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考現学の誕生 〜しなさいと言わない教育:平井雷太

考現学の誕生

 毎日、フッと気になったことをただ書くことを続けていました。らくだ教材を使った教室をやるのに、月刊の「通信」を発行することは不可欠の条件だとは思っていたのですが、私が毎日書き始めても、最初のころは私以外のらくだの指導者に毎日書くことをすすめる気はありませんで した。私が四苦八苦でやっていることを、人に「これはおもしろいからやってみたら...」とそう簡単にすすめられるわけもありません。しかし、これを皆が始める時期がある日、突然に訪れたのです。第四期のニュースクール講座を終えたあとの鳥取でのらくだ研究会(らくだの指導者で構成されているらくだの指導を研究する会)の席上でした。

 なぜそうなったのか。それは第四期のニュースクール講座で講師だった上野千鶴子さん(当時は京都精華大学助教授)の話を聞いていて、私が日々気づきを書き留めていることは「考現学」(考古学ではなく、現在を考えるという意味で)に非常に近いものであることがわかったからでした。 自分のやっていることが「考現学」であるとわかると、一気に伝わります。このときにも「ニュースクール」という言葉と出会ったときと同じような感覚がありました。「みんなで「考現学」を書いてみよう」と言っただけで、らくだ研究会のそこにいたみんなに何かが伝わって、その人なりの考現学をそれぞれが書き出したのです。

 考現学の決まった書き方というものがあるわけではありません。その人がその人なりにフッと 気になったことを書き留めるだけでいいのです。しかし、日記ではありませんから、当然、公開することが前提です。つまり、人が読んでもわかるように書くということです。そんなことがあってから、一ヶ月に一回の通信を書くよりも、考現学を書くほうが楽であるということが体験からわかっていきます。何でもフッと気になったことを書き留めることをしていれば、自分がとんな問題意識で何を見ながら生きているのかが見えてきます。教室で必ず毎日一個の考現学を書くと決めるだけで、教室でどんな問題が起きているのかも具体的に見えやすくなってきます。書いたものを自己評価することさえしなければ、考現学を書けないということはありえないのです。 まさに、「書ける・書けない」を考えず、ただ書く、ことの実践そのものだったのです。

 そんなことを体験する中で、その後の「ニュースクール講座」そのものも変わっていきました。 誰でもが「考現学」を体験する場がニュースクール講座になっていったのです。「これが考現学 だ」と考現学を教えようとすると、考現学は書けなくなってしまいます。しかし、そこで感じた ことや思ったことを好きに書いたものをさして、「これが考現学です」と言えば、誰でも書けてしまうのです。例えば、そこで「一体、考現学とは何なのだろう?」と、問いが浮かべば、その人がその人なりの考現学を考えていけばいいのです。そうこうするうちに、考現学を書く人が増えていき、「考現学を交換する会=ニュースクール研究会」が、一九九三年の四月よりスタートすることになりました。私が毎日何かを書くと決めてから、十六ヵ月目の出来事でした。

 「考現学」を書く人が私だけではなく、全国に何人も増えてくる中で、毎日書くことをただやり続けていると、私の書く量が増えて、私の書いたものの中から、「街中至るところニュースクール」に掲載するものを選ぶことができにくくなっていきます。あれも載せたい、これも載せた いと、それには通信のスペースが狭すぎるのです。「書けなかったらどうしよう」と思っていたときと比べると大変な変化です。ただ毎日書くということを決めて、続けてきたことで起きた変化でした。 「そのうち通信の読者の方から、「「街中至るところニュースクール」に掲載されているものは書 いているもののうちのほんの一部でしょ。他の考現学も読んでみたい」という人が現れて、毎日書いたものを一ヵ月ごとに一冊の小冊子にして「ニュースクールテキストブック」として発行するようになったのが、一九九三年の十二月でした。創刊当初、四十二ページだった内容も、一年後の十三号のときには一四六ページになっていました。その間に、私の書いていた考現学は「日刊考現学」として毎日のようにファックスで読者の方に送られていくようになります。

 また、月刊の通信は一年ごとにその体裁がかわって、「月刊らくだ」から「月刊ニュースクー ル」「月刊コラボレーション」となっていきました。私以外にも書く人がどんどん増えて、一九九四年の五月に発行された「月刊コラボレーション」はらくだ研究会の編集で、私以外のらくだの指導者が作る通信となっていたのです。そして、また、新たに今年の五月からは初心に返って生徒の親向けの通信として、私の考現学を中心に毎月六十ページの「新・らくだ通信」を発行するようになっています。

 これらすべての動きは、「書ける・書けない」を考えず、ただ書く〉ことを、ただ実践してきた たことで起きたことでした。「書くこと」で何が出てくるのか、書いてみなければわかりません。 書き続けることで、そこに波紋が起き、波紋が波紋をよんで書く人が増えてきます。私のところ にも全国各地から毎日のようにファックスが入ります。マスコミに流されているニュースとは違う形の情報です。その人にしか書けない日々の出来事の数々、教室で起きていること、家庭の中で親と子の関係のはざまで起きていること等々...。それを読むと、触発されてまた書いてみたくなったりするのです。書くことの相乗効果が起こります。

 書くことが思いつかない日でも、ワープロに向かうと何かを書き出します。頭で考えたときには何も出てこないはずが、指は勝手に動きだしたりするのです。ですから、「書けない」と思ったときには、書けないときだからこそ書けることがあります。そんなとき、ふだんと違う自分と出会うことができるのです。すでにわかっていることを書くのではなく、書いているうちに何が言いたいのかわかってくる体験、そんな体験が私の中にある未知なるものを引き出す役割をして くれているようにも思うのです。目標を持たずにただ書く体験は、答えのあることだけを教える教育では決して学ぶことができない世界へ私たちを誘うことをしてくれるようにも思うのです。

(「〜しなさい」と言わない教育 より引用)

 

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