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母乳育児について 〔母乳を続けたい想いは母のエゴではない〕

2021/6/13 の記事を転記

赤ちゃんがうまれてから、数週間は母乳のみであったけれど、2週間検診で体重の状況をみて、母乳にミルクを加える形(混合)で授乳をすることになった。

母乳の量があまり増えていかないこともあり、完全母乳ではなく混合という形で2ヶ月間続けている。完全母乳でもなく、完全ミルクでもなく混合という形は、どちらかに割り切れない葛藤状態の中での授乳を続けてきたとも言えるように思う。

母乳だけだと、あかちゃんの体重があまり増えなかったので、ミルクをいれていったのだけれど、ミルクを増やすと母乳を好まなくなってしまったり、母乳の授乳回数が減ることで、母乳の出る量が減ってしまったり、母乳とミルクのバランスをいつも調整する必要があった。

 

母乳を続けたい想いが、果たして息子の為になっているのか?

息子の体重は、成長曲線のギリギリラインを沿っている。そんな息子の状態を妻はいつも心配していた。同じ月齢のあかちゃんでも、ぷくぷく大きくなっている赤ちゃんと比べてしまうこともあった。

また、予防接種を受けた時に、先生に「もっと増やさないと。」と忠告を受けたりもした。そんな言葉がより妻を追い詰めた。

自分が母乳を続けたい想いが、果たして息子の為になっているのか? 自分のエゴではないのか?と自分を責めてしまう時も多くあるように思う。

 

母乳とミルクを相対的に考えすぎないでいたい

母乳とミルク。この2者はどうしても比較してしまいがちだ。僕は子どもが生まれてから、まわりの人に「母乳?ミルク?」と聞かれる機会の多さに驚いた。

多くの人は、「あかちゃんの身体を構築する栄養摂取の手段として母乳か?ミルクか?」という認識で、この質問をしてくるのだ。
そして、母乳の方が免疫力がアップするとか、いろいろな理由で、「母乳が出ることはいいこと」とされている風潮がある。

 

この時代の中で、自分たちらしく生きていくこと、生活していくために

母乳・ミルク・混合には、それぞれの良さがある。

母乳は栄養摂取以外にも、赤ちゃんとお母さんの密着感により赤ちゃんに与える安心感も大きだろう。
ミルクは、どうしてもお母さん以外の人に預けなければ生活が回らないお母さんや、働いているお母さんにとっては、お母さんがお母さんらしく生きていく上では大きな役割を担ってくれる大切な存在だろう。

そうやって、母乳もミルクもそれぞれの良さがあり、お母さんやお父さんがこの時代の中で、自分たちらしく生きていくこと、生活していくために、自分たちにあったスタイルとして選択していけばいい。

 

母乳を続けたい想いは母のエゴではない。

お医者さんに「もっと体重を増やさないと。」と忠告を受け、母乳を続けたいという気持ちは、自分のエゴではないのか。と落ち込む妻をみて、僕は、「母乳を続けたい想いは母のエゴではない」と思った。

先ほども書いたように、母乳もミルクもそれぞれのよさがある。そして、そのよさは、「あかちゃんの身体を構築する栄養摂取の手段」としての良さだけではないのだ。

母乳を続けたいと思う妻は、きっと授乳中の赤ちゃんとの間に、「栄養摂取」だけではない何かを感じているのだと思う。
その授乳の時間は、辛い時もあるけれど、とてもかけがえのない時間だという。それは、お母さんだけではなく、赤ちゃんにとってもそうなのだと思う。あかちゃんのおっぱいを吸う表情はとても安心していて、心地良さそうだ。

母乳がうまく出ないお母さんたちは、「母乳がすこしは出るから続けたいけれど、たくさんは出ないからやめたほうがいいのではないか」と悩むお母さんも多いように思う。だけれど、その「続けたい想いはエゴではない」と僕は思う。

もちろん体重の増減の経過は専門家に見てもらうことは必要ではあると思うけれど、お医者さんだけでなく、助産師さんなど、専門家に相談しながら自分の授乳の形を探っていってほしいと思う。

それが、自分らしい子育てだと思う。そうやって悩みながら進んでいけば、きっと自分の想いと、子どもの想いが重なる場所が見つかると信じて僕も妻と子どもと進んでいけたらと思う。(2021/6/13)

母乳育児について その4 (セルフケア)

第一子の母乳育児の時は、
おっぱいが詰まった時は母乳マッサージなどをしてもらった。

どんなお母さんも初めての母乳育児であれば、
その対処法もわからないのは当然のことのように思う。

ただ、妻はだんだんと自分で自分のおっぱいを上手に
ケアできるようになっていった。

日ごろから行っていたケアを書いてみる。


①食事について

乳製品の摂取を日ごろから控えることで、詰まる機会は減っていった。

②乳腺のメンテナンス(飲み残し)
赤ちゃんは授乳の時に途中で寝てしまったりする。そういったときに、途中まで吸い上げた母乳が乳腺内に残ったままになっている場合がある。「飲み残し」といわれるものだ。この飲み残しも、母乳が詰まる原因となるようだ。
この飲み残しを、しっかり絞って出す。ことも大切なメンテナンスのようだ。

③乳腺メンテナンス(温める)
乳腺は、温めると広がるようだ。詰まったときに、お風呂に入って詰まり抜けたことが度々あった。乳腺が広がることから、毎日お風呂で乳腺のチェックをして、詰まり気味のところは絞ったりしていた。

また、絞って圧力をかけると、皮膚に負担がかかるようで、トラブルにつながることもあるそう。なので、温めて皮膚も柔らかくすることで、そういったトラブルへの対策にもなりようだ。

④子どもにしっかり飲んでもらう
やはり基本となるのは、赤ちゃんがしっかり飲んでくれること。
子どもの口位置によっても、圧力のかかる腺が変わるようだ。
なので、赤ちゃんの吸う姿勢を変えたり、口を大きくあけさせたりもしていた。

 

セルフケアができると、気持ちも楽になる

自分で対処できるということは、自分自身に安心感を与えるように思う。
「詰まったらどうしよう」から「詰まってもなんとか大丈夫そう」と思えるようになっていったように思う。

気持ち的にも、大きく違うようにおもう。

また、金銭的なこともある。

授乳トラブルで母乳マッサージをしてもらうにも、
金銭的な負担は発生する。

産後ケア事業もあるけれど、そういったものが授乳のトラブルに対応しているとは限らない。マッサージも継続的に通う場合もある。
経済的な負担がかかるケースは多いように思う。

そういったことも、産後のお母さんの精神的な負担になることはあるように思う。

なので、セルフケアで、自分で対策や、解決策を見いだせることは、
とてもお母さんにとっては価値あることのように感じた。

母乳育児について その3 (乳腺の太さ)

乳腺の太さとの関係

母乳は乳腺から出るわけだけれど、
15~20個ほどあるようだ。

母乳マッサージをすると、
よく出る腺とか、よく詰まる腺とか、
いろいろ性格があるようだ。

そんな乳腺も、人によって数や太さもそれぞれのようだ。

腺が太くて腺の数が少ない人や、
腺が細くて腺の数が多いとか、、、、
いろいろなおっぱいがあるようだ。

おっぱいを絞って、
太い射乳がでれば、乳腺が太く、
細い射乳であれば、腺は細い。と見極められるそうだ。

よく詰まる、というのは乳腺の太さも関係しているようだ。

母乳が固まっても乳腺が太ければ
腺の中を上がってくることができるし、
あかちゃんの吸引によって、抜くこともできる。

しかし、乳腺が細い場合、
腺の中でつまりやすいため、
なかなか上がってこない。
赤ちゃんが吸っても抜けない場合がある。

そんな乳腺の太さも、
母乳のつまりに大きく関わっているそうだ。

母乳育児について その2 (食べ物・油)

第一子が生まれて1週間ほど経ったころ、
お祝いのケーキをいただいて、
妻と切り分けて美味しくいただいた。

チョコレートとバタークリームの美味しいケーキであった。

ケーキを午前中にいただいたのだけれど、
その日の夕方に、
妻のおっぱいに激痛がはしる。

すぐに助産師さんのもとへいった。

診断してもらうと、
妻の乳腺が詰まっていたそうだ。
マッサージでつまりを抜いてもらった。
このマッサージが激痛だったらしく、
出産よりも痛い。。。くらい激痛だったそうだ。

それからもよくおっぱいが詰まって、
授乳時の痛み、詰まりから乳腺炎になったりを繰り返した。

本当に、乳腺から出てきたのか!?と思うほど
大きい塊がマッサージでとれた。助産師さんからは歴代2位と言われたこともあった。

第一子の時は、本当におっぱいが詰まって苦労していた。

そして、あるお医者さんから、乳製品が身体に合っていないから、
控えた方がよいといわれたことをきっかけに、
乳製品を控える生活をはじめた。

そこから妻のおっぱいは詰まることは少なくなった。

 

母乳と油

完全に僕の意見ではあるけれど、母乳と油の関わりは深いのではないかと思っている。
(下記の意見と同じような記事はネット上ではたくさん出てくる)

第一子の経験もあり、第二子の母乳育児期間である現在、妻は乳製品の摂取を控えている。そのかいもあってか、母乳が詰まることはかなり少ない。

ただ、これまで数回ほどおっぱいが詰まりかかったことがある。

その数日前の食事を振り返ってみると、
油分の多い食事をとっている。
1回目は植物性のクリーム、2回目は天ぷらである。

それが原因と特定することは難しいけれど、
どちらも油の多いものであるし、
油の質もよいものではなかった。

その点からも、「油」の選択は、母乳にとても関連性があるように思う。

油でもさまざまな種類があるし、
その質もさまざまである。

母乳がよく詰まるようだったら、摂取する油を見直してみてもいいかもしない。

 

 

長男、こども園へ入園

今年の4月に、長男ほかちゃんがこども園へ入園した。

3月末の早生まれなので、先月3歳になったばかりである。

僕は基本的には自宅で仕事をしている。
だからこの3年間はほぼ毎日一緒に時間を過ごした。

4月1日から子ども園へ毎日行くことになって、
ほかちゃんが子ども園へ行っている間の我が家はとても静かだ。

こんなゆっくりした時間を過ごすのは久しぶりだ。
この時間がうれしい反面、ほかちゃんとあれだけ濃密に、ずっと一緒に過ごせる期間はもう終わったのだということへの寂しさのような、せつなさのような気持ちもある。

子どもと一緒にいられる時間って意外と少ないんだ。

これまでの母と子、父と子の関係中心の日常生活から、
家族以外の人との関係が日常の中心となる生活へと変わった。

1つの区切りを迎え、ほかちゃんにとって次なるステージに進んだのだろう。
ほかちゃんだけでなく、僕らも。

寂しさのような気持ちもあるけれど、
この3年間、毎日一緒にいられるその時間をやり切ったという実感もある。

子どもと一緒にいることがこんなにも
肉体的にも精神的にも大変だと知らなかったし、
はやくこども園へ入園してほしいと思ったことも何度もあった。

でも、今こうして3年間を振り返ってみると、
すべてが初めての体験で、
苦しかった時間、不安だった時間、目の前のことに必死過ぎたその時間が
今の僕にやり切った感覚、充実感を与えてくれているようにも思う。

苦労の中にいること、
とにかく必死に毎日を生きること。
その時間の中にいられることは
もしかしたら豊かなことなのかもしれない。

でもそれはすべての苦労に共通していることであるとは思わない。
苦労から逃げることもまた重要だと思う。

でも、自分が大切にしたいこと、自分が選んだこと、
誰かと丁寧に話し合って決めたこと、
そういうプロセスによって、
苦労や必死さから得られるものは変わってくるのだと思う。

といっても、また新たなステージに進めば、
その都度その都度、大変なこと、苦労は多い。

でも、その大変なことを自分らしい、
自分たちらしい苦労として体験できれば
それは自分たちの豊かさとつながっているのだと思う。

だから毎日毎日、子どもと向き合うことと同じくらい、
自分自身や唯ちゃん、家族と向き合うことを忘れてはいけないとも思う。

 

 

母乳育児について 〔授乳はすべてが絶妙な関係性の中で成立している〕

 

*2021/6/5 の記事を転記
赤ちゃんが生まれてすぐ、赤ちゃんへの授乳の仕方を妻は助産師さんから教えてもらっていた。

あかちゃんがおっぱいを吸う姿は見たことがあった。

だからあかちゃんが「おっぱいを吸う」ということは

あかちゃんと、お母さんのおっぱいがあれば、

普通に行われることだと思ったいた。

だけれど、あかちゃんへの授乳の指導をしてもらうと、

それはお母さんと、あかちゃんの絶妙な関係から成り立っていることなのだと知った。

お母さんのおっぱいから出る母乳は

あかちゃんに吸われることによって、

より作られていくらしい。

あかちゃんも吸い方がだんだんとうまくなっていくらしい。

あかちゃんがお母さんのおっぱいに「ぱくっ」と吸い付く。

そのタイミングや、お母さんのおっぱい、あかちゃんの口のポジション、

すべてが絶妙な関係性の中で成立する。

いままで普通に成り立っているとおもっていたことが、

ここまでお母さんと赤ちゃんが歩み寄り成立しているとは正直驚いた。

そして、その関係は、母乳が出るおっぱいや、

赤ちゃんに吸われても耐えうる乳首の状態、

赤ちゃんの吸う力、

二人の身体を土台に成り立っている。

それはものすごく貴重で尊いことなのだと感じた。

今まで普通に見えていた光景であったけれど、

そんな普通に見えていた光景の奥に

母さん、赤ちゃんの背景にはさまざまな苦労や葛藤がある。

そう知った時、自分の普通に見えていた光景は

とても貴重でかけがえなのない光景に変わる。

これは授乳に限った話でもないだろう。

今の自分には普通に見えていること光景も、

その奥にはさまざまな人の想いや苦労、喜び、たくさんのものが隠れている。

普通の光景というものはなく、

普通の光景と見ている自分だけがいる。

そんな普通の光景が、

かけがえない貴重な景色に変わっていくことは、

楽しさや喜び、嬉しさという言葉を超えて、

より自分の日常を豊かにしてくれるものなのだと感じた。

(2021/6/5)

母乳育児について その1 (導入)

母子ともにものすごい状況下にたたされている

現在、二人目の子どもが1か月を経過した。
この1か月を振り返ってみると、
第一子のときと比べると、状況が全く違う。

第一子の時にものすごく苦労したことも、
第二子では問題なく、進むことが多い。

その1つが母乳に関することである。

赤ちゃんは誕生と同時におっぱいを吸う、もしくはミルクを飲むことでしか、自らが生きるためのエネルギーを得ることができない。

お腹の中でへその緒を通して供給されていた状況とまったくもって異なる。

これはものすごい変化である。そんな変化に、赤ちゃんは対応しなければならない。
しかも生まれて、へその緒を切られたその瞬間から。
生まれた赤ちゃんはものすごい状況下にたたされている。と思う。

第一子のときも、第二子のときも生まれてすぐ、母親のおっぱいに吸い付いた。

その姿は本当に命がけである。

でも、それは赤ちゃんだけでなく、母親もその変化に対応しなければならない。赤ちゃんと同じくらい、大変な状況下にたたされる。
母親のおっぱいを通してでしか、赤ちゃんは生きるためのエネルギーを得られないのだから、母親は2つの命をつないでいる。ともいえるかもしれない。

そんな状況下に母親は立たされている。ということを忘れてはいけない。

 

僕が自分の体験をまとめておこうと思った理由

僕が自分の体験をまとめておこうと思った理由は、
母乳育児の良さをみんなに伝えたいというわけでもない。

記事の中で、助産院での出産について触れることも多くなると思うけれど、
助産院での出産を推したいわけでもない。

自分のよかった体験を伝えたいわけではない。ということをこの記事に目を通してくださる方がいたら、まず理解していただきたいと思う。

ただ、母乳育児をしたいと思うお母さんや、
それを一番近くでサポートするお父さんに、
自分自身の経験や気づいたこと、学んだことがどんな些細なことでも、参考になったり、きっかけになればいいなという想いからだ。

そして、この母乳育児が身近にある環境は今だけなのかもしれない。とも思う。
第一子のときもそういった想いはあったのだけれど、
こうやって自分の言葉を書く余裕すらなかった。

でも、第二子生まれて1か月を経過した時点で、
第一子の時よりも遥かに精神的にも肉体的にも余裕がある。

だからこそ、この母乳育児が身近にある今、
自分の言葉を残しておきたい。という想いが芽生えてきた。


「自分のよかった体験を伝えたいわけではない。」についてもう少し詳しく

子どもに関わる多くのことを、親は選択しなければいけない。

出産に関することであったら、出産場所(里帰りするのかしないのか、産婦人科助産院、自宅出産など)、分娩方法であったら自然分娩、無痛分娩など、、、

いろいろな選択をしなければいけないし、その一つ一つの選択の中にも、選択肢が山ほどある。そして、それぞれのメリットがある。逆にデメリットもある。

どうしても、「母乳の方がいい」とか「~の方がいい」と相対的に物事を捉えてしまいがちであるし、自分の経験をよかったこととして他者にその選択を推す人もいるだろう。

でも、必ず「これがよい」ということなどないと僕は思う。その人にとって合うか、合わないかが何よりも大事にされなければいけないように感じている。

あらゆる選択肢は、その選択肢だけでおさまる話ではないのだと思う。たとえば母乳育児であっても、お母さんと赤ちゃんだけではおさまらないことなのだと思う。

お母さんの産後の身体の状態、仕事との関係、まわりのサポート体制、、、あらゆることが母乳育児にだって関わってくる。そのおかれている状態はみんな異なる。その人だけのオンリーワンな状態なのだから、その人に何がフィットするのか、しないのかはその人自身が判断するしかない。
だから、誰かが「良い」とすすめることが、自分自身にとって「良いこと」ではないのだと思う。

まずは、お母さんや夫婦がおかれている状態を把握していくことが重要なのかもしれない。(サポート体制などの現実的な環境面、そして大切にしたい想い、理念のようなことも)

そして、その自分たちの状態を理解してくれる人、理解しようとしてくれる人の存在が大切なようにも感じている。特に医師や助産師さんなど専門的な部分において。