・説明しない教材
三平方の定理のプリントに取り組んでいる。三平方の定理は、いくつか角度に対しての3辺の比のパターンが決まっているから、覚えておくとスムーズに問題が解ける。
久しぶりに問題を解いていたから、その比のパターンを忘れていた。
だから調べようと思っても、らくだメソッドのプリントには問題しかない。
教科書や参考書では、「解説」や「解説」が載っているだろう。だけれど、らくだのプリントには「説明」や「解説」というものがほとんど無い。
説明しない、解説しない教材なのだと改めて感心する。
子どもと関わっていて、この「説明して教える」とか「解説して教える」とかいうのがものすごく厄介なものなのだと感じてしまうときがある。
説明とか解説って、自然と立場を生み出してしまうように感じる。
説明・解説する人=わかっている人
説明を受ける人=わかっていない人
この関係性は「説明する」「解説する」時点でどうしても生まれてしまう。
だから、説明を受ける子どもは、
説明して教える人の存在によって、
自動的に、「わかっていない人」という立場を取らざる負えなくなる。
もちろん、子どもがここが分からないから、「説明してください、解説してください」と求めていれば、何にも問題はないことなのだと思うけれど、それを求めていない子に対して「説明をする」ということは、順序が違うのだとも思う。
らくだメソッドは、この順番をものすごく繊細に守っているのだと思う。
不必要な言葉=説明を省き、言葉なしで伝えていく。
僕はずっと算数や数学は、言葉=説明をしてもらって、わかって理解して、できるようになるものだとばかり思っていたけれど、この教材をやっていると、算数とか数学って、ここまで言葉がなくても(説明がなくても)、できるようになって、理解できるものだったんだと感じる。
逆にいうと、算数・数学に限らず、自分が教える立場に立った時、
「説明すること、解説すること」の前に、何かできることはないか?
「説明すること、解説すること」で自然と自分が強い立場に立っていないか?と振り返ることは大切かもしれないと思った。
・引っ越し
6月にはまた引っ越しをしなければなりません。あっという間に一年半が過ぎようとしています。ここ最近は、貸してくれる家や、空き家を人づてに聞きまくっています。空き家はめちゃあるけれど、なかなか貸してもらえず、、、、結構落ち込みます。笑
でも、引っ越し先を探すという目的ではあるのでけれど、そのおかげでいろんな爺さん、ばあさんと仲良くなったりして、地域のつながりはかなり広がりました。
なかなかうまくはいかない現状ですが、「いい苦労してるね」とか「できない体験こそ大事なんだ」とかいう言葉がよく浮かんできて(笑)、この学習のおかげでうまくいかない現状の中でも、過度に落ち込まなかったり、楽しみを見出せたりしている自分がいることもまた、以前の自分との変化を感じています。
このべてるスタンプもなかなか日常の中でいい仕事しています。おすすめですよ( ̄▽ ̄)