

 

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「どんな場でもプリントができる“自分”」「どんな自分でもプリントができる“場”」

 

(小5-20 問題数:50問 ・ 目安の時間:12分)

 
昨日は、家のリビングにて24:30に問題を解いた。
結果は時間14:08のミス5問であった。
 
正直プリントを解き終わった後に、
このプリントは果たして合格できるのだろうか?
という気持ちになった。
 
今日は、週一の通塾の日であったため、
中村教室にて小5-20のプリントをやった。
 
結果は13:08のミス1問であった。
 
昨日の結果と比べてみると、
時間は−1分、ミスの数は−4問で、
昨日と比べて大幅に結果が良くなった。
 
まだ、目安の時間内には解けていないけれど、
昨日とは違って、もう少しで合格できそう。
 という気持ちになった。
 
** ** ** **
 
昨日と今日を振り返ってみて、
昨日から今日、結果が良くなっているわけだけれど、
何が自分をできるようにしてくれたのか?という問いが浮かんだ。
 
その時1番に感じたことは、
「自分の頭ができるようになった」ということではないことだ。
 
昨日に比べて、自分の頭の回転が、
 つまり自分の計算力が、
−1分とミスの数−4問という結果につながった。と言い切ることはできない。と思った。
 
もちろん、その要因もあると思うのだけれど、
「それだけが要因だ。」と言い切ることはできないように思う。
 
 
この−1分、ミスの数は−4問はどこから生まれてきたのか?
 
それを見つめてみると、
自分を知ること、つまり、自分の現状を把握すること、
自分のできること、できないことを認識することは、
自分の持っている能力(自分が身につけている計算力)を認識することのように思っていたのだけれど、
結果として現れてくる「自分の現状」というのは、
「 自分の今現在持っている能力」と
「自分の能力の発揮力」の2つが絡み合っているものだと感じた。
 
** ** ** **
 
いくら計算力が高くても、
その能力を発揮できなければ、
「できない」という結果が生まれることもある。
 
逆に、あまり計算力が高くなくても、
その能力を最大限に発揮することができれば、
「できる」という結果になる時だってある。
 
「できる」「できない」は、
そういう計算力のような身についている能力と、
その能力を発揮する力によって生まれる。
 
 
そういう点で、昨日と今日を振り返った時、
「発揮力」に関わる要因にかなり差があるように思った。
 
今日は中村教室でプリントを解いたけれど、
「能力を発揮する」という面において、
家よりも「場」としての力が、かなり自分に働きかけてくれているように思う。
 
 
そうやって、「できない自分」という
結果として現れてきた今の自分を、
いつも解体して見つめていきたい。
 
「できない」という現実を、
ただ「自分にはまだ力がないから」としてしまうことは、意外と簡単なのかもしれない。
でも、本当に「できない自分」を解体してみると、
「能力を発揮できていない」ということだってあるのかもしれない。
 
1日1枚のプリントを通して、
 「どんな場でもプリントができる“自分”」という点で
自分と向き合うことが多く、その中での気づきがこれまで多かった。
 
けれどこの「能力の発揮」ということを考えると、
 「どんな自分でもプリントができる“場”」という点でも、
自分自身と向き合っていきたいと思った。
 
そういう点で、このプリントと向き合っていくと
また、たくさんの気づきや発見が生まれそうだ。
 
このプリントは、「場づくり」という点においても
人を成長させていく教材なのかもしれないと思いました♩

 

 

 

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真贋

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また、なぜ人は悪をなすか、ということについても「嘆異抄」の中で親鸞は言及しています。

「あるとき、親鸞唯円に『お前は俺の言うことなら何でも聞くか?』と言った。唯円は『お師匠さんの言うことならなんでも聞きます』と答えると、親鸞は『じゃぁ、人を千人殺してみろ』と言った。唯円は正直に『いや人を千人殺せと言われても、一人の人間さえ殺すだけの気持ちになれないし、それだけの度量もないから、それはできません』と答えた。親鸞は『いま俺の言うことはなんでも聞くと言ったのに、もう背いたじゃないか。そういう風に業縁がなければ一人の人間さえ殺せないものだ。だけど、業縁があるときには、一人も殺せないと思っていても千人殺すこともあり得るんだよ』と言った」

 僕は機縁と訳していますが、仏教の言葉では業縁と言っています。つまり、一人のときにはたった一人も殺せないのに、例えば戦争になると百人、千人殺すことはあり得る。それはその人自身が悪くなくても、機縁によって千人も殺すということはあり得る。だから、悪だから救われない、善だから救われるという考え方は間違えだ、ということです。これはすごくいい言い方だと僕は思いました。(真贋 p62から引用)

 

 

 

** ** **

 

自分の心は、

目の前の他者との関係の中で生まれることもあるし、

自分が住む日本という国との関係性、

自分が働く職場との関係性、

さまざまな関係性の中でどうしても生まれてしまう。

 

だから自分の心は、そんな関係性をきっかけに

常に変化していくものなのかもしれない。

そして、自分もまた必ず何かしらの影響を与えてしまっている。

誰かの「こころ」を生み出してしまっていると考えられるように思う。

 

悪というものが、個人の中にとどまるもののように見えて、

その悪は、個人を超えて、

個人に関わる縁によって生まれてくるものであると考えると、

悪というものを個人の中にあるものとして、

その悪をもつ個人を罵倒するということも、

どこか限界があるのではないか。

 

そう思うと、誰かの気持ちを考えること、

誰かを思いやることというのは、

その人のことを、その人以上に飛び越えてみることなのだと思う。

 

そうやって、目の前の人や物事に対して、

これだと決めつけず(それがたとえ相手にとって良いと思われることだとしても)

広がりも持った眼差しで、その人のことや、物事を見つめられることが、

何よりも優しいことだなと感じる。

正しさは冷たさでもある。

 

 

正しさは冷たさでもある。

 

VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)について
 
「正しさ」とは「冷たさ」でもある。数センチのオフサイドにより消えてしまう選手と観客の歓喜、いや絶望ですら、それ抜きではサッカーがサッカーでなくなってしまう。
 
人間は間違える。審判も間違える。
フットボールの深いところの価値は寛容にある。もっとも昨今は「電話ボックスの粋狂」くらいでも社会的には糾弾される。もはや世紀の誤審に居場所はないのか。
(numberコラム before the game)

 

まなゆい 子どもを寝かしつけるように聴く

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子どもを寝かしつけるように聴く

 
聴き方には、いろいろな聴き方がある。
その中で、ただ聴くというのは、
子どもを寝かしつけるときのあり方に似ているのではないかと思いました♩
 
** **
 
小さな子どもはひとりでは眠りにつけない。
お母さんが隣にいてくれて、
お母さんがいてくれる安心感を感じていないと、
ひとりではなかなか眠りにつけない。
 
お母さんの存在を感じながら、
徐々に意識が自分の中に落ちていく。
そしていつしか、お母さんの存在を忘れて眠りにつく。
 
「ただ聴く」というのは、
この子どもを寝かしつける感覚にとっても似ていると思う。
 
邪魔にならないように、
ただ横にいてあげる。
何もしなくてもいい。ただ聴いている。
 
そうすると、目の前の人はだんだんと自分の中に意識が落ちて、
自分との対話が始まる。
 
そこまでいけばもう、
目の前の人は自分で自分に問いかけて、
自分の中にある言葉を見つけることができる。
自分で自分の考えを整理することができる。
 
子どもを寝かしつけるときのように、
目の前の人が自分と向き合えるように、
邪魔をせず、ただ一緒にいてあげる。
そしてただただ聴いてみる◯
 
 

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1枚のプリントから生まれる気づき

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らくだの学習のなかで、

1枚のプリントから、
 自然とさまざまな気づきが生まれてくる。
 
この僕の気づきは一体どこにあるのだろうか?
 
この「プリント」が最強の教材で、
これをやれば、ひたすらに気づきがゲットできるのか?
 
そんなことを思ってみた。
 
たとえば、僕が山にこもり、このプリントをもって一人で
らくだの学習をした時に、こういう気づきが生まれるのか?
と思うと、そんなことはないだろう。と思う。
 
** ** **
 
毎週1回、中村教室に通塾し、井上さんや同じ学びを深めている人との対話ができる場がある中で、この1枚のプリントが、僕の1日の中にある。ということが、僕から「気づき」や「言葉」が溢れ出てくることにとっても大きな意味があるのだと思う。
 
僕にとっての、らくだメソッドの計算プリントは、「ただの1枚の計算プリント」という意味では収まらず、そのプリントの向こうには、さまざまなものが関わり混じり合っている。
 
それは、同じ学習を深める仲間との関係性や、教室で読んだ「本」との関係性、教室での対話内容、僕自身のこれまでの経験…
 たくさんのものが関わり混じり合う中で、この1枚のプリントが1日の中にある。
 
そう思うと、自分から溢れ出る「気づき」は僕が生み出したものでもなく、プリントの中に仕組まれた「気づき」でもなく、
僕と関わってくれている人やもの、こと、
その関わり混じり合う、さまざまなものの存在によって生み出されたものなのだろう。
 
僕がプリントと向かい合うとき、
1枚のプリントの向こうには、
時空を超えて、さまざまなものとつながりあっている。
 
僕が今以上に時間を超えて、空間を超えて
プリントの向こう側にあるものを深めることができたら、
プリントを通して、僕から溢れてくる気づきや、言葉はもっともっと深いものになっていくのかもしれない。
 
** ** **
 
そんなことを思うと、
僕自身から溢れてくる言葉や気づきって、
とっても大きなものだと思うと同時に、
目の前の人から溢れる気づきや、言葉ってものを、
本当に本当に大切にしたいと思いました。
 
 

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手段が目的にならない問題構造

 

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「手段が目的にならない問題構造」

 
小5-17 分数のたし算(11) めやす12分
 
** ** 
 
この問題は、2つの数字の最小公倍数を求める問題になっている。
そのプリントの最初の5問は、
最小公倍数を導き出す「手段」を理解する問題になっている。
 
具体的には、2つの数の 最大公約数を求め、
 それぞれをその最大公約数で割り、
その商と最大公約数を掛け合わせるという、
最小公倍数を求めるというやり方である。
 
そのやり方を最初の1〜5問までで、
穴埋め式の問題で理解できるようになっている。
その時点で、最小公倍数を導き出す「手段」が頭の中に入る。
 
** **
 
このひとつの「手段」を手に入れると、
どんな問題も、その「手段」で問題を解こうとする自分がいる。
 
この1枚のプリントは、
この「手段」を用いなくても、
簡単に答えが求められる問題が数多く挟まれている。
 
例えば、(8,20)という問題。
すぐにその「手段」を用いなくても「40」と答えを求められる。
 
だけれど、最初の「手段」を理解したことで、
「その手段で解く」という意識が強まっていくと、
(8,20)という簡単な問題でも、
その手段で挑もうとしてしまう。
 
すると、解くスピードも、リズムも悪くなる。
 
この問題の構造(手段を用いる問題と、用いらない問題をそれぞれバランス良くランダムに入れてあるといこと)は、
目的は「最小公倍数を求めること」であり、
 あくまでも、その「手段」を学んでいるということに気づかせてくれる。
 
** **
 
この1枚のプリントの構造自体が、
「手段が目的化」しないためのヒントでもあると思いました。

 

納得感はどこからくるのか⑵

納得感はどこからくるのか⑵

 

6月に入って、らくだのプリントがなかなかできない日が多くなった。

プリントをやるまでに、
体がなかなか動かなかったり、
後回しにしてしまうことが多い。
 
5月までは、比較的毎日スムーズにできていたのに、
なぜプリントと向き合うことができなくなったのか?思っていて、
その理由がいまひとつ分からずにいた。
 
** ** 
 
今日、そんな自分を見つめて、やっと気づいたことがあった。
 
今のプリントと向き合えない(やりたいと思えない)ことの理由の1つに、
自分の体感覚としての納得感、心地よさを
プリントを通して得られなくなっているということがあるように思う。
 
プリントの結果をみると、
 目安の時間内で、ミスも3問以内でクリアできている。
 
けれど、スラスラ流れて解けないことに対して、
1枚のプリントがまだ「できていない」という認識が強くなってきている。
 
以前は、スピード感をもって
「頭で考えて解く」というよりも、
「体で解く」というような感覚で問題を解いてきた。
 
けれど、ここにきてなんだかその感覚でプリントができないから、
1枚のプリントを終えた時の心地よさみたいなものが得られない。
 
だから、今の僕は1枚のプリントに対する気持ちが落ちている気がする。
 
** **
 
そんな自分に気づいたときに、
以前のプリントと、今のプリントに対する納得感を、
同じ基準から見ているということに気づいた。
 
以前の問題は、「約分」であったのだけれど、
今取り組んでいる問題は、「分数の足し算」で、帯分数への変換や約分もある内容であり、ただの「約分」とは全く違った問題である。
 
なのに、僕は「約分」のプリントで味わえた感覚を、
今取り組んでいる問題にも求めていて、
問題のレベルや形式がかなり異なっているのにも関わらず、それに気づかず、以前の納得感の基準から、今のプリントから納得感を得ようと思っていたのだと思う。
 
今取り組んでいる、「分数の足し算」の問題のレベルや構成をよく見てみると、
 
以前取り組んだ、「約分」を「変換の問題」としたら、
今取り組んでいる「分数の足し算」は、
「過程を経て解く問題」のように思えてきて、
時間がかかっても、頭で考える時間が生まれても、
あまり悪くないような気もして、
スラスラ解けないからといって、
心地よさを得られないことはないと思えるようになった。
 
** **
 
これも、らくだの計算プリントに限らず、
よくはまるパターンのように思う。
 
以前うまくいったこと、その時の感覚にとらわれて、
全く違った状況なのにも関わらず、そこから物事を判断してしまう。
 
今、自分が感じている達成感や喜び、
また 違和感や劣等感は何を基準に、
 何ももってそれを達成感とし、喜び、違和感、劣等感としているのかをよく見つめていくこと。
 
状況はいつも変わっているのだから、
それはいつもいつも必要なことなのだと、
このプリントを通して気付かされました。
 
** **
 
と書いて、ブログのタイトルを考えた時に、
以前に書いた「納得感はどこからくるのか」という記事と
すこしリンクする部分もあると感じたので、
この記事の「納得感はどこからくるのか⑵」とし、
以前の記事もこちらにリンクします♩
 
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