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【おむすびinterview】山本 愛子 さん

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今回の、おむすびinterviewは、蒲原に新たに生まれた旅館型文化施設「素空庵」に、約2週間、ひとり籠りながら、障子や襖などをキャンバスに、染めた布を建築の一部としてのこしていく〈佇む旅〉という試みを行なった、美術家の山本愛子さんにインタビューをさせていただきました。

 

蒲原に来て約1週間が経ちましたが蒲原はいかがですか?
 とにかくこの家にいるだけでとても気持ちが充実します。以前ここに住まわれていた方の民具がたくさん家に残されていて、この空間に染みついた気配みたいなものを感じながら生活してます。外も気持ち良いです。素空庵から南に歩いてすぐ駿河湾の海岸沿いで、逆に北に歩くとすぐハイキングコースに続く山道があって、海と山の近さに驚きました。東海道蒲原は海と山に挟まれているんだなあって。

 

愛子さんは、どのような過程を経て、今の活動をされているのですか?
 小さい頃から絵を描くのが好きでした。私の広島のおじいちゃんは油絵などをよく描いていたそうで、私が物心つく前に亡くなられているのですが、おじいちゃんの絵がたくさん残っていて、それを幼い頃はよく模写していました。それを、親戚の人に見せるとみんな喜んでくれるのもなんだか嬉しくて。そういうのがきっかけで絵が好きって気持ちを保ち続けることができたのだと思います。高校時代はチア部をやりながら、よく美術部に顔を出していました。(笑) オーソドックスに絵が好きだから美大に行こうと思い、美術大学に進学し、そこから今のアートの道になってきました。

今はどのような作品を作られているんですか?
 もともと絵が好きという思いから美術の道に進もうと決めたのですが、美大予備校時代の主任に「君は平面より空間の方が能力を発揮すると思う。」と助言を受けたこともあり、学部は、木工・ガラス・陶芸・染織・金工など、素材に触れる学科に入ることになりました。その中で、布の素材感が自分に合うと感じました。

 「この布の透けるのが綺麗だな」とか、「糸に色がにじむのって気持ちいいな」とか、そういう感覚から手を動かしはじめました。布は、「透け」や「しわ」といった感触のある表現ができて好きですね。手で触れることが原点です。「テキスタイル(染織)」という言葉は「テクスチャー(感触)」と語源が同じであることからもわかるように、布を扱う表現は、触れることそのものに直結しているなって思います。

また、風や光に揺れてきらめく布の姿は3次元のものですが、風がやんだときの静的な状態は、非常に平面的で、布の上に染まる色彩や模様の2次元世界に吸い込まれるような瞬間もあります。そういった、3次元と2次元を行き来するような感覚も好きです。小さい頃の「絵が好き」の感覚を、2次元的な要素に織り交ぜつつ、同時に空間表現に落とし込んでいけるので、好きな部分が発揮できる領域だと感じます。

 

作品づくりの過程について聞かせてください。作品づくりの始まりと、できた後ってどのように変化していますか?
 最初に大まかな構想や印象はありますが、作品づくりの過程でイメージや想いは変わっていきますね。物理的にサイズや構造に限界があったり、変えようのない素材を扱う部分など、制約は毎回必ずあります。ただ、例えば実際にその場所に滞在した時の窓からの光の差し込み方や、風の動きなどを見て、どんな風合いの素材が適しているのかなあと考えたり、人に会って話を聞いたりする中で、新たな素材を得ることなど、実際に制作を進めながら発見することが本当にたくさんあって。それの蓄積によって作品が出来上がっていく感じです。

 

作品づくりで失敗ってあるんですか?
 もはや成功がないです。(笑) そういう気持ちでいつも取り組んでいます。毎回かたちになった時には高揚感があるけど、完璧と思えたことはなく、むしろ不完全を求めているからかもしれませんが、そういう意味で毎回満足できない部分がのこり続けるからこそ、創作活動が続いているのだと思いますね。

 

今回の蒲原での滞在で特に印象に残っていることはなんですか?
 この家(素空庵)に、もともと住まれていた方のお話が聞けたことですね。私自身が聞きたいことがありすぎて、たくさん質問させていただき、全部丁寧に答えてくださりました。この家でどういう生活をしていたのかを詳しく聞くことができて、今回の滞在で作りたいイメージがまた変化しました。特に「家に帰ってきた気持ちだよ」という言葉が印象的で、この家と家にある物には、その方々の暮らしがあって、それを聞いたら、「ほんとに丁寧に作らなきゃ、もう少し時間をかけてこの家と向き合おう」という気持ちになりました。

 

芸術・美術というフィールドで活動されていて、他者の評価や視点の中で葛藤とかは生まれるものなんですか?
 他者の評価が気になることはもちろんあります。ただ、ずっとノートを作っていて、そこにはとにかくいっぱい自分がただ作りたいイメージやアイデアを書いています。これが私の作品のアイデアにつながっています。
 今回であれば、この蒲原に対して何か貢献できたらという気持ちも混ざってきますし、そうすると自分以外の評価も関わってくるように思います。でも、創作欲求みたいなものは自分の中から出てきています。葛藤が全くないわけではありませんが、自分も生かされてるなって思っています。一人でやっているという意識はなくて、自分と自分以外は繋がっていると意識しながら、前向きな気持ちで制作しているようには思いますね。自分が納得するということは、周りのことの中にいる自分を見つけていくことだと思って取り組んでいます。一見自分のための作品づくりに見えることも、誰かとの関係性の中での作品づくりも、線引きはない気がします。

 

大学(学部)のころと比べると、作品はどう変化してる、または変化していないと感じますか?
 変わっていない部分は、「これすごい」「色が変わってきれい」「触ってきもちいい」とか・・・ 自分の内側からあふれる感動がきっかけではじまるということは変わっていないことだと思います。
 また、紙とペンがあって、いつでも簡単に描くことができるということよりも、例えば、材料を仕込まないとできなかったり、青写真の技法を使うときのように、天気が晴れないと作品づくりが進まない。そういった自分にはコントロールできない要素が作品づくりの中に大きな比率で入ってくると、人間中心ではなくて、優しい気持ちになれたり、色々なことを教わっている気持ちで作品と向き合うことができます。絵が好きだった私が、アートに向き合っていく過程で、染色の世界や布などの素材が好きになっていったのは、そういったストップしたりする時間(自然現象)に触れていくなかで、自分が気づいていない自分の一面に会えるような気がしているのかもしれないです。農とアートの親和性はそういったところに感じています。(インタビュー前に、すこし自然農のお話をしました。)
 変わったところは、毎回ちょっとずつ経験が積み重なっていくことで表現方法の幅や深さが変わってきて、それによって選択の仕方は変わっていますね。

(2020/5/22 素空庵にてインタビュー)

 

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5月から横須賀市に活動の場所を移し、新たな環境で作品づくりをされていくそうです。
愛子さんのHPには、作品も掲載されていますので、ぜひのぞいてみてください。

www.aikoyamamoto.net



今回、愛子さんが〈佇む旅〉という試みを行なった、蒲原に新たに生まれた旅館型文化施設「素空庵」

www.soku-an.com

 

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今月のコラム

-- インタビューで学んだこと・気づいたこと --

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 今回、インタビュー記事の中に、愛子さんが元々、素空庵に住まれていた方に、「聞きたいことがありすぎて、聞きたいことを全部聞いた」そして、この家でどういう生活をしていたのかを詳しく聞くことができて、今回の滞在で作りたいイメージがまた変化したという内容がある。  

 「表現」というものは、その人自身の中から生まれるものである。でも、どうやって、どこから生まれてくるのだろうか。 話を聞く中で、「表現」は、元々すでに自分の中にあるイメージやアイデアをただ表現するのではなく、その場で自分が感じたこと、疑問に思ったことと向き合いつづけていく過程の中で、自分の世界を広げていく。そして、その広がりによって、自分の表現はより深まっていくものなのだろうと感じた。

 今思い返してみると、素空庵の風の流れ、床の軋み、置かれているもの...愛子さんが感じている素空庵の世界を聞かせていただいていたように思う。「表現」は、「今」の自分が感じていること、見ていること、疑問に思っていること... そうした「今」の自分と向き合い続けることによって、生まれ深まっていくのだろう。だからこそ、表現は「今」から生まれてくるし、「今」しかできない表現になっていくのだと思う。

 僕は今回のインタビューで、芸術や美術は手の届かない領域ではなく、何か重なる部分が僕の中にもあると感じることができたことが何より嬉しかった。それは『「今」自分が感じていることがある』ということのように感じた。「今」の自分を感じ、受けいれ、向き合っていくことが、「表現」のはじまりのように思う。僕のこの通信も僕自身の1つの表現活動といえるのかもしれない。 そう思わせてくれた愛子さんとその作品はやっぱりすごく自然体で、その空間にいるだけで気持ちがすっきり、ゆったりした。改めて、自分と向き合っていくこと、そしてどんな形でもいいから、自分の「表現」を続けていきたいと思った。