3月の振り返り その1
◯1問でもいいから毎日続けること
ものすごく当たり前なことなのだとおもうけれど、
1日に1枚のプリントができなくても、
1日に1問でも問題ができるようになれば、
プリントができるようになる日がすこしでも近づいてくるのだという実感が、
この中学校最後のプリントを通してがんじている。
何もやらないと、いつかのできる日が近づかないだけでなく、
近づいていたものが、また遠ざかっていくのだという実感もまた感じている。
(今の僕はこれを繰り返しているように感じる)
1枚できなくても、1問でいいから、取り組めること。
その1問ができることと、1日に何もやらないことに
大きな違いがあるということを、今とても実感している。
そうやって自分自身の体験を通して、子どもの学習の姿をみると、
30分、1時間と勉強を強制してやらせるよりも、
たった1問。自分でやろうと思ってやってみる体験を僕は大切にしたいなと思う。
それは難しいことなのだと感じることも多いけれど、
勉強量と勉強時間だけで子どもの状態をみるのではなく、
たった1問からでもいい。
そこからでも始められること、伝えられることはあるのだと思った。
◯やらないと気持ちわるい
できない毎日が続くけれど、
いつしかプリントができていない日は、
プリントが引っかかる。すっきりしない。
そうやって、プリントが引っかかるようになるということもまた、
プリントが自分の日常に入ってきた証拠でもあるだろう。
プリントを始めた当初、この気持ち悪さはあっただろうか。
きっとなかっただろう。
その気持ち悪さは、その行為によるメリット
(プリントをやって得られること)が与えているものではなくて、
その行為自体によって生まれてくるものである。
◯卒業とは
3月ということもあり、
スクールにくる子どもたちも中学校を卒業する。
でも、この子たちにとってみれば、卒業というのは
あまり関係がないようなもので、
興味のないもののように感じる。
(全員そうとは言えないけれど)
卒業ってなんだろうかと考えさせられる。
卒業というものは、
誰かから与えられるものでもないし、
年齢によって与えられるものでもない。
強制的に卒業するというものは、
本来の卒業なのだろうか。と考えさせられる。
本当の卒業は、きっと自分で「その時」を自分自身で感じるものなのだろう。
スクールの子どもたちの、
もう「アニメオタクは卒業した」という言葉の方が、
よっぽど 「卒業」 という言葉がぴったりくる。
中学校を卒業したからといって、
諦めること、変わらなければいけないこと、
やめなければいけないことなんてないのだ。
自分が「卒業した」と思えた時が、「卒業」の時だ。
その時を感じないのであれば、
とことんやり続ければいい。
「卒業」という言葉によって、
何か無理やり区切る必要などないのだと。子どもの姿をみて思った。