2月のふりかえり
ここ最近、ずっとぐずぐず前に進まない感じです。
これまでは、それなりに自分が中学校で学んできた復習的な内容のプリントだったと思いますが、
中学校の最後の問題は、中学時代に解いたことのないような問題もいくつかあって、
今までの小4-41などとはまた違った「できない体験」だと感じています。
どこができていなかったのか、
できない理由はどこなのかを、
答えをみながら丸つけをして、
間違えも直していくのですが、これが時間がかかります。
そんな時も、僕の頭の中にはいつも仕事のことがあって、
はやく仕事したいって思ってしまいます。
だから、答え合わせと間違い直しがいい加減になります。
でも、なんで僕はいい加減になるのか?と思うと、
たぶんこれらの問題(中学校レベルの最後の方のプリント)を自分は「できる」と思っていたのだと思います。
これまでの問題は、「できる」けど「できない」状態でした。
(因数分解のやり方も「できる」けど、時間内に「できない」という状態)
でも、今のこの状態(中学校レベルの最後の方のプリント)は、
本当に「できない」状態なのだとこうやって書いてみて、ふと気付かされました。
時間内に「できない」とかではなくて、
自分で解き方を見出せなくて「できない」
今までの問題の中で直面した「できない体験」とはまた全然違います。
だから今まで以上に間違い直しが重要で、
今までと同じように、
できない体験を扱っていたらいけないなと。
結局こうやって「できないという自覚」が生まれないと、
できないことができるようになっていかないですね。
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僕は小中高と数学を学んできたので、
らくだの体験は、一度学んだことを学び直していくという体験しか、
今の段階ではできないのですが(高校レベルになれば話は違いますが)、
僕自身がこれまでらくだの学習の中で体験した「できない」という体験は、
僕自身の「できない体験」でした。
きっと、プリントを通して生まれる「できない結果」は同じに見えても、
子どもたちは、子どもたちなりの「できない体験」です。
だからこそ、これまで復習的な内容の中での「できない体験」ではなく、
ゼロから学んでいく中での「できない体験」が高校レベルのプリントになれば
より生まれてくるように思います。
そうすると、また子どもとの関わり方のヒントに気付けるかもしれないと感じました。