今週から、らくだのプリントに朝から取り組めている。
今まで学習を続けてきて、朝できたらいいな。と思っていたけれど、
結局できずに夜やる流れができていた。
夜、できてしまっていたから朝やらなかったのだと思う。
だけれど、ここ数ヶ月、思うようにプリントができずにいたこともあって、
自分なりに、毎日できていないという事実に対しての
できない実感がより生まれているような気がする。
ちょっとできない自分に落胆というか、情けなさを感じていたのだけれど。
だからなのか分からないけど、
朝やろうと意気込んでいないけれど、朝できている。
できるように頑張ろうと努力するのではなくて、
できないという実感、できない自分に絶望したほうが、
できる方向へ向かっていくような気がする。
まだ一週間だし、今週はずっとひとりだったこともあって、時間の所有感もまたいつもと違う感じがしている。
引き続き、自分を観察していきたい。
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朝にプリントができると、1日の流れ方が違う。
やることやって、1日を過ごせている。という感じだ。
その感覚を振り返ってみると、僕は小さいころ片道30分ほどかけて、
サッカーの練習にほぼ毎日通っていた。
両親が送り迎えをしてくれたこともあった。
その時のルールは、必ず宿題を終わらせてあること。
これが我が家のルールだった。
宿題を済ませていなければ、サッカーにはいけなくて、
自然と宿題を済ませていた自分を思い出した。当時の自分はすごいと思う。笑
そういうルール決めは、僕が心地よくサッカーができたことにつながっていたのかもしれないと思う。
両親との関係がうまくいっていなければ、
もしかしたら送り迎えをしてくれなかったかもしれないし、
サッカーにとことん打ちこめていなかったかもしれない。
そうやって思うと、宿題を済ませてからサッカーにいくという我が家のルールは、
なかなかいいルールだったように思った。