そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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相手にうまく伝わらない、誰ともわかちあえないその気持ちこそが〈自分〉

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 相手にうまく伝わらない、というその気持ちこそが〈自分〉なんだと。自分が深まっていくと同時に、伝わらないという気持ちだって、深まっていく。自分の中で思うことと、誰かに伝わることは全く別のことであって、思っていること、伝えたいことを「言葉」として自分の外に出す。その言葉で表現できることも限られていて、時間も限られていて、そんな中でも話さなければいけない。

 

 なんか、そう思うと「うまく伝わらない」ことを受け入れられて、認められて、逆に「うまく伝わったこと」、「共感してもらえたこと」って、とっても小さな希望なのだと思いました。

 

 この本のタイトルが「ひとり」であることの意味が少しわかった気がしました。

 

あなたが「自分はひとりだな」と思うようになったのは、自分以外の誰かを意識するようになったからともいえる。人と比べて自分はどこがどう同じで、どう違うのかをいろいろと考えるようになって、自分のことがだんだん見えてきたからでもある。

だとしたら、相手にうまく伝わらない、誰ともわかちあえないその気持ちこそが〈自分〉じゃないですか。自分でもわけがわからない、もやもやしたその気持ちのなかにこそ、自分自身をもっと深く知るための手がかりが潜んでいる。

(15歳の寺子屋塾 ひとり より引用)

 

 

技法以前

 
 

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私も、「何をしてはいけないか」を考えながら浦河で日々を重ねてきた。木村さんがリンゴのと土の力を信じるように、私も〈当事者〉と〈場〉のもつ可能性を信じているからである。あらゆる問題解決の糸口は、「問題自身」と、「問題が起きている場」のなかに備えられている。それを信じることができないままに、問題解決の糸口をほかに探そうとするところに行き詰まりが生じるのである。
(「技法以前」向谷地生良 著  はじめにより 引用)

 

 

“沈黙も言葉なんだよ”

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 あの人は何も言わないけど、本当は気持ちの中で自分によく問いかけ、自分でよく答え、それを繰り返している。それは言葉に表さなくても、行動に表さなくても、心のなかでそういうふうにしてるってことがある。

 

人は誰でも、誰にも言わない言葉を持っている。

 

沈黙も言葉なんです。

 

 沈黙に対する想像力がついたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持っているといっていい。

 僕はうまく伝えられなかった言葉を紙に書いた。届かなかった言葉が、僕にいろんなことを教えてくれた。自分や誰かの言葉の根っこに思いをめぐらせて、それをよく知ろうとすることは、人がひとりの孤独をしのぐときの力に、きっとなると思いますよ。

 

ひとり “沈黙も言葉なんだよ” p23

 

 

 

らくだメソッド 「めやすの時間」

らくだメソッド 「めやすの時間」

 

らくだメソッドには、

1枚のプリントに「めやす時間」というものが設定されています。

「めやすの時間」内に、3問ミスせずにできたら、

「合格」となり、次のプリントに進めます。

 

今日は、時間内に問題を解くことができず「不合格」となりました。

 

今日は「できなかった」わけだけれど、

「時間内に」できなかったのだと思いました。

 

「できない」というものが、

どの基準や目安で「できない」とされているのかを、

意外と認識せずに「自分はできない」と思っていることが、

あるのかもしれないと思いました。

 

そして、「時間」という目安(らくだメソッドではめやすの時間)が、

今の自分の現状を把握できる1つのめやすになってくれているということです。

 

時間から自由になれたら、、、

時間がたっぷりあったら、、、

なんて考えてしまいがちだけれど、

 

時間の制約が、

ひとつの目安となり、

自分の今を把握できる。

 

だからこそ、

今の自分を見つめるひとつの視点として、

「時間」というものうまく使えたらいいと思いました。

 

 

フランシス子へ

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www.amazon.co.jp

 

 ただ、このごろよく思うのは、何か中間にあることを省いているんじゃないか。 何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるっていう今の考えかたは、自分も含めて本当じゃないなって思います。(p.72)  
生きるっていうのは、どっちとも言えない中間を断定できないまんま、ずっと抱えていくことじゃないか。僕はそういうものをいくつも、いくつも飽きもせずに抱えながら歩いてきた。 これは大変な荷物持ちだねって言われたら、本当にそうだと思います。 考えて考えて考え続けてはいるんだけど、断定できないんだからそうするよりしょうがないんですね。(p.87) 
それはつまり中間をおろそかにしないってことでもあると思います。よせやい、まだそう断定するのはちょっと早いんじゃないかないかってね。(p.89)

 

 

 中間にいられる自分でいたいと思います。中間はというのは、分からない状態であり、できない状態であり、悩んでいる状態と捉えることができるように思います。

  

 何かを割り切って、わかったことに、できたことに、悩みが解決されたことにしないでいたい。そんな中間の状態は、他の誰かには、「弱さ」として見えるかもしれません。

  

 だけど、そんな「中間の状態」「弱さ」こそ受け入れて、認めて、愛していく。その状態でじーーーっいられることこそ、「強さ」のように最近は思っています。

 

 

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経営ゲーム 経営は気を抜けない

経営ゲームをやって、「経営は気が抜けない。」ということを改めて感じました。

 

経営ゲームでは人材のレベルがある程度まで上がると、

チップを購入でき、そのチップを購入することで、

一定のレベルを保てるため、

生産活動も比較的安定して行えるようになるのですが、

今日は、そのチップを購入し忘れてしまった。

 

そしてその1つのミスからかなり崩れていきました。。。

 

経営ゲームは1期から10期までやろうと思うと、

(1期経営が会社を1年経営するというイメージ・・・ゲーム内では25回意思決定ができます)

かなりの時間がかかります。

 

今日は二人プレイだったので、3時間ほどかかりました。

 

今日のこの1つのミスから経営は本当に1つのミスで

かなりの影響が出るということが痛いほどわかったのですが、

それと同時に、気を抜けないなら、気を抜く時間も大切だということもわかりました。

 

1期から10期までぶっとうしで今までやってきたけれど、

やはりどこかで休憩(気を抜く時間)も必要だということです。

 

実際の経営でも、考えない時間、休む時間は必要なのだと思います。

 

次回は、気をぬく時間=休み時間を入れて、

ゲーム中は気を抜かずにやりたいと思いました〜!

 

 

北海道の浦河町にある「べてるの家」 ドキュメンタリー映画「ベリー・オーディナリー・ピープル予告編2」上映会をしました。

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1月28日に、名古屋市中村区本陣で寺子屋を主宰されている井上淳之典さんの教室にて、北海道の浦河町にある「べてるの家」ドキュメンタリー映画「ベリー・オーディナリー・ピープル予告編2」上映会を行いました。

 

この「ベリー・オーディナリー・ピープル(V.O.P)」を上映するのは今回で2回目で、前回は昨年の2016年の8月30日に「V.O.P予告編1」の上映会を行いました。

 

今回は早い段階で、満員御礼となり当日は定員の参加者8名で上映会を行いました。

 

自己紹介→映画上映→振り返りセッション→懇親会という流れで進んでいきました。映画の上映時間が90分、その後の振り返りが1時間という時間でしたが、予告編といっても90分あるこの映画は、上映だけでもとっても内容盛りだくさんですので、振り返りはどれだけ時間があっても足りない!というくらい、気づきや学びの多い映画です。

 

昨年に上映した予告編1『ようこそ べてるの家!』に続いて、今回の予告編2は『三度の飯よりミーティング』というタイトルです。

 

V.O.P予告編2『三度の飯よりミーティング』の内容について

べてるの家では、うまく行かなかったり困ったり、問題が発生すると盛り上がる。その度にメンバー全員でえんえんと議論して、それも笑いのうちに話が進んで、立派な結論はいっこうに出てこないのだが、自然に問題解決の方向へと流れが生まれる。どんなに深刻な議論をしていても、なぜか笑いが絶えない、実に不思議なミーディング風景である。

 

 

べてるの家について、そしてこの映画説明することはとても難しく、この映画をみていただくことでべてるとは何か?ということを知っていただく機会になると思います。

 

そしてそれは、生きるとは?ありのままに生きるとは?といった、問いを自分自身に投げかける機会にもなるのだと思います。

 

今回は、僕の中でも特に印象深かった予告編2を上映し、参加者の皆さんと意見交換できたことでより、気づきが深まった一日でした。

 

次回は4/22(土)に上映を予定しています。次回は「予告編4“安心してさぼれる会社づくり”」を上映する予定です。

 

まず、この映画はなぜ「予告編」なのに90分もあるのか?という時点でとっても不思議ですし、次回のタイトルも「さぼれる会社づくり」ということで、ハテナばかりが浮かぶと思いますので、べてるの記事もこのように、ブログやフェイスブックで、少しでも記事を発信できたらなと思っています。

 

今回の参加者の方々が、ブログやフェイスブックで、感想や気づきを書いてくださっていますので、紹介させていただきます♩

 

べてるの家の映画を久しぶりに観ました | 往来物手習い

 

atumiumi.hatenablog.com

 

hiro22yasu13.hatenablog.com

 

taroshio.hatenablog.com

 

 

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