そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

まなゆい 教えたくなる自分に気づくということは…

まなゆいって、「どこから」でも自分に入っていける。

でも、その「どこから」っていうのが、

自分だと意外と気づけない。

 

応援さんの、「じゃぁ、それをまなゆいしてみたら?」

これが、意外にもその人が自分とつながる入り口になる。

 

どんな悩みや、モヤモヤも、

自分とつながる入り口だ!

 

その入り口を気づかせてあげること。

それが応援さんの役割でもあるのかもしれないな。

 

いつも僕は、目の前の人に、

教えて、与えている。

 

勝手にその入口を埋めて、

自分自身を満たしているだけなのかもしれない。

だって、「〜したほうがいいんじゃない?」

「これはこういうことでしょ!」

こういうことを言いたくなるポイントが

必ず、その人の入口なんです。

 

だから、人の悩みやモヤモヤを聞いている時に、

自分が教えたくなったり、

こうだ!って価値観を押し付けたくなる瞬間が、

まなゆいチャンスのポイント。

 

意外と目の前の人が

自分自身と深くつながるチャンスは、

目の前にいる応援さんが持っているのかもしれない!

 

教えすぎない、与えすぎない。

 

教えすぎちゃう自分を、

与えすぎちゃう自分を

受け入れ認めゆるし愛しています。

 

そんな自分は、目の前の人の

「入口に気づいている」そんな存在なんだからね!