4月22日に、べてるの家のドキュメンタリー映画「ベリー オーディナリー ピープル」の上映会を、中村区で寺子屋塾を主宰している井上淳之典さんの協力のもと、開催することになったのですが、そもそも「べてるとは?」「ベーリー オーディナリー ピープルってどんな映画なの?」と言われても、一言で答えることがとっても難しいと思っています。
それだけ、べてるの家から、この映画から、学べることや気づかされることが多様で、様々な角度からべてるに触れることができると思っています。
ですので、まずはこの映画を撮った四宮鉄男さんの文章を紹介させていただきたいと思います。
べてるを通して、どんな出会い、繋がりが生まれるか今からとっても楽しみにしています。タイミング合う方、ぜひ4月22日お待ちしております⭐︎
べてるの家の日常を撮り続けていると、えっ、そんな生き方があるの!という驚きの連続だった。ベてるのメンバーの生き方を見ていると、自分自身の生き方が炎り出されてくる。自分がどう生きるのか?自分らしい生き方とはどういう生き方なのか?
べてるのメンバーとの出会いが、自分自身の生き方を見直し、考え直すきっかけにもなっていた。
一方で、「ベリー オーディナリー ピープル」のビデオを見た人たちの中には、彼らの生き方というより、自分自身の生き方の問題として受け止めている人が多い。べてるの人たちの生き方を見ることで、自分の今の存在の仕方に安心したり、励まされたり、元気をもらえたような気がするという感想がたくさん寄せられている。イメージの中では求めつづけていながら、まだ自分の生き方では実現できていないものが、べてるにはたくさんあるようだつた。
⭐
そこには、これからの時代を生きていくための、実に豊かな知恵が溢れているように感じられる。彼らの生き方には、何か、私たちの生き方へのヒントやモデルになるようなものがありそうな気がする。
ベてるのメンバーが、見栄とか効率とか周りからの評価とか、余計なものはいっさい削ぎ落として、素のままの自分として生きていることも、その一つだった。そうした生き方ができるのも、おそらく、精神病という病気が、人間が生きるということの根源を問い詰めるような病気だからではないだろうか。
しかも彼らは、そこから生還してきた人たちである。つまり、彼らの人生の失敗も、つらさも、痛みも苦労も、その一つ一つが、私たち自身が生きるということにとっての、大事な宝物なのだ。
べてるの家からのメッセージは、健常者と言われる人たちや、自分を健常者と思いながら、毎日を悩み苦しんでいる人たちへの励ましのメッセージのように思われる。苦労や悩みがあってもいいじゃないか。つらいことがあってもいいじゃないか。もっと毎日を、明るく、たのしく、幸せに生きていこうよ!
奇妙なことに、『ベリー オーディナリー ピープル』の八巻のビデオはすべて予告篇である。予告篇といっても、それぞれ一時間から一時間半、最長で二時間の作品もある。
毎日毎日を生きていくことには限りがない。完結しないし、変化していく。「べてるはこうです」なんて、言い切れない。意味づけや結論や、完結性は邪魔だった。だからどこまでも予告篇なのだ。べてるは素晴らしいという賛歌ではなく、ただ、その時その時を輝いて生きているメンバーたちの今を描くことで、同じ生きている時間を私も共有したいと思ったのだ。
『ベリー オーディナリー ピープル』は、べてるの家の日常にただカメラを向け、ただ撮っただけのものである。ドキドキハラハラするようなストーリーはない。ドラマチックでもない。感動に涙するような場面もない。しかし圧倒的におもしろい。
それは、登場してくるべてるのメンバーがおもしろいからである。
彼らが、実に、明るく、たのしく、幸せに、生きているからである。
そんな「べてるの家」の生き方って、どんな生き方なのだろうか?
当日は、映画をみてから、それぞれが感じたこと、気づいたこと、学んだことを共有し、ゆっくり対話を深めていきます。
参加申し込みは
◯FBの場合
「べてるの家」 ドキュメンタリー映画「ベリー・オーディナリー・ピープル」上映会
◯FB以外の方は
taro.sonomammaアットgmail.com までご連絡ください。
ぜひ、タイミング合う方ご参加をお待ちしています⭐︎