「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである。それは、些細でこわれやすく、はかなくて脆弱で、あとずさりするような異質を秘め、大半の論理から逸脱するような道の新胴体でしかないようなのに、ときに深すぎるほど大胆で、とびきり過激な超越をあらわすものなのだ。部分でしかなく、引きちぎられた断片でしかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである。その不可解な名状しがたい奇妙な消息を求めるうちに、私の内側で次第にひとつの感覚的な言葉が、すなわり「フラジャイル」とか「フラジリティ」とよばれるべき微妙な概念が注目されてきたのだった。