そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

宮沢賢治読書会のまとめをイサミ(木下先生)がケンジ流に描いてくださいました。

f:id:taroshio:20190716125134j:plain



木下先生と近所の大学生とはじめた読書会
3回目にわたって「宮沢賢治」を取り上げました。

第3回目の最終回は、それぞれが宮沢賢治から学んだことを発表しました。
その発表のまとめをイサミ(木下先生)が書いてくださいました。

--- --- --- --- --- --- --- --- --- --- --- ---

読書会 春編(4−6月)
宮沢賢治 読書会の前回 6/23のまとめをケンジ流に描いてみました。

 

イクノのハナシ

イクノは3回のまとめとして「読書、しかも本を手にとって、身体で感じ取る読書のススメ」を力説した。一見、宮沢賢治とどう関係するか、イサミは心配になるが、さらに熱気を帯びてくる。「カンカクに関する情報、ページめくる感覚、 重さ、紙が古くなるにつれて、木に近くなって、劣化して本特有の匂いはスマホ、電子図書と違う」と。「目が疲れないし、長く読んでいられる」と実物の本の援護射撃は続く。「本は心の避難場所デス」と。???オヤオヤ、ナンダロー?「イバショガナイ人が増えている。自分の世界が狭まってくる」と。

 するとイサミはちょうど読んだ新聞記事を思い出した。「非正規雇用で貧困状況の若者が、『ジブンがコウナッタのは自己責任』とアキラメ、才能や能力ある人が国を動かし当然と今の政権を支持している」という記事だ。非正規雇用が10年前に比べて7倍も増えて、働いている人の38%も占めるようになったのは今の政権が起こしたことはカンガエズ、目の前のジブンのイバショのアンテイを願うココロとなんか似たような。そうだ、イクノが好きな「やまなし」のふしぎな話しがなんかひっかかってくる。

 イクノは最後に「ココロのヨリドコロ、座標を固定するために本をヨメ!」とエンゼツした。

 

タローのハナシ

 タローは「農民芸術概論」から印象に残る言葉を紹介した。

「われらの前途は輝きながら嶮峻(けんしゅん)である」

ケンシュン???「山が高くてけわしいこと(さま)、場所」と辞書にある。

 タローは「耕さない」「持ち込まない」「草や虫を敵としない」という自然農の三原則を、自ら行なっている畑の写真などとともに見せてくれた。

 「エ! これがハタケ!!」と 荒れた土地みたいな風景に多くの人が驚くようなやりかた。たぶん周りから変な目でみられたりするにチガイナイ。

「自然農の畑では、どれだけ自然に応じられるか?ということが問われます。」とタローはしめくくる。草や虫もナカマとして考えるのは宮沢賢治のセカイ。

 でもいろいろ失敗も多いだろうし、収穫も多くないだろう。

 「まさにそれ、嶮峻(けんしゅん)。と同時に、その過程の一瞬一瞬がとても心満たされる時間だと感じます。」とタローはいう。あ、そうか、農業やりながら、草や虫と会話する、まさに宮沢賢治のセカイそのものだ。タローの「前途は輝きながら」をイサミは信じたくなった。

 

イサミのはなし

イサミは「カンバラはイーハトーブ」と話した。「シロツメクサの花の番号を数えていくと誰もがうたったり自由になれる広場にたどりつけるという『ポラーノの広場』は中尾羽自然公園のハラッパだ」と。レオーノ・キューストが散歩に連れて、はぐれてファゼーロと出会ったきっかけのヤギもいると。また、ダッチオーブンで何でもつくってくれる『注文の多い料理店』も時折、ハラッパに出現する。たしかに店主はやまねこみたい。

 イーハトーブは理想郷。19世紀末に流行ったユートピア思想が広がり都市と農村のよいところを兼ね備えた田園都市は近代都市計画の目標の姿だが、田園を失った大都市より、工場など働くところと田園がある蒲原の方が都市計画の理想郷に近い。

 蒲原をイーハトーブとしたならば、ケンジが描いたように、人も生き物も、電柱など生き物以外の物も人と会話したりと、人、生き物、物が通じ合うセカイ。イサミはこの古い建物のケヤキの柱などが語ってくるような気がするという。しかし人間より長く生きている建物、柱、梁などが重機で壊されている風景を時折見かける。そのイタミが伝わってくるようだと。だが話すことはできない、ケンジの物語だと子どもの方が物とも気軽に話している。子どもの方がそういう能力に長けている。

 子どもの声を聞き、子どもが主役のまちづくりをすすめたら子どもにやさしいだけではなく、みんなにもやさしい、そして環境にもやさしい持続可能なまちづくりになるのではと。そんなことできるのだろうか?

 「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから」(ポラーノの広場より)。