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2020/06/28 ベリーオーディナリーピープル予告編1 上映会の振り返り

ベリーオーディナリーピープル予告編1 上映会の振り返り

今回は、静岡に帰ってきて初めてべてるの家ドキュメンタリー映画の上映会を行った。
僕は進行役として参加した。


・その人のただありのままの姿が映されていること
この映画は、ストーリーとか、メッセージとか、そういう意図のない世界で作られている。
だからこそ、何度みても気づきや学びがある。

予告編1で出てきた人の姿が予告編2・4・5・・・・と進む中でさまざまな変化をしていく。
そうすると、予告編1をみて感じた自分の気づきが、また一段と深まっていくだろう。
予告編1で元気のなかった武田ちよみちゃん、カメラの前でたくさんおしゃべりした
山崎かおるちゃんも予告編2ではまた違った姿をみせていく。

この映画の面白いところは、
人の移り変わりを感じられるところだろう。

予告編1のかおるちゃんをみて感じたこと、千代美ちゃんをみて感じたことは、
人の1時点をみて感じたことだけにすぎない。

いつも移り変わって、変化していくのだから。

予告編1をみて感じたこと

そうやって、ひとりの人のありのままの姿を見ると、
人の本来の姿って、どういうことなのか?という問いも浮かんでくる。

はたして、今の自分は本当に正常なのか?普通なのか?と。

参加者のひとりの方の
「べてるに行くと、病気が現れてくる」という言葉が印象的だった。

僕たちが今こうして、普通とか正常だと思っていることは、
僕たちが普通・正常であると思っているだけであって、
それは僕たちの盲目さや、心の声に耳を傾けていないということの証である。とも言えるのかもしれない。

久しぶりにみて、
佐々木社長!坂本さん!神田さん!岡本さん!下野くん!
あったことないけれど、みんなみんなそれぞれの色で生きていて、
画面を通してでも、またこの人たちと会えて、本当に嬉しい気持ちになった。

 


・(進行役として)付箋1枚1枚の違いをオープンにしていく
映画をみながら気になったことを付箋に書いていってもらう。
その付箋を元に、振り返りのセッションを行っていくのだけれど、
参加者同士が同じシーンや言葉を同じ付箋に書き留めることも多い。

その中で、振り返りのセッションの時に、
「同じ付箋」としてシェアされることも多いのだけれど、
ひとりひとりの付箋に書かれている言葉やシーンは同じであっても、
その付箋に書いた人の背景にあるものが同じというわけではない。

だからこそ、進行役はその「同じ」とシェアされる付箋の中にある、
「違い」がシェア・オープンされるように、
その「場」を整える必要性がある。
整えるというのは、付箋を出した人に、
時間(話さなくても話さなくても良い)をつくることなど、
できることはたくさんある。

そういうふうに、進行役は「違い」がどのようにオープンされていくか?
自覚されていくか?という視点にたって、
その場に関わらる必要があると思う。

違いがオープンになることで、対話は深まっていく。
共感よりも、違和感を。違和感の先に対話があるし、
対話の先に、共感を超えた、人と人とが重なり合う喜び、
楽しさがあるように思う。


・「シェア」よりも「オープン」
今回、振り返りのセッションを行うときに、
ぼくは、「シェア」とか「共有する」とかいう言葉をよく使っていたけれど、
振り返りのセッションを有意義なものにしているのは、
「オープン」とか「公開」という姿勢なようにも思う。

「シェア」とかいう言葉には、何か「持っている」ことが前提で、
それを他者と分かち合うイメージがぼくには強かったのだけれど、
振り返りのセッションの場では、「持っていない」ということもまた重要なのだとおもう。

つまりは、意見の交換だけにとどまらず、
その人の今の状態にも視点をおくことって大事だなと思った。