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葛藤、悩むことの意味 (「普通がいい」という病 より)

葛藤、悩むことの意味

ここで、「葛藤」という概念についてお話ししておきたいと思います。 この言葉は、日常的にも使われますが、日本語では葛と藤がからまっていることから来ています。葛藤というのは、意識の中に○という気持ち、それと相容れない△という気持ちがあって、両者が対立したまま並存している状態です。もっと正確に言えば、○という 「頭由来の考え」と、△という「心由来の感情」が並存している(心や頭についての定義 は、第3講で触れます)。だから、スッキリしないで悶々としている。こういう状態を葛藤と言います。

よく、葛藤自体を病的なものだと考えてしまう人も多いのですが、葛藤していることはむしろ、健康な状態なのです。なぜなら、図1-2でご覧の通り、○も△も地上にあって、無意識という地下に生き埋めになっていない。つまり心理学的に言えば、抑圧されていない。本人としては、悩んでいてスッキリしないし、モヤモヤするんだけれども、これ自体は病的な状態なのではない。葛藤できる健康な力があると言ってもよいのです。

 しかし、とかく人間はどうにかしてスッキリしたいものだから、この一方を埋めて葛藤を解決したいと思う。するとたいていの場合、頭由来の考え○が、心由来の感情△を埋めることになるのです。△は 抑圧されて、これで意識上は○だけの天下になるわけです。見かけ上、本人はスッキリして葛藤はなくなります。しかしその代わり、△が抑圧されていますから、これが我慢して黙っているうちはよいけれども、そのうちに反発して動き出します。その結果、△のエネルギーが意識の方に反乱を起こしたり、それがダメなら身体の方から出てきたりします。それもうまくいかなければ、△の母体である心はストライキに入り、エネルギー自体を出してくれなくなる。すなわち意欲が出てこなくなる。・・・・よくクライアントの方は「治ったらすっきりして悩みもなくなって、きっと楽になるはずだ」と考えがちですが、実際はあるべき悩みを悩むようになる。それが、「治る」ということなのです。