あんを炊いているときの私は、いつも小豆の言葉に耳をすましていました。それは小豆が見てきた雨の日や晴れの日を想像することです。
どんな風に炊かれて小豆がここまでやってきたのか、
旅の話を聞いてあげること、そう聞くんです。
この世にあるものは全て言葉を持っていると私は信じています。
日差しや風に対してでさえ、
耳を澄ますことができるのではないかと思うのです。
・・・
私たちは、この世を見るために聞くために生まれてきた。
だとすれば、何かになれなくても
私たちは、私たちには、生きる意味があるのよ。
(映画 「あん」)