そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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なんで高校時代に勉強ができなかったのか今ならわかる。

なんで高校時代に勉強ができなかったのか今ならわかる。

 

今、こうして数学の学習を毎日やっていて、

「できない」プリントに直面した時に、

高校時代の自分を思い出す。(ものすごく思い出す)

 

僕は高校に入って勉強ができなくなった。

中学校の時は、それなりに勉強すればなんとなくできたことも、

高校に入ってからは、本当にできなくなった。

 

センター試験の勉強もしたけれど、

できない問題はたくさんあった。

問題集を解いても、できない、わからない問題があった。

 

でも、そのできなかった問題を、1問1問自分の力でできるようになるまで、

答え直しをすることもなかったし、友達に聞いたり、

先生に自分から質問することすらしていなかった。

 

そういう高校時代の自分の姿と、その時の気持ちが

すごくリアルに蘇ってくる。

そして、「そりゃできるようにならんよな」と今は納得できる。

(それは、もともとの能力とか才能とか全く関係なく。)

 

今こうして毎日数学のプリントをやっていると、

高校時代と同じように「できない」問題に直面する。

でも、今の学習は、高校時代のように、できなくてそのままにしておいたら、

いつまでも今のまま変わらない。

次に進むこともできないし、戻ることもない。

ただ、今のままである。

そうすると、自然とできたい気持ちが生まれて、

できなくても、なんとか前に進もうとする。

 

できないなりになんとかやろうとする。

(やろうとしなくも、やろうとしない自分と向き合おうとする)

 

時間はかかるけれど、地道に必ず進んでいく。

 

高校時代は、どうだっただろうか?

どれだけできない問題をそのままにしていても、

センター試験をいつしかむかえ、

いつしかできないなりの結果が届く。

そして、大学に僕は進学した。

 

「できない」体験は、試験の終わりととも僕の中から消えた。

 

「数学ができない」という高校時代の体験は、

「進学」のための手段の中にある体験の1つにすぎなかった。

 

僕はあらためて、今、高校時代の学び直しをしているのだと思う。

 

できないことを、受け入れていくこと。

できない自分を、観察すること。

できないことを、できるように工夫していくこと。

できないことが、できるようになること。

 

その体験は、ただ「勉強ができるようになった」だけでは終わらない。

自分が本当に「できない」ことと、

真剣に向き合い、自分で1問でもできるようになっていくその体験は、

「数学」を超えてきっと大きな価値があるのだと、

今の僕は感じている。