そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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「自覚できる事実」を生み出すこと

「プリントをやる」ということは、
僕の日常生活や仕事に大きく関わる行いにいつしかなっている。

ここ4日間は、プリントができていなかった。

そんな自分を振り返ってみて思うこと。

1日1枚のプリントをやると決めていると、
1日の中で「プリントをまだやっていない」状態と
「プリントをやった」状態のどちらかの状態になる。

プリントをまだやっていない状態の時は、
「プリントをやる」という行為が頭の中に存在する。

だけれど、プリントをやってしまえば、
「プリントをやる」という行為は「事実」となる。

プリントをやるということは、
1日の中で自分が自覚できる「事実」をつくることなのだと思った。

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僕は1日の中でさまざまな行いをしている。
だけれど、「自覚できる事実」というのは、
意外と少ないのではないかと思う。

食べることだって、お風呂に入ることだって、
自分が毎日行うことだけれど、
「自覚できる事実」という視点で捉えてみると、
その「自覚」の重さは、プリントにはかなわない。

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「自覚できる事実」を生み出すこと=「事実を自覚する」ことが
なぜ日常生活や仕事に影響してくるのだろうか。

事実にこそ、「自分」がいるように思う。
「自覚できる事実」を生み出した人は、紛れもなく自分である。
だからこそ、
自分の産み出した事実を正しく見つめることが
自分を掴むことのように感じる。

だから「自覚できる事実」を生み出すこと=「事実を自覚する」ことで
生きている実感も変わってくるような気がする。





【おむすびinterview -2月特別号-】 「わたしたちの北星余市展(静岡県立大学生企画)

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北星学園余市高等学校とは?

人口2万たらずの北海道余市町に、北星余市高校はあります。1988年から高校中退者や不登校の生徒などを受け入れる制度を導入し、高校中退者や不登校の生徒などを、全国に先駆けて受け入れてきた学校です。年齢も出身地もさまざま生徒たちが集まっています。ただ、このところは生徒が集まりづらくなり、廃校の危機と向き合い続けている現状もあります。

 2月25日から3月3日までの1週間、静岡県静岡市にあるグランシップ展示ギャラリーにて、北海道にある北星学園余市高等学校(以下、北星余市)の写真展が開催されます。今回のこの写真展は、静岡県立大学の学生が企画しています。僕は北星余市に関しては全く知らなかったのですが、今回のこの企画が、静岡県立大学の学生が企画しているということに関して、とても気になっていました。どんな学生が、どんな想いをもちながらこの写真展を企画しているのか?そんな問いが僕の中にありました。今回のおむすびインタビューは、特別号として、「わたしたちの北星余市展」の発案者である、静岡県立大学在学中の鴻野祐(こうのゆう)さんにお話を伺いました。


県立大学の国際関係学部で学ばれている鴻野さんですが、どうして北星余市のことを知ったのですか?

 3年次のゼミが始まった時に、同じゼミの仲間3人の共通の関心ごとが近かったこともあり、*べてるの家の本をゼミの仲間で読み始めました。その学びを続けていく中で、実際に北海道に行って、「べてるの家」を見に行こうという流れになりました。せっかく北海道へ行くのなら、北海道で他に活動しているところも見に行こうということで、「弱さを中心とした地域づくり」というテーマで、「*札幌市若者支援施設Youth+(ユースプラス)」「べてるの家」「北星余市」という3つの場所に見学へ行きました。その時に初めて北星余市に実際に足を運びました。

 

初めて北星余市に行った時はどうでしたか?

 北星余市の当時の教頭先生が1日つきっきりでコーディネートしてくださり、校内の見学をし、当時の校長先生もお話をしてくださいました。下宿寮にも連れて行ってくださり、寮母さんにもお話を聞くことができました。実際に見て、自分が通っていた高校と全然違う高校だなという印象がやはり強かったです。休み時間には職員室に生徒が集まり、先生を囲んで一緒に話をしている姿や、職員室のソファで生徒が話をしている姿も印象的でした。

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初めて行った時から2年経った今、写真展を企画したのはどうしてですか?

 2年前に行った時から、北星余市は廃校の危機に直面していましたし、日々の業務も忙しいのにもかかわらず、静岡の大学生4人だけのために、当時の教頭先生が1日コーディネートしてくださいました。寮を見せるために車を出してくださったり、当時の校長先生も1時間半ほど時間を割いたりしてくださいました。大変な状況の中で、大学生4人のためにそれだけ時間を使って、丁寧に接してくださったことが何よりも強烈な印象として僕の中に残りました。

 だからこそ、北星余市のために何かしたいという想いは、2年前からあったのですが、当時の僕は、あまり自分から何かすることはありませんでした。その後、1年休学し、復学する過程で、さまざまな活動を経験することができ、今に至っています。2年前から今現在まで、北星余市のことはいつも僕の中に残っていて、「何か自分で活動する時には、北星余市のためにやりたい」と思っていて、今回の企画に至ったという感じです。

なぜ写真展なのか?
今回の企画は、写真展というスタイルですが、北星余市のために、「何か」やりたいという思いの中で、「写真展」という形をとったのはどうしてですか?

 北星余市のために何かしたい。それが、北星余市の存続につながればいいと思う中で、「日本に北星余市があったらいいな」と、北星余市に直接的な関係がない人たちが思うような機会をつくることは、僕ができる「北星余市のため」の1つだと思っています。ですので今回は、文章では伝わらない北星余市の雰囲気や空気感が伝わる手段として、写真展という形で企画をしました。

 

写真展を通して、来てくださる方にどんなことが伝わればいいと思っていますか?

 今回の写真展のタイトルは、『「わたしたちの」北星余市展』です。わたしたちみんなにとって北星余市は大事な場で、わたしたちの無関心が、わたしたちの大事なところをなくすかもしれないのです。僕の人生の中で、北星余市と出会えたことはとても大きなことでした。「北星余市という場所があるよ」と言えない社会より、言える社会のほうがいいと思っています。北星余市と「わたしたち」は、関係ないように見えて、関係している。そんなメッセージを、『わたしたちの』北星余市展という言葉に込めてみました。

 「わたしたちの」北星余市を伝えることができるのは、北星余市の先生や地域の方々のような、直接的に北星余市に関わる方々よりも、鴻野さんのような、北星余市と「わたし」の関係性を見出されている人だからこそできることのように感じました。

 でも一方で、自分はそんなメッセージを伝えられる立場なのかな?と自問自答することも多くあります。目立ちたいとか、誰かから認められたいとか、そういう気持ちが邪魔していないかな?と。そうやって自分に問いかけていくと、もちろん来てくれる人に何か伝えたいとか、北星余市の素晴らしさを伝えたいという想いもありますが、シンプルに、僕はあの場所が好きで、あそこに関わる先生や地域の人たちが好きなのだという想いが僕を動かしているのだと感じています。僕は北星余市の先生や地域の皆さんに、たくさん背中を押してもらっています。

 僕が2年ぶりに突然、写真展の企画を持ちかけた時に、どうして北星余市の先生はいいって言ってくれたのだろう?と思って、写真展の担当をしてくれている北星余市の先生に聞いてみました。そのとき先生が、「2年ぶりでも連絡してくれるということは、2年間想ってくれていたということだと思うから。すごく嬉しかったよ。」と、とても自然に応えてくれました。さすが北星余市の先生だなと思いました。

 北星余市の先生をはじめ、地域の人が北星余市を残そうとして頑張っています。やっぱり僕の好きな場所だし、好きな人たちが頑張っているから、僕もその輪に入りたいという想いがあります。北星余市とともにいたいと思っています。そういう、ものすごく個人的な想いが僕の深いところにはあるのだと感じています。僕がただやりたいから、先生や仲間に支えられて、やらせてもらっているという想いがあります。

 

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「当事者性」がないようで「ある」

 今回、このインタビューは、「北星余市に関わりのない学生=当事者性のない学生」が、なぜ企画しているのだろう?という問いがそもそもの始まりでした。だけれど、鴻野さんの話を聞いていると、僕自身の「当事者性」ということの認識が浅かったことに気づかされました。「当事者性」というのは、自分がその学校にお世話になったとか、自分が同じような体験をしたというような、そういうものだけではないのだということに気づかされました。きっと、どんなものにも「当事者性」を見出すことができる。言い換えれば、自分はあらゆるものの当事者なのだと。そんなことを感じさせていただきました。

 「わたしたち」の北星余市展という言葉にあるように、北星余市は「わたしたち」のものなのだと思います。北星余市と直接的に、具体的な部分で(子どもが北星余市に通うなど)「わたし」とつながることは少ないのかもしれない。だけれど、「わたし」と北星余市は繋がっている。この写真展を通して、そのつながりを「わたし」がより感じることができればと思いました。
 鴻野さん、準備で忙しい中、お時間いただきありがとうございました。「わたしたちの北星余市展」楽しみにしています。

(2019/1/31 静岡県立大学にてインタビュー)


*べてるの家
1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。有限会社福祉 ショップべてる、社会福祉法人浦河べてるの家NPO法人セルフサポートセンター浦河などの活動があり、総体として「べてる」と呼ばれています。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共 同体という3つの性格を有しており、100名以上の当事者が地域で暮らしています。

*札幌市若者支援施設Youth+(ユースプラス)
若者の生活に少しプラスできるような、社会教育に関するイベントやまちづくり活動などを実施し、若者と地域を結ぶ拠点として社会活動への参加をサポートするほか、講座・交流イベントの開催を通じて、若者の仲間づくりや交流を促進している。

 

*特別号『「わたしたちの北星余市展(静岡県立大学生企画)』の紙面(PDF版)はこちらからご覧になれます。

特別号ということで、紙面版もWEBにアップしました!


聞く姿勢

通信の作成をはじめて。

インタビューをして、
記事として編集するのは、
僕にとって新たな体験だ。

インタビューをするとき、
うまくインタビューができなかったら、
記事が書けない。
編集ができない。
と不安な気持ちがないわけではない。

インタビューのあとに、
編集という作業が待っているから、
すこしインタビューに緊張感が生まれる。
だから聞き方が変わる。
というのか、聞くことに対する自分の熱量が変わってくる。

自分の聞き方や、聞くことに対する熱量が変わる。

そうすると、自然と相手がたくさん話してくれる。
そうすると、相手の知らなかった一面に気づく。
そうすると、相手の話が面白くなってくる。
そうすると、聞くことが楽しくなってくる。
そうすると、記事にまとめたくなってくる。

不安な気持ちもあるけれど、
その不安な気持ちがあるからこそ、
僕は一生懸命相手に聞こうとする。
そうすると、
自然と相手の話が面白くなってくるんだ。

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話がつまらない人なんていないのかもしれない。
きっと話がつまらないというのは、
それは聞いている自分がつまらなくしているだけなんだ。

自分が相手に対して一生懸命聞く立場になれれば、
相手は一生懸命話してくれる。
一生懸命な話はどんな話だって面白いのだろう。

真剣に、一生懸命相手の話を聞く姿勢があれば、
相手の話はおもしろくなる。

相手の話は、僕の聞き方次第で、
面白くも、つまらなくもなるのだ。

加藤哲夫さんの遺した文書から考える会

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今日は、静岡駅から歩いて10分くらいのところにある、
Basecamp3776という場所で、加藤哲夫さんの遺した文書から考える会に
参加させていただきました。

参加者10人ほどで、加藤さんの「ネットワーキング宣言」という文書をよみました。
(今回は第3回目の読書会で、ネットワーキング宣言8〜12を読みました)

以下、参加してのふり返り。


・言葉も成熟していく
今日のシェアの中で何度もでてきた言葉が「つながり」という言葉だ。
この言葉が、最近は様々な場所で使われるようになってきたという。そして、その「つながり」という言葉のもつ印象や意味も、人によって、場所によってかなり違ってきているという話がでた。だからこそ、その人がその言葉を、どんな認識で、どんな意味で使っているのかを注意していく必要があるという話もあった。

言葉も成熟されていくのだろう。言葉も人と同じように、最初の言葉から変化していく。
だからこそ、人と関わるときと同じように、いま使われているその「言葉」が表現していることは、その言葉のもつ「一面」でしかないということを忘れてはいけないのだと思った。


・「わからない」からはじまる「ネットワーキング」
加藤さんが言っている、「ネットワーキング」とはどんなことなのだろうか?という意見交換があった。そのときに、ネットワーキングは「あなたのことがわからない」からはじまるものなのだと感じた。

それは、「あなたのことがわからない」=「あなたのことが知りたい。分かりたい。」とも言い換えることができる。ネットワーキングとは、そのプロセス自体のことなのかもしれないとおもった。僕たちが「あなたのことをわかった」となってしまったら、つながりはそこで終わってしまう。僕たちはわからないから、わかろうとする。わかりあいたいと願う。

その過程がネットワーキングであるように感じた。


・加藤哲夫さんは、「他者の中に自分をみていた」
加藤さんは「他者の中に自分をみていた」という言葉がとても印象に残った。市民活動ということが一体どういうことなのか。僕は正直、市民活動という言葉をこれまで全く使ってこなかった。(それだけ考えていなかったとも言える。)

だけれど、市民活動の草分け的存在の加藤さんが、この言葉を残していることがとても気になった。

僕が加藤さんの存在を知ったのは、僕が学んでいる「らくだメソッド」の開発者である平井雷太さんの通信に加藤さんがコラムを書かれていたからだ。

平井さんの研究してきた「セルフラーニング」は、自発性や主体性と大きく関わるようにおもう。市民活動こそ、この自発性や主体性が大きなテーマなのだとおもう。
今の僕は、「市民としての自分」にある課題やテーマを自分ごととして、考えることができていないことばかりである。

それは、他者(「市民としての自分」にある課題やテーマ)の中に自分を見れていないからとも言える。

自分に関係ないと思っていたり、そんなに大事じゃないと思っていたりする。

だけれど、そこに「自分」をみることができれば、僕は自分から動き始めるかもしれない。

「他者の中に自分をみることができれば」それはもう自分ごとだ。そこからセルフラーニングははじまる。どんな社会の課題やテーマだって、その中に自分をみることができれば、そこからセルフラーニングははじまる。

だからこそ、加藤さんが「他者の中に自分を見ていた」というこの言葉から、加藤さんはどのように世界をみてきたのか?そしてどうやって世界を見てきたのか?を学んでいくことは、とても価値あることなのだと感じた。


地元の静岡で、こういった場に早速参加できたことは、
とてもありがたいことのように感じています。
参加された皆さん、おつかれさまでした。

インタビューは共同作業

通信まなびおむすび2月号のインタビューのふり返り

僕は何を伝えたいのだろうか
インタビューは、何か目的があってするものなのだろうか。
僕のまなびおむすびのおむすびインタビューのコーナーの目的が決まっていれば、インタビューある程度方向がみえる。
でも、インタビューをする前に方向性を決めてしまうことは、
インタビューの広がりを狭めてしまうという可能性も含まれるように感じた。

そのインタビューの目的の置き方は、
インタビュー→編集にとって、とても重要なことなのだと感じた。

今の僕にとってはの「インタビュー」と「編集」は、
相手を表現しているというよりも、
相手を通して自分を表現しているという実感の方が強い。

果たしてこれは、インタビューと言えるのだろうか。

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インタビューの語源は、
「inter 〜の中に」
「view みること・視点・見方」
つまり、相手の中に入ってみるということ。

でも、相手になることはできない。
相手の中に入って、相手の視点、見方にたってみようとしても、どこまでも自分なのだ。

だから、必ず「自分」がインタビューと編集には含まれてしまうのだ。
それがインタビューと編集なのかもしれない。

相手になることは無理だ。相手をそのまま伝えたいのならば、
相手に記事を書いてもらえばいい。

インタビューと編集には、必ず相手を通して自分が表現される。
だけどその記事は、僕の独りよがりな記事でなはなくて、
相手の新たな一面性を、相手に発見してもらうきっかけにもなるのかもれない。
相手の言葉にならない思いを、うまく言葉に変換してあげるきっかけになるかもしれない。

インタビューすることは、相手を通して、僕を表現する。
インタビューされることは、僕を通して、相手が表現する。


それはお互いが、自分の新たな一面に出会える機会にきっとなる。

だからインタビューは共同作業だ。

編集について

先週の土曜日に、2月号まなびおむすびの
おむすびインタビュー記事のためのインタビューを行った。

今回は、今年の1月に成人を迎えた3名にインタビューをした。
インタビューを終えて、いざ記事を書いて、
1つのインタビューで何通りもの記事が書けるなと思う。

編集というのはやっぱり自分が何を伝えたいのか?
ということを抜きに編集することは難しいと思う。

編集というのはそういったものなのだと思った。



声の力 〜言語聴覚士の友だちをインタビューして〜

「声の力」

自分の声は、唯一無二のものだ。

自分の今の声にどれだけ意識を置いているだろうか。

気分が悪い時は、声も元気がなくなる。
自分の「今」の状態は、
その「声」に反映されている。

自分の声はいつも変化している。

自分の「心地よい声」とはどんな声なのだろうか。
自分の「心地よい声」を知っているということは、
自分の状態を把握できる一つの指標になる。

自分の声を整えること、
それは自分の今を整えること。

自分の声を受け入れること、
それは自分の今を受け入れること。

自分の声が好きであること、
それは自分の今が好きであること。

言語聴覚士として言葉の世界で30年間、
試行錯誤しながらも、言葉の悩みや課題を抱える子どもと向き合ったきた仲間から、
「声の力」を学んだ。