そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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編集について

先週の土曜日に、2月号まなびおむすびの
おむすびインタビュー記事のためのインタビューを行った。

今回は、今年の1月に成人を迎えた3名にインタビューをした。
インタビューを終えて、いざ記事を書いて、
1つのインタビューで何通りもの記事が書けるなと思う。

編集というのはやっぱり自分が何を伝えたいのか?
ということを抜きに編集することは難しいと思う。

編集というのはそういったものなのだと思った。



声の力 〜言語聴覚士の友だちをインタビューして〜

「声の力」

自分の声は、唯一無二のものだ。

自分の今の声にどれだけ意識を置いているだろうか。

気分が悪い時は、声も元気がなくなる。
自分の「今」の状態は、
その「声」に反映されている。

自分の声はいつも変化している。

自分の「心地よい声」とはどんな声なのだろうか。
自分の「心地よい声」を知っているということは、
自分の状態を把握できる一つの指標になる。

自分の声を整えること、
それは自分の今を整えること。

自分の声を受け入れること、
それは自分の今を受け入れること。

自分の声が好きであること、
それは自分の今が好きであること。

言語聴覚士として言葉の世界で30年間、
試行錯誤しながらも、言葉の悩みや課題を抱える子どもと向き合ったきた仲間から、
「声の力」を学んだ。

【おむすびinterview】 千葉大学教授 木下勇さん

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第1回目は、千葉大学教授の木下勇(きのしたいさみ)先生にインタビューをさせていただいた。木下先生とは、今年の4月に初めてお会いした。静岡市清水区蒲原は、私が育った町である。木下先生は2017年5月末、その蒲原にある築160年の古民家(木下邸)を購入された。今日はその木下邸にて、インタビューをさせていただいた。


三世代遊び場マップ

 木下先生は、主に、都市計画や子どもの遊び場、子ども参画のまちづくりなどに関する研究・活動をされている。その中で、先生が中心となった活動の1つに「三世代遊び場マップ・図鑑づくり」の取り組みがある。木下先生が大学院生時代に力を注いだ活動の1つである。この取り組みは、東京世田谷の三軒茶屋太子堂地区で三世代の「遊び場」の変化をマップにまとめ・「遊び」の変化を図鑑としてまとめるという取り組みであった。この活動は、世田谷に住み、子育てをするお母さんたちが、*プレーパークを作りたいという想いがきっかけとなりはじまった。ただ、世田谷太子堂地区という都市部であり密集市街地に、子どもが火を使うのは危ないとか、うるさいなど、プレーパークを作るという計画に関して、町内会からは反対されたという。その衝突が、この「三世代遊び場マップ」の制作のはじまりだそうだ。

 町内会の中心メンバーは主にお年寄り。反対するおじいちゃん、おばあちゃんもかつては子どもであり、世田谷太子堂地区で遊び、育ってきた。だからこそ、まず「子どもの遊び」をテーマに、地域の遊びの変化を三世代にわたって調査し、マップと図鑑という形にまとめあげた。木下先生は「そうやって、一人では生まれないことが、みんなでやって、ぶつかりながらも、そこで初めて発想が生まれる。そして集団で創造していく」と言う。お年寄りに子ども時代の話を聞くと、とっても喜ばれたという。何かを創造するということは、そういう異質なものがつながり、集まることで生まれていくのかもしれない。


木下先生の原風景

 先生はなぜ「遊び」や「子ども」という領域に入っていったのだろうか?そんな問いが浮かんだ。
 
 木下先生の故郷は静岡県南伊豆町だそうだ。伊豆の大自然に囲まれて育ったのだろう。その故郷である南伊豆は、先生が子ども時代に急激に観光地と化していった。海が汚れ、蛤が取れなくなったり、松林が伐採されたり、環境が急激に変化していったそうだ。そして、その環境の変化は、子どもならではの好奇心にも影響を与えていたという。そんな体験から、「環境の変化と子どもの成長」という問題意識が木下先生の中にあったそうだ。

 大学4年時に所属していた研究室の調査で充てがわれたものが「遊び場」であった。それがきっかけで、「遊び場」や「子ども」という領域に入っていく。そして、「遊び場」や「子ども」という領域が、故郷の南伊豆の体験から得た「環境の変化と子どもの成長」という自身の問題意識につながっていった。木下先生の研究や活動は、この原体験が大きく関わっているという。きっと、この問題意識も、故郷の大自然や、地域の人々とのつながりへの想いから生まれているのだろうと感じた。


町が僕らの学校だ

 先生のお話を伺っていると、先生からは「市民の力を信じている」というのか、「市民の力を知っている」という実感からお話されている印象を受けた。先生はこれまで、遊び場や保育所を地域の人たちと作ったり、さまざまな取り組みを積み重ねてきたという。子どもの遊び場や地域への参画の先進国と言われているヨーロッパのスイスでは、遊び場の運営会議に子どもが参加していたり、子どもたちのデモを目の当たりにしたこともあったそうだ。そうやって、住民が参画し、街をつくっていくリアルな現場での体験が、先生から受ける「市民の力を知っている」という印象を生み出しているように感じた。

 そんな先生のお話から印象に残った言葉は、「街が僕らの学校だ」という言葉である。住民や子どもが地域の活動に参画していくと、街は大人にとっても、子どもにとっても「学び場」に変わっていくのだろう。「学び」という言葉に紐づく印象は「学校」なのかもしれない。でも「学び」というものは、限られた場所でするものでもなく、どこかに任せるものでもなく、私たちの日常にあり、私たちのくらしの中に存在する営みなのだろう。

 先生は、「住民の参画や子どもの参画も、手段である。大切なことは、人間の幸せとは何だろうか? 人と人とが生きてく社会はどうあったらいいのだろうか? そういったことを探求していく姿勢」という。社会の変化は益々はやくなっている。社会の変化によって、私たちの身のまわりの環境も変化してく。その中で、人と人とが生きてく社会はどうあるべきなのか? そんな問いを持ち続け、探求していく姿勢こそ、私たちがこれから生きていく上で、より大切なことなのかもしれない。

 最後に、地域の子どもたちの「遊び場」「子どもの参画」=「学び場」をこれまで数多くみてきた先生に、これからの時代、子どもたちにとって何が大切になってくるのだろうか?ということに関してお話を伺ってみた。

自分を語れること 

 自分をつくっていく、自己形成していくステージにある子どもたちにとって大切なことは、「自分がどういうところで生きて、どんなことを大切にして、どんなことに関心を持っているのか。そういうことを語れること。そういう人柄や開かれた感性」だと先生はいう。そういった部分は、狭い枠の中で、育もうと思ってできることではなく、広い世界の中で、自然と子どもが体験し、身につけていくものだろう。子どもたちの地域への参画は、そういった機会を生んでいくように思う。子どもたちが自然と学んでいく。自然と自信がついていく。子どもたちがそれぞれのペースで、それぞれのタイミングで学んでいく。子どもは、家庭を超えて、学校を超えて、私たちの街、地域という大きなフィールドの中で学べることがこれからの時代より大切になるのかもしれない。

(2018/12/24 木下邸にてインタビュー)

*プレーパーク
「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした遊び場であり、子どもたちの好奇心を大切にして、自由にやりたいことができる遊び場


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旧岩邊住居(木下邸)のご紹介

母屋は安政5年( 1858)に建造された築160年の建物。

幕末の勤王の志士で明治期に宮内大臣を12年つとめ、昭和の財政界に力を発揮した田中光顕と蒲原で最も親交の深かった家族の屋敷である。

田中光顕が蒲原の別荘を終の住処として過ごした時期に、頼りにした地元の有力者がこの屋敷の当主の岩辺平吉、弥之助親子である。とりわけ息子の弥之助は田中光顕にかわいがられ、その影響を受けて庭園がつくられた。また、離れの家屋は、東山台地にあった東京電力の全身の東京電燈の創始者の一人である矢嶋作郎の別荘の日本家屋部分を移築したものである。この別荘の移築も田中光顕との親交からと推察される。

つまり明治の近代化の時期の二人の歴史的人物の影響が残る屋敷として独特の魅力を有す。実際、この庭と離れ、蔵、母屋の屋敷が魅力となって、昭和37年(1962)当時、外国人旅行者の東京から京都へのバスツアー(日本交通公社指定庭園)の立ち寄り所として使われたことは地域の歴史・記憶としても特別な価値を有すものであろう。

(旧岩邊住居の概要 より一部引用)

 


現在、木下邸では、毎月最終土日に「茶房~Coming co~ 家民呼」という場づくりを行っています。以下、「茶房~Coming co~ 家民呼」の情報です。

茶房~Coming co~ 家民呼

築160年趣ある古民家で、人々が集う素敵な空間を…
家に民を呼ぶ、古民家。カミンコ。様々な人を呼び、集えば、そこではきっと新たな学び、刺激が得られるはず。大人も、子供も。

[基本情報]
毎月最終土日のみオープン。11月は富士の山ビエンナーレが開催されるため、毎週土日。学生と地元の方が協力して、交代で運営しています。

[公共交通機関]
JR新蒲原駅から徒歩15分(伸長161㎝大人が歩いてそのくらい)

[公式ページ]
https://www.facebook.com/comingco/

 

 

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1つ1つの事実は意外にも重たい

1/19 未来デザインWSのふり返り
〜 オンラインにて名古屋⇄静岡 をつないでもらい参加しました 〜

今日は第一局面“理念設定”と第二局面“現状把握”を行いました。

・1つ1つの事実は意外にも重たい
第二局面(現状把握)にて、今日は先月の学びを踏まえて、事実をシンプルに書くことにつとめた。そうすると、素材データを書いていく欄は自分の思っていたよりもシンプルに埋まっていった。

だから、いつもより記入欄の空白部分が目立った。
ワークを行うと、記入欄をびっしり埋めている方が、
そのワークをやっているという錯覚に襲われている自分がこれまでいたような気がした。

事実は自分が思うよりもシンプルな言葉に言い換えることができた。
でも、その1つ1つ出していく事実が、自分が思っているよりも重たいものなのだと感じた。

自分がただ流していた人との出会いや、自分の置かれている状況。
そういった1つ1つの事実を素材データとして、1つ1つ出していくと、今の自分に起きている事実はとても大きな事柄で、大切にしなければ勿体無いと感じざるおえなかった。今までその事実を真剣に見つめていなかった自分に気づいた。

この事実の重みをどうして感じられなかったのだろうか?と考えると、
やはり起こっている事実に対して自分の観念を紐付けて、
その事実を片付けてしまっているのだと思う。
それは本当にもったいないというか、この事実という重みをいつも感じることができる自分でありたい。

それがきっと、今を生きるということなのだと思うし、
1つ1つの縁を大切にしていくことなのだと思った。
(悟りはゴールではなく、スタートという言葉を思い出した)

自分はこれから何をしていけばいいのだろうか、と考えるために、
僕は未来デザインのワークを行ったのだけれど、
今ある自分の環境をしっかり事実として把握してみること、
自然と自分がやれること、やった方がいいことが見えてきたように思う。

自分の今を変えたくて、今を嘆く前に、まず自分の今を事実として掴んでみる。
そうすると、自分の今を嘆く必要なんてなくて、
自分の今を受け入れて、そこから始めようと思えてくる気がする。

今日のワークでは、この事実の重みが何より大きな気づきだった。
この気づきも先月の実践があったから感じられたことのように思う。
この第一、第二局面をまずは何度も繰り返し実践していきたいと思った。

前回(12/22)の振り返り

現状把握 観念ではなく事実を - そのまんまたろうのブログ

今和次郎と考現学 暮らしの“今”をとらえた〈目〉と〈手〉

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考現学の方法の特徴は、徹底した客観的観察にある。それもすべての実地において、実情をみる、というところにある。社会の現実がどうなっているかを、忠実に観察し、記録するのである。考古学者が古墳の発掘において、すべての出土品を綿密にていねいに調べるように、考現学者は、ひとつの部屋にあるものを、細大もらさず、綿密にていねいに調べあげるのである。

 

あるいはまた、動物の行動や習性を観察するように、考現学者は現代人の行動と習性を観察するのである。生物学者が一定区域のなかに、どのような生物がどれだけ生存しているかしらべあげるように、考現学者は、現代社会の一定区域のなかに、どのような社会現象がどれほど生起しているかを、徹底的に調べ上げるのである。

 

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そしておもしろいのは、昆虫学者が野外において昆虫を採集し、植物学者が植物を採集するように、考現学者は街頭において風俗を「採集」するのである。採集の用具として、捕虫網や胴乱のかわりに、考現学者はノートと鉛筆を持ち、ストップウォッチやカウンター、巻尺、望遠鏡をもつのである。そこにしめされているのは、徹底した野外科学者(フィールド・サイエンティスト)の姿勢である。その意味では、考現学というのは、現代の社会をフィールドにした、社会博物学であるといってもよいのだろうか。

 

今和次郎考現学 暮らしの“今”をとらえた〈目〉と〈手〉 より引用

 

https://www.amazon.co.jp/今和次郎と考現学-暮らしの“今-をとらえた%E3%80%88目〉と%E3%80%88手〉-KAWADE道の手帖/dp/4309740480/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1547734735&sr=8-2&keywords=今和次郎

 

まなびのネットワーク まなびおむすび

まなびのネットワークまなびおむすびは
毎月15日に発行しています!

まなびのネットワーク“まなびおむすび” とは、
“学びはひとりではできません。
人とのつながり、他者との関係性の中で生まれます。
そんな、まなびのむすびをつくる手段に、
この通信がなればと思っています。” と説明をさせていただいています。

昨年( 2018年)の秋に、7年間過ごした愛知県を離れ、
生まれ育った静岡県静岡市の蒲原という場所に引っ越しをしました。
7年間の中でたくさんの方々と出会い、つながらせていただきました。そのつながりがあったからこそ、僕自身が多くのことを学べたように思っています。つながりをこれからも継続し、そんな方々とさらに新たなつながり方ができたらいいなと思っていますし、7年ぶりに戻った静岡という地で、新たなつながりもつくっていけたらと思っています。

そのきっかけに、この通信がなってくれたら嬉しいです。

通信の内容は、毎月1名のインタビュー記事を掲載することのみ決めています。そのほかの内容は、あまり決めずに、インタビューに関連する内容や、本の紹介、考現学など、その時々に掲載したい内容をまとめていきたいと思っています。

 

まなびおむすびは、コピー&譲渡 大歓迎ですので、
皆様のまわりの方々にも読んでいただけたら嬉しいです!!!

年間郵送費1200円をご負担していただき、
毎月郵送もしていますので、希望される方は下記までご連絡ください。

Email:taro.sonomammaあっとgmail.com
(あっとを@に変えてください。)

アーカイブはこちら↓

taroshio.hatenablog.com

「書いている時」って本当に「ひとり」

昨日の考現学で、以下の言葉が出てきた。

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・書きながら気づいていく、
学んでいくというスタイルは、
自分に合っているのかもしれません。

・「書く」ということは
意外と僕にとっては大切な行為なのだと
こうやって書きながら感じずにはいられません。

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書くことは、自分にとっては大切な行為なのだという実感が、
昨日の考現学を書いていてすごくあった。

なぜ、書いているといろんな気づきが生まれてくるのか?
ということがすごく不思議であり、僕の問いとしてある。

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ひとつ、「時間の所有感」が言えるのかもしれない。

書いている時は、完全に「ひとり」の時間であって、
誰にも邪魔されないし、誰にも分断されることはない。
だからこそ、継続的に自分が自分の時間を所有できる。

だけれど、日常生活において、意外とそれは難しいように思う。
他者と一緒にいれば、誰かが声をかけてくる時もあるし、
誰かのあの行為が気になって、自分の時間に「他者」が入って来る。
そう思うと、「書いている時」って本当に「ひとり」なんだと思う。

ひとりでいる時間は、時間を分断されずに、継続的に自分が所有できる。
そして、その時間が分断されずに、継続的であることは、
「書く」という行為のすごく特徴的な部分だなと思った。

この流れている時間を、果たして誰と所有しているものなのか?と意識して捉えてみたい。

そして、個人の「ひとり」の時間を守ることや作ることは、
個人が気づき、学ぶことにおいてとっても大切なのだと思う。

そういう意味で、「書く」という行為は、
自分の「ひとり」の時間を守ることのできるスタイルなのだと思う。